第22話:『か、かぞく……』
『はあ!? 夏織ちゃんの家に寄ってくる!?』
受話器越し(スマホだけど)、芽衣の奇声が右耳をつんざく。おれは反射的にスマホを耳から離してから、声を落として、
「ちょっと、聞こえるから……」
と電話の向こうに伝えた。
『いやいや。は? え? なんでそんなことになってんの?』
「それはだな……」
「ギター、独学だと限界があると思わない?」
「そうかもしれないなあ……。……え、教えろって言ってる?」
おれの質問に満面の笑みで頷きを返してくる吉野。
「うん、こうなってくると1日も惜しいから、出来れば今日、この後とか、どう? うちに来てもらってさ。ほら、うちならギターもあるし、学校のみんなにバレることもないし。ね?」
「ああ、なるほど。吉野の家だったらちょうどいいな……。え、このあと!? 吉野の家!?」
「ちょっと諏訪君、ここ本屋さんだから声落として……!」
「ああ、すまん……。いや、すまんくないわ。いやいやいやいや、すげえ急だな、吉野」
「うん、もう、ためらうのはやめたんだ」
完全にツッコミモードだったおれも、やけにしっとりと告げられた意志の強い一言にそっと息を呑む。
やっぱりおれの知っている吉野とは別人みたいに感じる。おれが吉野のことをそんなに知らないというのはもちろんあるだろうけど、それを差し置いても、ここまで情熱的で前のめりな性格ではなかったような気がするのだ。
「最近、なんか人生が変わるような事件でもあった?」
「いきなり何? その質問」
「いや、そんなにメラメラ燃えるような性格だったっけ? どちらかというと優しくてほんわかしてるイメージがあったけど」
「だから、さっき言ったじゃん」
そこまで行って、口を引き結ぶ。
「わたし、恋をしたんだってば」
「ほお……」
無意識に、感心したような声を出していた。
「諏訪君は、好きな人いる?」
それは、当たり前だけど、告白の前振りとしてのセリフではなく、単純におれの経験値を推し量るための質問だった。
まあ、どちらにせよ、答えは決まっている。
「……ああ、いるよ」
ここまで真剣な眼差しで放たれた質問に、嘘をつくわけにはいかない。
「そっか。だったら、その人に少しでも早く並び立ちたい気持ちって、分かるでしょ?」
「そう、だな」
果たして、おれが吉野ほどの実感を持ってそれを理解出来ているのかは分からない。
ただ、それでも、あの日、芽衣に告白をしようとしたときの覚悟は、これまでの過去を失くすリスクを負ってでも次の関係に進もうとしたあのときの覚悟は、生半可なものではなかったはずだ。
それと同じような感情を吉野が今、持っているのだとしたら。そしてそれを叶えるために一生懸命なのだとしたら。
「協力……してくれる、かな?」
答えは、もはやたった一つしかない。
「……いいとも」
……もうさすがに古いな、これ。
ということで熱意に絆されて感化されて意気込んで、吉野に一言断ってとりあえず芽衣に電話をしたのだが……。
『いやいや。は? え? なんでそんなことになってんの?』
「それはだな……」
いや、その内容を説明しようがなくないか?
ギター弾こうとしているの秘密らしいし、吉野に好きな人がいるっていうのは赤崎は知ってたけど芽衣が知ってることか分からないし。当たり前だけど、今少し離れたところで買いたての雑誌をペラペラめくっている吉野に『芽衣に吉野の好きな人の話ってしてもいいんだっけ?』などと聞くわけにもいかないし。
「まあ、なんというか、吉野のためなんだよ」
『はあ……?』
分かってる、おれにもそれが期待された回答を満たしていないことくらいは。でも仕方ないのだ。
「当たり前だけど、別にやましいことはないからな? 吉野のお母さんも家にいるらしいし……」
『はあ!? な、なな、生々しいこと言わないでくんない!?』
「いや、生々しくならないように話してるんだけど……」
『逆に生々しくなるっての!』
うん、それも正論だ。芽衣はいつも正しい。
『だ、第一、今、夏織ちゃんになんて言って電話かけてんの? まさか、あたしに電話するとか言ってないよね?』
「そんなわけないだろ」
『そもそもがそんなわけない状況だから! それじゃあ、なんて言ってるの?』
なんてって……他にないだろ、と思うが。
「家族に一報入れたいから、って言ったよ」
そうおれが言うと、きゃんきゃんわーわーと騒いでいたスマホの向こう側が、水を打ったように静かになる。
「……芽衣?」
『か、かぞく……』
「また言語能力退化してるし……」
『……へ、へえ、家族ですか! そーですかそーですか』
投げやり風だけど、同じ言葉を反復した。……これは上機嫌ってことか?
『て、ていうか、なんで電話したの? LINEでもいいのに』
おれが様子を伺っていると、次の質問がきた。
「いや、そりゃ……なんていうか……。やましくないから、何も疑われたくないから、真っ向からちゃんと説明したかったっていうか」
『ふ、ふーん? そーですかそーですか』
また繰り返した。
「……とにかく、夕飯までには帰るよ」
『あ……当たり前でしょ!? ハンバーグの消費期限今日までなんだから!』
「そういえばそうだったな」
いや、そこじゃねえだろ、という感じもするけど。
『ねえ、勘太郎?』
「うん?」
さっきまでとは打って変わって囁くような芽衣の呼びかけにスマホの音量をカチカチと上げた。
すると、芽衣の声が鼓膜に直接落とされる。
『ちゃんと帰ってきてよ?』
……うぐ、可愛い。
「そ、そりゃ、当たり前だろ、おれ達の家なんだから」
不意打ちに倒れないよう咳払いを交えながら答える。
『そ、そっか。勘太郎の家、だもんね』
「……おれ達って言ってんだろ」
『ほぇ……?』
「……なんでもない、じゃあな、切るから」
『う、うん……! じゃね、勘太郎』
なんか、切りづらいったらねえな……。
『って、切りづらいよね。ごめんごめん。……またあとでね』
気遣い屋の芽衣はそう言って、向こうから電話を切ってくれた。
おれは画面を見て少し微笑んでから、スマホをポケットにしまって吉野のもとへ向かう。
「悪い、吉野。大丈夫だって」
「ねえ、今の電話、話し方的にもしかして……」
「ん?」
すると、驚愕の事実を知ってしまった、というような表情でこちらを見上げてくる吉野。
嘘だろ、おい、まさか聞かれたか……?
固唾を飲んでいると、吉野がそっと口を開く。
「……諏訪君って、めちゃくちゃマザコン?」
「はあ?」
肩透かしを食らってつい素っ頓狂な声で返すと、吉野はちょっと、いやかなり気色悪そうな顔をしておれに言う。
「いや、だって、終始、奥さんに電話してるみたいな顔してたよ……?」




