第26話:「あれ? ご飯食べてかないの?」
吉野に、吹奏楽部の演奏会の時の写真を見せてもらう。
芽衣はこの時の写真を徹底して見せたがらないので、こんなにゆっくりしっかり写真を見られるのは初めてだ。
一つ一つ、芽衣が小さくでもうつっている写真がないか、確かめていく。
「うひゃー、本当に箱推しなんだね……」
「え?」
「だって、ななみんとかメイちゃんがうつってない写真も一枚一枚じっくり見てるもん。わたしもそんなにちゃんと見てないよ……」
「ああ、そうね……」
吉野はちょっと引いた顔をしている。まあ、たしかに、女子がほとんどの吹奏楽部の写真をこんなにまじまじと見ていたら気持ち悪いよな。年齢が年齢なら犯罪者だ。
でもまあ、そんなことも言っていられない。
人生を左右する、と言ったら言い過ぎだろうだけど、もしかしたら誰かの人生を少しだけ上向きに変えるかも知れないことなのだから。
「何か、探してる写真があるの?」
「いや、そういうわけでは……」
「ふーん……?」
それにしても、本当に、芽衣が写っている写真は、もれなく芽衣は泣いている。おれはそんな表情も素敵だとは思うが、多分本人的には『顔が崩れている』と言いたくなるだろう写真ばかりなのだろう。
こんな、ある意味人生の節目に自分で見返したい写真がないというのは悔しいというか寂しいことなんだろうな、とそれまでの芽衣の熱意を知っているだけに思う。
「……なんか、諏訪君、嬉しそう?」
横からそんなことを言われ、おれはさすがに悪趣味かもしれないと思い、苦笑いで誤魔化す。
「……いや、嬉しいってわけじゃない。あー……写真ありがとう。全部見た」
「うん、どういたしまして!」
吉野は笑顔を返してくれる。なんだか悪いことをしている気分だ。
「……それじゃ、おれはそろそろ帰るわ」
「あれ? ご飯食べてかないの?」
首を傾げる吉野。え?
「いや、家で食べるけど……」
「え、うそ」
ギクリという顔をしてから、吉野が急いで部屋を出る。
「おかーさーん、諏訪君ご飯食べないってー!」「えー!?」
こんな、初対面とは言わないけど疎遠なおれが飯まで食って帰ると思ってたのか、吉野……。やっぱり距離感のよく分からないやつだ。
本来であればご相伴に預かった方が失礼じゃないのかもしれないが、さすがに芽衣が機嫌を損ねるだろう。ハンバーグの消費期限、今日までだし。
ていうか娘さんと恋仲でもなんでもないおれと一緒に食卓を囲んだとして、吉野のお母さんを戸惑わせることになるだろう。無駄に吉野のお父さんにも話が行ったりして、想像しただけでお騒がせだ。
「ごめんね、わたし早とちりして……」
吉野がふう、と息をつきながら部屋に戻ってくる。
「いや、むしろごめん。……もう作ってたって?」
「ううん、ギリギリまだ作り始めてなかったって」
「そっか、良かった。じゃあ、行くわ」
おれは安堵の息をついて、玄関に向かい、自分の靴に足をおさめる。
「あ、よければケーキ持って帰ってよ!」
「ん? ケーキ」
おれは首をかしげる。
「うん! うちのおかあさん、ケーキ作りが趣味なんだー。今日はレモンケーキかな。趣味っていうか、おかあさんの実家がケーキ屋さんなの。今は叔父さん夫婦が切り盛りしてるんだけど、吉祥寺の井の頭公園の近くにあって、結構有名なケーキ屋さんなんだよ」
「そうなんだ……」
井の頭公園って、誰かの曲の歌詞で聴いたことある気がする。
「それじゃ、もしいただけるなら、せっかくだから」
「うん! 何切れいる? 諏訪君って何人家族だっけ?」
「あー……」
おれはどう伝えるべきか一瞬逡巡したが、
「今は4人家族、かな」
と答える。
4切れ欲しかったというよりは、なんというか、その、矜恃みたいなもんだ。
「分かったー!」
吉野も『兄弟いるの?』などと聞いてくるわけでもなく、台所に引っ込んでいって戻ってきた。
「はい、どうぞ!」
「うわ、本当のケーキ屋の入れ物じゃん」
「そうなんだよ。うちにはずっとあるからあんまりなんとも思わないけど」
そう言いながら、吉野はおれに持ち手のついた白い箱に入ったケーキを渡してくれる。
「ありがとう」
「駅まで送るよ。おかーさーん、諏訪君駅まで送ってくるー!」
吉野のお母さんも玄関まできてくれて、最後までこの馬の骨は誰なのだろうとちょっと腑に落ちない顔をしていたが、とりあえず笑顔で手を振ってくれた。
ケーキの箱を携えて一夏町駅まで吉野と歩く。
「いやー、今日はほんとに助かったよ」
「まだまだ初級編だけどな」
「何か困ったことあったらまた教えてくれる?」
「ああ、まあ……」
別に教えること自体はいいのだが、学校で弾けないからには、また同じように吉野の家にくることになるのだろう。
それはあまり繰り返すべきことではないように思えて、つい答えが曖昧になる。
「あはは、そうだよね。なるべく一人で出来るように頑張るね! 本当に今日はありがとう!」
「いえいえ」
やけに物わかりのいい吉野の笑顔に、少し申し訳ないなと思う。
一夏町駅の階段を上りきり、改札の前に立ったあたり。
「「「あ」」」
「吉野さんと……諏訪?」
「……西山?」
改札からちょうど、眼鏡をかけた優しい顔をした男子が出てきた。
西山青葉だ。おれと吉野と同じ瀬川高校に通っていて、去年文化祭実行委員をやった同学年の男子。
「なんか久しぶりだな、西山」
「そうだね。あれ、でも、諏訪がどうして一夏町に?」
別に責める様子もなく、純粋に疑問だというように、おれに質問してきている。
「ああ、それは……」「西山くん、あの、これは……」
おれの答えようとするのを遮られたので、横を見てみると、吉野が頬を赤らめてうつむいてモジモジしている。
なるほど……そういうことか……!
おおかたの状況は把握した。
要するに、吉野の好きな男子というのはこの西山青葉のことなのだろう。すなわち、おれみたいな他の男子と二人でいるということを一番知られたくない相手だということだ。
ましてや、家に招いていたなんて、隠したいに決まっている。
おれだって、別に吉野と付き合っていると誤解されて気持ちがいいポジションでもないので、なんとか撤回したい。
……だけど、どう切り抜ければいい?
おれは頭を急激に回転させる。……が、そんなに上手な案はすぐには浮かばない。
かと言って、「なんでもないよ」などと言ってここを去ったら吉野にさらなる負担を強いることになる。
どうする? 早く答えを出さなければ……! いや、だけど……!
と、その時。
「勘太郎、夏織ちゃん、お待たせ!」
救いの声が響いた。




