第19話:「『彼女』の目の前でデートの約束とは良い性格してるね」
『いつフラグ立てたの?』
左隣から突然、萌え袖に包まれた白魚のような手がすっと伸びてきて、そんな質問をおれのノートに書き込んだ。書いた本人同様に端正な文字だ。
「フラグ?」
おれは机の上を見たまま、ほとんど口パクだけの小声を出して顔をしかめる。彼女から出た言葉としては少し意外に感じた。
『吉野ちゃん!』
続きが書き込まれたのでその表情のまま顔をあげると、割と近い距離で赤崎がむっとした顔でこちらを見ていた。
吉野夏織に『諏訪君、今日の放課後って……あいてたり、する?』と意味ありげに聞かれたおれ(と赤崎)が「「それはどういう……?」」と聞きかけたところでちょうど数学教師が入ってきた。
「あ、先生来ちゃった。あとでね」
と、微笑みながら小さく手を振って授業を受ける体勢に入る吉野と、置いてけぼりを食らう赤崎とおれ。
真面目な吉野からは授業中はレスポンスがなさそうだと踏んだのか、そもそもおれへの誘いについて自分が聞くのも変だと思ったのか、それでもじっとしてはいられないらしい赤崎の詰問の矛先がおれに向かってきた。
ノート越しに緊急ミーティングが行われている。
『いつから?』
『分からない』
『接点あるっけ?』
『学祭委員』
『私以外とは困るよ』
『何が?』
『彼女』
文字に書こうとすると、声での会話よりもなるべく言葉を削ろうとするものだから、会話が成り立っているのか微妙な感じだが、とりあえずおれも応対していた、その時。
「……諏訪? 聞いてるか?」
「はいっ!」
教師に名前を呼ばれつい大声が出る。なんてド定番の流れをかましているんだおれってば。恥ずかしい……。
視界のはしっこには良い気味とばかりに笑う赤崎。ていうかなんでおれだけ注意されてんだよ……!
「なんだ、聞いてなかったのか?」
「キイテマシタ」
「ほう……じゃあ、今何の話してたか言ってみ?」
教師が試すように笑う。
「えーっと……」
実際は全く聞いていなかったわけで、当然もじもじとすることになる。困ったな……。
すると、おれの太もものあたりが、ツンツンとつつかれる。
見やると、赤崎がトントン、とおれのノートの上をペンで軽く叩いていた。
そこに書かれた言葉は。
『愛の話!』
はあ? と一瞬顔をしかめるが、すぐに赤崎の悪ふざけだと理解し、
「『虚数の i 』の話……ですよね」
と教師に向き直って答えた。
「なんだ、ざっくりしてるけど合ってはいるな……。まあとにかく、授業聞いておけよー?」
「はい、すみません……!」
目を細めて赤崎を見ると、肩をすくめて軽く舌を出してくる。
仕掛けが定番すぎるんだよ、おれだって仮にも一番上のクラスなんだから。あと本当にありがとうございました助かりました赤崎さんマジ天使。
一度目を付けられた後はさすがにやりにくくなったのか、赤崎のノート越しの詰問もストップして、二人して真面目に授業を受けた。
チャイムが鳴り、教師が出ていくと、生徒たちも教科書を持って席を立つ。
その流れで、
「じゃあねー、ななみん、諏訪君」
とかいいながら吉野が立ち去ろうとするので、
「ちょ、待てよ!」
と止めてしまった。
「うわ、キムタク?」
横から赤崎が茶々を入れてくるが、無視して吉野に向き直る。
「吉野、今日の放課後の話はどうなった……?」
「あちゃー、そうだったね! 今日の放課後、諏訪君、空いてる?」
「空いてるは空いてるけど……」
どうして? と聞きかけたところ、
「そっか、良かった! じゃあホームルーム終わったら諏訪君のクラスに行くから! もし先に終わったら教室で待ってて! それじゃ!」
と、にこやかに言って今度こそ本当に去っていった。
結局なんだったんだ……? 放課後に何があるんだ……?
大きな疑問符とともに、教室に二人取り残されたおれと赤崎。
「『彼女』の目の前でデートの約束とは良い性格してるね、勘太郎くん」
赤崎が呆れたように息をつく。
「いや、そんなこと言われても完全に吉野のペースだっただろ。ていうかデートとかそんなんじゃないだろうし。多分……」
「……まあ、心配はしてないけどね。吉野ちゃん、好きな人いるし」
「あ、そうなんだ。いや、ていうか、『心配』ってなんのだよ?」
「心配は、心配だよ」
その言葉選びに、昨日の夜おれを苦しめた悩みがもう一度首をもたげる。やっぱり、もしかして、赤崎はおれが赤崎以外と付き合わないか心配なのか……? 要するにそれって……。
「……なあ、赤崎」
「……つーん」
おれが覚悟を決めて真剣な顔で切り出そうとすると、赤崎はそっぽを向きながら目を閉じる。つーんって口に出すやつ初めて見たよ。
「何がご不満でしょうか……?」
「……呼び方」
片頬を膨らませてじとっとこちらを見てくる。あざといな。
「ああ……」
ていうか、悩みに拍車をかけるようなことをしてくるなあ……。
「えーっと、ナナミさん」
「はい、なあに?」
おれは周りを見回して誰もいないことを確認してから覚悟を決め、自分で言うのも恥ずかしいことを1日ぶりに口にする。
「……確認なんだけど、赤崎はおれのこと好きじゃないよな?」
すると、赤崎は心底呆れたような顔をしてため息をつく。
「勘太郎くんはニワトリかなんかなの? むしろ、一歩も歩いてないのに忘れてるから、ニワトリ以下?」
「はあ?」
「な・ま・え! また赤崎って呼んだ!」
そこまで言うと、赤崎はぷいっとそっぽを向いて教室を出ていく。
「いや、大事なのはそこじゃなくて!」
「知りません、次の授業に遅刻するので! さよなら!」
「おい……!」
足早に立ち去る赤崎。
だけど、その黒い長髪の隙間から見えたその口元は、なぜだか笑っているようだった。




