第25話:「おかあさん、ドア、開けないでね!」
「ささ、上がって上がって」
「は、はい……どうも、お邪魔します……!」
吉野に促されて靴を脱いで、そっと吉野家の玄関のマットを踏む。いくら意識していない女子だと言っても、やっぱり女子の家は緊張するな。
「いらっしゃい、えーっと、諏訪君?」
さらに、玄関には吉野のお母さんが出迎えに来てくれていた。
「もう、夏織、いきなり友達連れてくるなんて……。しかも男の子……。そんな人がいるってことすら知らなかったのに……」
「違うから、ただの友達だから!」
「いや、本当にそうなんで、すみません……!」
不穏なことをいう吉野母に、信じてもらえないだろうなあとは思いつつも一応釈明する。
「諏訪君、ちょっと待ってね」
おれを玄関で待たせて、玄関近くの部屋から吉野がギターケースを取って戻ってくる。そのまま吉野(娘)の部屋へ向かった。
「夏織ー? 諏訪君、お茶で大丈夫ー?」
「何も持ってこなくて良い! おかあさん、ドア、開けないでね!」
「ええ!?」
そういいながら吉野が部屋のドアを後ろ手に閉める。
「今の、なんで……?」
「『今の』って?」
「『ドア、開けないでね』ってやつ」
「ああ……」
吉野は少し頬を赤らめる。
「だって、歌ってるところにおかあさん入ってきたら恥ずかしいじゃん……」
「……そうだな。それは分かるけど、吉野のお母さんは今とてつもない誤解をしてるかもしれない」
「はあ……?」
吉野が顔をしかめる。いや、こっちがしたいわその顔。
「まあまあ、それはともかく、このギター、どうかな?」
「ああ」
吉野に手渡されたハードケースからギターを取り出して、見てみる。「うわあ」と、つい声が漏れた。
「やっぱり、かなり錆びてるな……」
「だねー……」
正直、状態はかなり悪い。このまま弾いていたら指を怪我していただろう。
改めておれは小沼君のすごさに感心していた。どうやったらあんなに先回りして考えられるのだろうか? 四六時中楽器のこととか音楽のことを考えてるとああなるのだろうか?
「弦、交換しないと。小沼君様様だな……。ニッパーってある?」
「ニッパー……? んー、あるかな……」
首をかしげながら部屋を出ていく吉野。「おかーさーん、にっぱーあるー?」と廊下の方から声が聞こえる。「えー? ニッパー?」と吉野母の声も聞こえる。
女子の部屋、しかも言っちゃ悪いが大して仲良くない女子の部屋に一人で残されると居心地が悪い。
なんとなく行き場をなくした視線を彷徨わせていると、洋服ダンスの上にある写真立てが目に入る。
「お」
それは、うちの高校の吹奏楽部の集合写真だった。この間の学園祭、芽衣たちの代の引退した演奏会の時の写真か……。
手に取って見てみると写っているのは、引退したばかりのタイミングだというのに妖艶に微笑む赤崎、無邪気なニコニコ笑顔の吉野、目尻を拭いながらもしっかりと口角を上げている白山の彼女の青井透子さん、そして。
「本当にボロ泣き顔だな……」
「誰が?」
「うお!?」
突然、後ろからひょこっと吉野が顔を出す。
「あったよ、ニッパー!」
ニコっと笑いながらニッパーを掲げる。なんかヤンデレのヒロインみたいだな……。
「おお、ありがとう。あって良かった」
「うん、さすがの拓人君もニッパーは持ってなかっただろうし」
いや、だから、拓人君って……。そしてヘタしたら持ってるけどな、あの人。
「それで、誰がボロ泣きだって?」
「ああ、いや……。ほら、引退だから、みんな、泣いた跡があるっていうか……」
なんとなく誤魔化してしまう。我ながら下手くそだと思う。
「わあ、さすが箱推しだね……。この演奏会も観に来てくれてたの?」
「うん、まあ」
なんか今更だけど、高校の吹奏楽部の箱推しってどうなんだろうか……? 結構怪しい?
「へえ……」
まあ、でもある意味せっかくの隠れ蓑だ。おれは、少し欲張って、吉野にお願いをしてみる。
「なあ、吉野」
「ん?」
「この日の写真って他にも持ってるか?」
「そりゃもちろん。一枚なわけないよね。LINEのアルバムにも入ってるし、共有のクラウドにも上がってるよ」
「……そっか。あとで見せてもらってもいいか?」
「うん、良いよー」
……よし、おれが今していることがどれくらい意味のあることなのか、確認しておくのも悪くない。セカンドオピニオン? 的なことだ。
ギターの弦を20分くらいかけて張り替えてやって、それから基本的な押さえ方や、ストロークの仕方を吉野に教えた。
吉野は中学の時に一回弾いていたというだけあって、押さえ方とかや弾き方自体はほぼ問題なかったのだが、アコースティックギターだからか、音が出るように押さえるためにかなり力を入れる必要があり、そのために左指を痛めていた。
「うう、痛い……」
左を指同士をこすりあわせながら、苦々しい顔をしてこちらを見てくる。
「あんまり無理するなよ。弾けなくなるから」
「でも、時間がないし……」
「いいから。一旦置いておくと、指先がちゃんと硬くなるから。そしたらもっと楽に弾けるようになる」
「そう……? 諏訪君の指も硬くなってる?」
「うん、まあ」
見せて、とか、触らせて、とか言われるかと思いなんとなく身構えたが、「ふーん、そうなんだ」と言って、再度自分の指に目を落とした。吉野は、久しぶりに話した男を家に呼んでしまうけど、スキンシップ的な距離感はそれなりに保つ方らしい。
なんとなくちぐはぐな気もするけど、まあ、そういう人なんだろう。
「それじゃまあ、今日はここまでにするかなあ」
「うん、それがいいよ」
おれが頷くと、そっとベッドの上にギターを置いた。
窓の外を眺めると、日もだいぶ暮れかかっている。
「うわー、もうこんなに暗い。日が短くなったよねえ……つい最近まで夏だったのに」
「うん、そうだな」
「……こんな風に、いつの間にか終わっちゃうのかな。高校生活」
突然思い詰めたようにつぶやいた吉野に、
「何いきなり?」
と返す。
吉野ってやっぱりポエマーの気があるよなあ。
などと思っていると、吉野はこちらをジトっと見る。
「諏訪君って、音楽をやってる割には風流さがないね」
「そうか?」
特に傷つくわけでもなく、首をかしげる。
「やっぱり風流さのある男の子は貴重なんですねー」
「嫌味?」
「ううん、感想」
どうやら、吉野の好きな人には風流さとやらがあるらしい。
「あ、そうだ。写真見たいんだよね? 今日の報酬っていうか御礼はそれでいいのかな?」
「別に元々報酬なんかいらないけど、写真は見せてくれると嬉しい」
「あはは、おっけー」
そう言って吉野は机の上に置いてあるパソコンを開いてカチカチと操作をする。
「はい、ここに全部上がってるから」
「おお、ありがとう」
吉野がパソコンの前のスペースを開けてくれるので、おれはそこにお邪魔する。
「……やっぱり、本当にそうなのか」
写真を見ながらおれは、吉野にも聞こえないように、口の中で小さくつぶやいた。




