第14話:「勘太郎くんだけなんだからね……?」
「勘太郎くん、行こっか」
「……どこに?」
ホームルームが終わると、綺麗なご尊顔に微笑みをたたえた赤崎七海がおれの席までやってきた。
「『どこに?』って……。つれないなあ勘太郎くんは。うーん、強いて言うなら3年生の階の廊下を通って学校の外かな。要するに、一緒に帰ろうって誘ってるんだよ」
「3年生の階の廊下って、1階の廊下のことか?」
「そうそう。まあ、だからどうせ通るんだけどね?」
「……なるほどな」
うちの学校は、1階に3年生、2階に2年生、3階に1年生の教室があるため、どちらにせよ3年生の教室の前を通るのだが、ここでそれをわざわざこんな持って回ったような言い方で強調したのは、その意味合いをもう一度おれに認識させたかったからだろう。
自分に言い寄ってくる先輩への対策として、赤崎はおれを偽の恋人に任命したわけで、これはその活動の一環だと、そう言いたいわけだ。
「分かった。じゃあ、行くか」
おれが立ち上がりながら、なんとなく窓際の芽衣の方を見ると、『勘太郎も大変だねえ』みたいな呆れ笑いにも似た表情を浮かべながら、
『が』『ん』『ば』『れ』
と、おれにだけ見えるように口で示してくる。
なんでこんなことを応援されてるんだかよく分からないけど、芽衣にそう言ってもらえると嬉しいし、みなぎってくる。よし、頑張っちゃうか。
「勘太郎くん、なんでニヤニヤしてるの?」
「ニヤニヤなんかしてねえよ」
おれは上がってしまっていたらしい口角を慌てておさえつけた。
……いや、ていうか『よし、頑張っちゃうか』じゃねえよおれ。
階段をおりて1階に着くと。
「腕、組んでもいい?」
そんなことをいいながら赤崎が、ポケットに手を突っ込んでいたおれの左手首あたりにその柔らかな手のひらを這わせる。
「いや、校内でそんなことするカップル少数派だろ……」
「そうかなあ?」
赤崎はそう言いながらもおれの手首から手を離さないまま、不満げに唇をとがらせた。
「……というか、ちょっとくらいドキッとしてくれてもいいんじゃない? 同い年の女の子からこんなわかりやすいスキンシップされてるんだから」
いや、そんなこと言ったって……。
「だっておれ赤崎のこと好きじゃ」「ありがとう勘太郎くん!」
「痛ぁっ!?」
おれがスキンシップにドキッとしない理由を説明しようとしたその瞬間、その言葉を遮ると共に手首の肉をキュウッとつままれた。
なにすんだよ!? と赤崎を見ると、なぜかおれの手首をつねった張本人はニコニコと笑みを浮かべている。
「でも、勘太郎くん、『好きじゃ』なんて、そんなおじいちゃんみたいな言葉遣いだったっけ? 照れ隠しかな? 可愛いなあ、もう」
赤崎のその意味不明な言動に一瞬首を傾げてから、はたと思い当たる。
そうか、ここはもう三年生の教室の前だ。
おれは赤崎の耳元に口を近づけて、右手を添えて、小声で尋ねる。
「もしかして例の先輩が近くにいたか?」
おれが顔を離すと、赤崎は相変わらずニコニコと笑いながら、今度はお返しとばかりにおれの耳元に唇を寄せてくる。
「あのさ、諏訪くん、相手が3年生の誰だとしても『好きじゃない』なんて聞かれたらダメだってことくらい分からないの? 馬鹿なの? 脳、仕事してる?」
そう囁いたあと、身体を引き戻してから、にへら、とふにゃけたような笑顔を作り、
「もーやだあ、勘太郎くんったら」
と甘えたように言ってくる。
あくまでも、恋人が周りに聞こえないように愛を囁きあっているという体を保とうとしているらしい。
「あははは……」
おれは引きつった笑みをなんとか返しながら、赤崎の演技力の高さに恐れ慄いていた。
なに、今の照れたようで嬉しそうで甘えたような極上の笑顔……。芽衣がこんな風に笑ったらおれ昇天してたかもしれないですよ。そんでもって、その極上の口元から出てきてたのただの罵声だったんだけど……。
この演技力、女子全員にデフォルトでついてるスキルだったらどうしよう……。
おれがおろおろしていると、
「それに、勘太郎くん? 私のことは『七海』って呼んでよ」
と、さらに甘えた声で要求を重ねてくる。
「え? な、ななみ?」
「うん。そう呼んで欲しいって言ったでしょ?」
「あ?」
赤崎の目が一瞬細められ、『同じミスを重ねたりしないよね?』という言外のプレッシャーをかけてくる。
「……ああ、そ、そうだったな」
すると赤崎はもう片方の手もおれの手首に回して、上目遣いでこちらを見上げた。
「私のこと名前呼びしていい男の子、勘太郎くんだけなんだからね……?」
まじかこいつ……!? どこまで追い討ちをかけてくるんだ……!?
「はい、呼んでみて?」
そういいながら小首を傾げ、妖艶かつ意地悪な微笑みを浮かべる。いや、これ、もはや楽しんでるだけでは……?
「な……」
あまりにじっと見られていて居心地が悪いの視線を逸らそうとすると、おれの腕をぎゅうっと引っ張る赤崎。
「私の目をまっすぐ見て言って?」
な、なんでですか……?
疑問符が脳内で高速の行進を始めるが、なんだかこの作業を少しでも早く終わらせないと、石化か何かしかねないので、おれは持っている自我を振り絞って声を出す。
「な、ナナミ……」
視線の外で何かバッグ的な重量の物が落ちる音がした気がするが、赤崎の瞳に射竦められて、そっちを見ることが出来なかった。
「うん、勘太郎くん!」
そして、名前を呼ばれて心底嬉しい、という笑顔(偽物だよね?)を浮かべてうなずきながら、片手でおれの腕を引っ張って歩き出す。
「じゃあ、行こっか!」
「あ、うん……」
結局校門を出るまで手首のあたりを握られたまま、いかにも出来立ての彼氏と帰宅できて嬉しいと言ったあどけない笑顔を浮かべた赤崎と並んで歩みを進めた。
「あれ、勘太郎くん、汗かいてる? さすがにドキドキして緊張しちゃった?」
悪戯な笑顔を向けてくる赤崎におれは、本心で答える。
「恐れから来る動悸と冷や汗だよ……」




