第10話:「そうでしょうそうでしょう」
「……遅い」
改札を出ると、柱に寄りかかっていた芽衣が少し頬を膨らませた。
「ごめん」
「何かあったの?」
歩き出しながら首を傾げてくる。
「いや、ちょっと野暮用で……」
「ふーん……? 七海ちゃん?」
「ん!? なんでそれを……」
「だって朝、七海ちゃんとこしょこしょ話してたじゃん。……いやらしい」
「いやらしくねえよ」
ジト目で見て来る芽衣から視線をそらす。いやらしかったとして、その原因はほとんど赤崎にある。
「ていうか朝、芽衣こそ、赤崎となんか話してたよな。……その、なんの話?」
「はあ? 別に普通の話しかしてないけど……?」
プライバシーの詮索ですか? とばかりに顔をしかめる。いや、先に聞いてきたのそっちだろうが。
「普通の話の割には芽衣の顔が引きつってた気がして、ちょっと気になって聞いただけ」
「顔? ああ、そ、それは、あの……」
「ん? どうした」
急にうろたえはじめた。
「ねえ、勘太郎。……七海ちゃんって昨日まで勘太郎のこと『諏訪くん』って呼んでたよね?」
「う、うん……」
「だよね……? なんか今朝、いきなり『勘太郎くん』って呼び始めてたから……。それで……」
「それで顔が引きつってたの? なんで?」
今後はおれが顔をしかめる番だった。
「ひ、引きつってたわけじゃない! び、びっくりしただけ!」
「そうすか……」
「な、なに、そのあきれたみたいな顔! 七海ちゃんと話しててあたしとの約束に遅れたくせに」
「時間の約束はしてないだろ……。まあ、あとで話すよ。カレー食いながらでも」
「え、話してくれるの?」
芽衣は、ふと、きょとんとした顔で首をかしげる。
「うん、まあ、芽衣にも関係ある話かもしれないし」
「そっか、そうなんだ……。分かった。へへ」
そして、なんだかよく分からないけど少し上機嫌になった。
駅前のスーパーに入り、おれが入り口近くの買い物カゴを持って歩き出すと。
「あ、勘太郎。カート使ったほうがいいよ?」
「え、大丈夫だろ」
「だめだめ。お米も買うしお茶もスーパーの方が安いから買っとくしカレーだから牛乳も買うし、重いものたくさんだよ」
「そう?」
おれはいつもそんなに大量の買い物をしないので、カートを使うという考え自体がなかった。あれって子供いる人が子供を乗せるためにあるのでは? くらいに思っていたんだけど。
おれがほけーっとしている間に芽衣はカートの下に一つカゴを乗せて引いてくる。
「はい、それ上に乗せて」
「ああ、うん」
気を取り直して、カートを押しながらスーパーの中を進み始めた。
「芽衣って結構料理とかするんだっけ?」
少なくとも料理が下手じゃないことは知っているが、芽衣のお母さんは専業主婦だし、そんなに料理する機会が多いようにも見えない。
「そんなにはしないよ。母の日とかにちょっとするくらいで……でもお母さんの手伝いでスーパーには来るかな」
「へえ。じゃあ、いい野菜の見分け方とか分かんの?」
「そういうのは全然分かんない」
「まあ、そうですよね」
世の中のどれくらいの人がそんなのわかるもんなんだろうな、と、首をかしげていると、芽衣がおれの裾をきゅっとつまんだ。
「勘太郎、幻滅した……?」
不安げに揺れる瞳。もう、なんでこいつはこんなに……。
「幻滅なんかするわけないだろ……」
「そう、ならいいけど……」
「ていうかおれはカレーに必要な具材の分量すら分かんねえよ。だから、ルーを先に買いに行こう」
「うん、それは賛成!」
ニコッと笑って歩き出した。
一通りのカレーの食材と、米を10kg、ペットボトルのお茶(2リットル)を2本、牛乳を2本カゴに入れて、レジに並ぶ。
カレーの食材を抜いても16キログラムは確実にあるってことか……。確かにカートがあってよかった。
「次のお客様」
「はーい」
レジでお会計の順番が回ってきて、緑のカゴを台に乗せた。
「レジ袋はご利用ですか?」
「あ、お願いしま」「持ってきてるので大丈夫です!」
答えようとしたおれを芽衣が遮る。
「え、持ってきてんの?」
「うん、エコバッグ持ってきた。偉いでしょ?」
「いや、本当に気が利くな」
さすが芽衣は地球環境にすら気が遣える。
「そうでしょうそうでしょう」
鼻高々になっている芽衣の横顔を見てなんだか心が穏やかになる。
なんだか微笑ましそうに眺めている店員さんにお金を払い、カゴを持って袋詰めする台に移動した。
「で、エコバッグはどこに?」
「じゃーん!」
そういいながら学生鞄の中から一生懸命折りたたんだと思われる大きな青い袋が一つ出てきた。
ていうか本当に大きい。
いや、だって、それ。
「イケアの袋じゃん」
イケアの袋はまじででかい。子供が入るくらいでかい。
「だってお米とか全部入れるなら大きい方がいいでしょ? 耐久性もあるし……」
「そうかもしれないけど、よくそんなの1日持ち歩いてたな」
「別に学校にいる間は持ち歩いてないし。大きいだけで重いわけじゃないし」
「分かった分かった」
なんかよくわからないけどイケア(の袋)の肩を持つ芽衣をいなしながら袋詰めの作業を開始する。
とはいえ、袋が大きいため、ほとんど何も考えずに入れていくだけですぐに作業が終わった。
「よし、じゃあ行くか」
と、袋を肩にかけて持ち上げようとしたところ。
「重っ!?」
そりゃそうだった。16キロ以上あるこの袋は、文化部のおれには力まないと持ち上げられない。
「え、勘太郎、大丈夫?」
「いや、無理な重さではない。ちょっと気合と心の準備の問題」
そう言いながら、肩にかけて、ゆっくりと歩き出した。
「一個しか袋持ってこなくてごめんね……? ちょっと考えればわかることだったのに……」
「いや、持ってきたのが超偉いよ、大丈夫だよ」
「うん、ありがとう……」
芽衣の気遣いをフイにしてなるものか、とお腹のあたりに力を入れる。
とはいえ、重いものは重い。
家路を2、3分進んだあたりで、袋をかけている肩を変えようと、一旦荷物を地面に置く。
「か、勘太郎。あたし、その、半分……持つよ」
「いや、半分持つって言ったって、袋一つしかないんだけど」
「だ、だから! 取っ手を半分持つって言ってんの……!」
そう言いながら自分の表情を隠すようにうつむきながら、片方の取っ手を持ち上げる。
「ほら、勘太郎、早くそっち持って」
「え、いや、だけど……」
こんな夕暮れ時に袋を半分ずつ持つなんてそんなの……。
「い、いいから!」
「分かったよ……」
仕方なく、おれももう半分を持って歩き出した。
「なあ、芽衣。やっぱり、これ」
「あたしは新婚さんみたいだなんて思ってないから!」
「おれはまだそんなこと言ってねえよ……。ていうか、顔赤くなってない?」
「これは荷物が重くて力んでるからだから! 別に照れてるわけじゃないから!」
今日も今日とて、芽衣は言ってないことを勝手に解釈してどんどん墓穴を掘っていた。




