第17話:「勘太郎の心臓の音、うるさいよ」
……眠れない。
『もしかして七海ちゃん、勘太郎のこと好きなんじゃないの?』
先ほど芽衣に言われたその言葉が脳にこびりついたまま離れてくれない。
思いあがっているつもりはない。芽衣にそれを言われるまでは、というか、こうして寝床に入るまでは、おれもそんなことはまったく考えていなかった。
だけど、寝る前に今日のことをなんとなく反芻してみたところ、いくつか不可解な点が浮かび、そして赤崎の好意がおれに向いていると解釈するとその『不可解』が理解可能なものになっていく気がしたのだ。
例えば、人選。
『勘太郎くんがそんなに嘘とかつけるタイプじゃないことは分かってるし、人選も含めて私の責任というか、こんなことに付き合ってくれるだけで本当にありがたいよ』
だとしたら、なんで赤崎はおれを選んだのか?
『徹底した私への興味のなさが大事なんだよ』
と赤崎は言っていたが、それを出来るのは本当におれだけなのか?
逆に言えば、『おれが赤崎のことを好きにならない』という保証というか信頼というか、そういったものが赤崎の中にあるのはどうしてだ?
いや、むしろ、フラれた直後で傷心の男子など、赤崎みたいな整った顔の女子に特別扱いされて優しくされたらあっさり懐柔される可能性が高い。
事情が込み入ってるからそうならない自信がおれにはあるが、その事情については赤崎は知らないわけだし。
これは、傷心につけこんでおれとお近づきになろうとしていると考えるほうが自然では……?
なんて、ひとつ疑うと、続々と『赤崎、おれのこと好き説』の証拠になりそうな言動が浮かび上がってくる。気がする。
『……芽衣ちゃんは、幸せ者だね』というセリフから始まり、あのふにゃけた笑顔や、意味のあるかよく分からない名前呼びなど……。
疑問符だらけになった頭の中と、もしその説が正しいとしたらおれは何をどうするべきなのか、という未来への疑問。
そして、契約内容のひとつであるところの『二学期が終わったら勘太郎くんと芽衣ちゃんの恋をアシストしてあげる』というあの発言はなんなのか? という『そもそもやっぱり赤崎はおれのこと好きじゃない説』に一票を投じる意見。
いや、だけど、『二学期が終わるまでに傷心の勘太郎くんを落とすのなんてお茶の子さいさいチョチョイのちょいですよ』という赤崎の自信の可能性も……!
うおおおお…………!! なんなんだ赤崎七海……!!
……もう、だめだ。
バタバタと手足を動かした挙句、諦めたおれはパタリと動きを止めた。
雑念に部屋が支配された時は、寝よう寝ようなどとベッドの上でジタバタしていても仕方ない。
とりあえず牛乳でも温めて飲んでいったん忘れるに限る。
むくりと起き出して、扉を開けて下におりて、キッチンに向かう。
「「あ」」
すると、調理台の前に一つの人影。
ほとんど暗いので姿の詳細はよく分からないが、
「……芽衣?」「か、勘太郎……!」
この三択(母親、父親、芽衣)問題はかなり簡単だ。
「なんでこんな暗い中突っ立ってるんだよ」
といいながらおれが電気をつけようとすると、縮地さながらの速度で移動してきた芽衣がおれの手首をぎゅっとつかむ。
「つ、つけないで」
「お、おう……? どうして?」
「見られたくないから」
「あ、うん……」
おれはその瞬間、揺れた芽衣の髪からふわりと香るシャンプーの匂いに頭がくらくらしていたので、そんな相槌を打つことしか出来ない。
気づくとかなり近くにいる。下を見ると、芽衣と目があった。
暗い中だけどちょっとくらいは目が慣れてきているし、こんなに近くに寄るとさすがに見える。眼鏡をかけていて普段よりも髪の毛が広がった感じでこれはこれで……などと思っていると。
「み、見ないでってば」
「……!?」
芽衣がおれの胸元に額をうずめた。
「め、めいさん……!?」
顔を隠す意味での咄嗟の行動だったのだろう。
でも、だけど、しかし、だとしても。
なんてラッキーな瞬間がいきなり訪れているのだろうか……!?
おれの手首には芽衣の手のひらが巻きついていて、さらには左腕を回せば芽衣を腕の中におさめられるレベルの至近距離。
え、おれ、夢見てますか?
「な、なんでこんな夜中に起きてくるの……?」
おれの動揺などどこ吹く風なのかなんなのか、むしろ緊張した感じの芽衣が質問をしてくる。
「いや、ちょっと眠れなくて牛乳でも飲もうかと……。め、芽衣は?」
「……勘太郎と似たような感じ」
「そ、そうすか……!」
上っ面の会話になることを許して欲しい。今は、芽衣が頭をおれに預けてくれていると言う幸福を噛み締めるのに精一杯なのだ。
「勘太郎が来るなら降りてこなきゃ良かった……」
「ど、どうして……?」
おれは自分の選択を心からグッジョブと思ってますけども……!
「だってあたし、今寝癖とかついてるしお化粧もしてないし、絶対可愛くないもん……」
「いや、そんなことは……」
たとえ容姿が本調子じゃないとしても、なんか結果的に、行動の方が超絶小悪魔級になっちゃってるし……!
「ねえ……勘太郎?」
「は、はい……?」
「勘太郎の心臓の音、うるさいよ」
「う、うるせえよ……」
心臓、静かにしろ……! うるさいと恥ずかしいし、もしかしたらそれを理由に芽衣が離れてしまうかもしれない……!
いや、とはいえ、ずっと朝までこうしてるわけにもいかないよな!? どのタイミングで離れればいいのか? ん?
「め、芽衣も眠れなかったのか……?」
とりあえず長引かせようと思って質問をしてみる。
「うん、いろいろ考えちゃって」
「色々って……?」
「別に」
あれ、めんどくさいモード終わったんじゃなかったっけ……?
おれがわずかに首をかしげると、
「……でも、勘太郎のうるさい心音聴いたら、なんか、眠れるようになったかも」
と微笑んだ声音で言う。
「それまたなんで……?」
「なんか、信じられたっていうか、勘太郎がそれなら大丈夫っていうか……」
「どういうこと……?」
抽象的すぎて何も分からない。
「もう、勘太郎、質問ばっかり」
「いや、だって」
「自分の胸に手を当てて考えてみたら?」
「はい……?」
今その胸元には芽衣がいるんだけど……。
「ねえ勘太郎、目、つぶって」
「なんで?」
「みられたくないからに決まってるでしょ? ……朝までこうしてるわけにもいかないし」
「お、おお……」
おれがそっと目を閉じると、芽衣が離れた。ああ、残念だ……。
「へへ」
「……何がおかしい」
小さく可愛く笑った芽衣の声に、悪役に追い詰められた時の熱血主人公みたいなことを言ってしまう。
「ちゃんと目を閉じてくれて優しいなって思って。こんなに暗かったらあたし分からないのに」
「……なんだそれ」
そしてもう一度だけ「えへへ」と笑うと、おれの耳元で小さく、
「おやすみ、勘太郎」
と囁いて、今度こそ芽衣はとことこと離れていった。
おれはそっと目を開けて自分の胸に手をあててみる。
「心臓、本当にうるせえな……」
今夜眠ることは諦めたほうが良さそうだ。
おれは明日の一時間目を受け持つ数学の教師に向けて軽く頭を下げた。




