第15話:「……芽衣ちゃんは、幸せ者だね」
赤崎の左の手首を優しく押さえられたまま、駅までの道を並んで歩く。
「……もうよさそう、かな」
何度目かの角を曲がったあたりで周りをキョロキョロと見回した赤崎がおれの手首からそっと手を離した。気付いたらうちの生徒も近くにはいない。
うちの高校から最寄り駅までの道は碁盤の目のようになっていて、人それぞれでどこで曲がるかを気分ないし癖ないしポリシーで決めているため(要するにテキトーということだけど)、何度か曲がったところでなんとなくその道には自分だけということになることが多い。
「その……ごめん」
「え、何が?」
「その、恋人のフリ、うまく出来なくて……」
赤崎の演技力はさすがに規格外だったが、3年生の廊下で『好きじゃない』と言いそうになったのは、少し考えが足りなかった気がする。
おれが失態を謝ると、赤崎がふむ、と小さくため息を漏らす。
「もう、ほんとだよ。私くらい上手くやってくれないと」
「いや、それに関してはそっちが上手すぎるだろ……。ぞっとしたわ……」
「そうかな? でも、ちゃんとやってくれないと、契約破棄しちゃうよ?」
「それは困るなあ……」
おれが頬をかくと、吹き出すように赤崎が笑う。
「なんてね! あはは、冗談冗談。勘太郎くん、律儀だなあ」
歩きながら優しい表情になって続けた。
「勘太郎くんがそんなに嘘とかつけるタイプじゃないことは分かってるし、人選も含めて私の責任というか、こんなことに付き合ってくれるだけで本当にありがたいよ」
その言葉にほっと胸を撫で下ろす。良かった、怒られてはいないらしい。いや、怒られること自体は別にいいけど、契約が果たされないのは困る。
赤崎は、おれの顔をしげしげと眺めていたかと思うと、
「……芽衣ちゃんは、幸せ者だね」
ぽしょりと呟いた。
「なんだその含みのある言い方。え、赤崎、おれのこと好きじゃないよな?」
「な・な・み!」
「は?」
「赤崎じゃなくて七海って呼んでって言ってるでしょ?」
おれの質問をはぐらかして、赤崎はそんなどうでもいいことを指摘してくる。
「いや、もう周りに誰もいないんだからいいだろ」
「いやいや、勘太郎くんは嘘つくの下手なんだから、普段から名前で呼ぶ癖をつけておいてくれないと、大切なところでボロが出るでしょ? はい、リピートアフターミー。な・な・み!」
なんで英会話風……?
「ナナミ……」
「英語で頼んだからってカタコトにする必要はないんだけど」
「いやカタコトにしたつもりはないんだけど。おれ、普段女子のこと下の名前で呼ばないから口がそういう仕様になってないっていうか……」
言い訳がましくぶつぶつモゴモゴ口の中でつぶやく。
「でも、芽衣ちゃんのことは芽衣って呼んでるじゃない」
「そりゃ、芽衣は芽衣だから」
「ふーん? 特別なんだ?」
「……そりゃそうだろ」
「そうですかー」
なんとなく照れくさくなって黙り込む。
少し歩くと駅の階段に差し掛かった。
「なあ、赤崎」
「七海」
「ナナミ……」
「ん。なに?」
呼び直すと、優しく微笑んで赤崎が首を傾げる。
「これって毎日一緒に帰るのか?」
「そう思ってたけど、何か不都合でも?」
「いや、不都合ってことはないけど、たまに用事があったりもするからな……」
「用事って?」
真っ先に頭に浮かんだのは芽衣と夕飯の買い物したりホームセンターに行ったりすることだったが、それをそのまま伝えるわけにもいくまい。
「……夕飯の買い物したり」
って、『芽衣と』を抜いただけなんだけど。
「夜ご飯? へえ、勘太郎くんって家庭的なんだね」
「まあ、親が共働きだから」
「私の家も共働きだけど、一人の時はレンチンのハンバーグとかで済ませちゃうけどね。作ってるんだ?」
「おれも一人の時はレトルトのカレーとかそんなもんだったけど」
「……今、一人じゃないの?」
赤崎は訝しげに目を細める。やべ、ミスった。
「ひ、ひとりだよ! け、健康のバランスとかな! 気にし始めたんだよ!」
「ふーん……? 親御さんに内緒でペットでも飼い始めた?」
「な、なんで?」
「どう見ても目が泳いでるから。私、そんなの誰かに話したりしないよ?」
「そ、そんなんじゃねえよ」
隠し事をされていることが不満なのか、若干唇をとがらせた。
「ふーん。まあ勘太郎くんが親に内緒でイリオモテヤマネコを飼おうがツチノコを飼おうが私には関係ないけど」
「前者は飼ってたら法律違反だし後者だったら自慢したいから見に来てくれよ」
「まあ、たしかに毎日一緒に帰らなくてもいいかあ。ちょっとランダムなくらいがリアルなのかな? どう思う?」
自分がボケたくせにおれのツッコミをスルーして、妙なところで意見を求めてきた。
「いや、人と付き合ったことないから知らないけど」
「私も知らないんだよねえ。人と付き合ったことないから」
「え、そうなの?」
驚きで少しだけ声が裏返ってしまう。
「うん。だって高校入ってから私に彼氏が出来たって話聞いたことないでしょ?」
「いや、知らんけど。おれ元々噂話とか疎い方だし。でも、赤崎なら中学時代とか彼氏いそうと思ってたけど」
「……ううん、私、そんなんじゃないよ」
なんだか少し表情が翳った気がして、おれは慌てて補足する。
「別に赤崎のことを尻軽だとか言ったわけじゃないからな? 単純にモテそうって言っただけで……」
「へ?」
何それ? みたいな顔をする赤崎。
「いや、なんか嫌な言い方に聞こえたかなって……」
「ああ、そんなことないよ! なるほど、表情を暗くすると勘太郎くんは私を褒めてくれるのか……」
「なんかそれ、典型的なだめな関係性だな……」
「あはは。とりあえず今日はありがとう! それじゃ私はここで」
気づくと改札の前、赤崎は小さく手を振った。
「あれ、改札入らないの?」
「うん、駅の向こうでちょっと買い物して帰るから」
駅の向こうには洋服屋とかユニクロとか雑貨屋とかが入っている商業ビルがある。
「へえ、洋服とか?」
「……まあ、そんな感じかな」
「たしかに赤崎、私服とかすげえお洒落そうだもんな」
「もう、息をつくように女の子を口説くのやめたら?」
ジト目で見られて肩をすくめる。
「口説いてねえよ。じゃあ、買い物楽しんで。それじゃな、赤崎」
「七海だってば、もう……。じゃあね、勘太郎くん」
電車で数駅進み、家路を歩き、ふう、色々あったなあと思いながら自宅の扉を開ける。
「ただいまー……って、あれ?」
電気がついてなくて暗い。
あれ、芽衣は先に帰ってると思ってたんだけど……。夕飯の買い物してるところを追い越しちゃったとか?
首を傾げながらリビングの電気をつけると。
「ひぃっ!?」
ソファの上、制服のまま体育座りで、芽衣が大層不機嫌そうに頬を膨らませていた。
「い、いるなら言ってくれよ……!」
「……ずいぶんノリノリでしたね、勘太郎くん」




