290 最弱の男25――『しまったな』
ぬいぐるみのクマは耐えている。ぬいぐるみのクマの大きさは一メートルも無いくらいだろうか。ファイブスターの巨大なハサミと比べると豆粒のようだ。それが挟み潰されないよう必死に耐えている。萎んだ毛玉のような両腕をぷるぷると震わせて必死に耐えている。
『よく生きていたものだな。いや、アレは生きていると言えるのか?』
『まぁ、生きているんじゃないかしら?』
セラフが疑問に思うくらいなので微妙だが、それでもあのぬいぐるみのクマは生きているようだ。何日、あの状態だったのか。何日、海の中に浸かっていたのか。それでも生きているのだから恐ろしい生命力だ。それともあのクマのぬいぐるみはマシーンなのだろうか。そうなってくるとマシーンが人類に味方していることになるのだが……いや、もしかすると海賊連中はバンディットと同じで人類というくくりから抜け出した存在なのかもしれない。
俺は銛を構えたまま、こちらを見ているフラスコを見る。頭のおかしな連中だ。その可能性は充分にあるだろう。
こちらを見ている?
『しまったな』
『あらあら、急にどうしたのかしら』
俺は自分の足を見る。すでに毛深い人狼の足から元の人の足へと戻っている。
……。
人狼化した影響で袴のようなズボンは破れ、短くなっていた。俺の足が剥き出しになっている。
『ドラゴンベインから着替えを持ってくるべきだったろう?』
『はいはい。そうね』
セラフはどうでも良いことのように流しているが、これは重要なことだろう?
ファイブスターが動く。ぬいぐるみのクマを挟んだハサミをガンガンと岩に叩きつける。ハサミが閉まらないことに違和感を覚えているのかもしれない。傍から見る分には一度開けば良いだけだろう、と思うのだが、ファイブスターにはそこまで考える脳が無いのかもしれない。それともハサミを開け、クマのぬいぐるみに逃げられることを危惧しているのだろうか。
……。
脳が損傷しようが関係無く動く代物に常識を当てはめても仕方ないかもしれない。考えるだけ無駄か。
ハサミの違和感は無くすことが出来ないと理解したのか、ファイブスターが改めて背中にある五つの星のような突起をこちらへと向ける。
「不味い、不味いぜぇぇ! ガムさん、もう一度、さっきのをよぉぉぉ!」
フラスコが叫ぶ。
「いや、後退してくれ」
俺はグラスホッパー号の座席の上で腕を組む。グラムノートの次弾装填が終わるまで回避に徹するべきだろう。
と、その時だった。
「そこをぉぉ、どきなあああぁ!」
甲板で筋肉女が仁王立ちした船がこちらへと突っ込んでくる。
後退するスワンボートと入れ替わるように筋肉女の船が前に出る。その筋肉女の船に飛んできた五つの星が突き刺さる。何か策でもあるのかと思ったが、勢いだけで、無策だったようだ。
「これしきで! あたいの船が沈むかぁぁ!」
先ほどの攻撃で穴の開いた筋肉女の船がゆっくりと沈み始めている。
「お前ら! 砲撃用意!」
筋肉女の言葉に応えて、船の船首が開き、そこから砲身が伸びる。
『あれは! 現存していたなんて!』
何処か興奮した様子でセラフが反応する。
『知っているのか?』
『ふふん。あれはユニコーンランスね。砲撃の威力を上げるために限界までエネルギーを充填して射出するタイプの大砲よ。その機構が面白くて、エネルギー効率を上げるために、見えるでしょ。あの螺旋がエネルギーの流れを――という訳で、アレはパンドラを用いない武器としては破格の性能を持っているわ。あの船の中でどうやってエネルギーを確保しているのか気になるところね』
『それで凄いのか?』
『威力で言えばグラムノートの十分の一ってところかしら』
『そうか』
余りたいしたことはないようだ。骨董品的価値がある武器なのだろう。
筋肉女の船から現れたユニコーンランスとやらにエネルギーが充填されていく。随分と発動に時間がかかる代物のようだ。その間にグラムノートをもう一発くらいは放つことが出来るだろう。
「姐さん! 追加が!」
ファイブスターを守るように追加でパインクラブが現れる。そして、その背中の突起から棘が射出される。
筋肉女の船は避けない。いや、砲撃の準備をしている状態では動くことが出来ないのかもしれない。
直撃する。船の一部が抉れ、その中が露わになる。そこでは自転車のようなものを必死に漕いでいる船員の姿があった。
『もしかして人力でエネルギーを溜めているのか』
『そのようね』
だからエネルギーの充填が遅いのか。
これは俺たちが前に出て攻撃をした方が早いかもしれない。
「そこの短パン小僧、そこであたいらの力を見ていな!」
筋肉女がこちらまで聞こえる声で叫ぶ。
『短パン小僧? 誰のことだ?』
『ふふん。お前のことでしょ』
俺は肩を竦める。筋肉女は俺の手助けが要らないようだ。
甲板の筋肉女が鎖の付いた鉄球を引っ張り出し、それを振り回す。その勢いのまま投げ放つ。
筋肉女の投げ放った鉄球がパインクラブの甲殻を砕く。
『凄い威力だな』
俺は単純に感心する。蟹に届かせたこともそうだが、硬そうな甲殻を砕いたことも驚きだ。
「もう一発くらいな!」
筋肉女が次の鉄球を投げ放つ。
それはファイブスターの飛び出た目に当たり、それを折る。
『いくらファイブスターが大きいと言っても、当てるのか。凄いな』
『ふふん。目に当たったのは偶然でしょ』
『しかし、これで奴は片目になった。次はもう片方の目を狙うべきか?』
『あらあら。アレが目が見えなくなったくらいで動きを止めると思っているのかしら』
俺はセラフの言葉に肩を竦める。脳が損傷してもお構いなしな化け物だ。見えないくらい気にしないかもしれない。
「姉御、装填完了ですぜ!」
「よっしゃ! ファイブスターくらいな! 百二十パーセントじゅーしぃ砲発射ぁぁ!」
筋肉女の号令とともに船からエネルギーが射出される。エネルギーは鯨島の上に陣取ったファイブスターに直撃し、その表面を焦した。
『セラフ、アレは?』
『ふふん。訂正するわ。グラムノートの十分の一以下ね』
本当にただファイブスターの表面を焦しただけのようだ。まだ筋肉女自身が投げ放った鉄球の方がダメージを与えている。
こいつらがファイブスターに勝てない訳だ。これは無理だろう。
「撤収、撤収だ! お前ら撤収!」
「姐さん! 船が動きやせん!」
筋肉女の船はゆっくりと沈んでいる。
ファイブスターが動く。ハサミを動かし、それを口へと運ぶ。
もしゃもしゃもしゃ。
ファイブスターがクマのぬいぐるみを食べる。
「せ、船長ぉぉぉぉ!」
フラスコが叫ぶ。
『食べられたな』
『え、ええ』
クマのぬいぐるみのような船長は食べられてしまった。何故、今更、そんな行動を? と思うが、それだけファイブスターが馬鹿なのかもしれない。考えたら駄目なヤツなのだろう。
船長は食べられてしまったが俺の受けた依頼に船長の救出は含まれていない。残念だが、起きてしまったことは仕方ない。
「フラスコ、前に出ろ」
グラムノートの充填は終わっている。
「船長の仇! 仇だぁぁぁ!」
ファイブスターが、挟まっていた物が取れ、自由になったハサミを持ち上げる。アレを海面に叩きつけるつもりなのだろう。それをやられてしまうと身動きが取れなくなってしまう。
『ふふん。それなら狙うべき場所は一つでしょ』
『ああ』
グラムノートに黒い球体が生まれる。その球体が一瞬にして圧縮され、砲身と砲身の間から撃ち出される。
黒い閃光が走る。
次の瞬間にはファイブスターのハサミが宙を舞っていた。これで奴の攻撃手段は背中の突起だけだ。
『思ったほど強くないな』
『あらあら? 油断しているのかしら』
セラフも余裕そうだ。
あまり強くないと感じるが、よく考えれば、それも当然だろう。元々の賞金額は十二万コイルだ。俺が戦った巨大なヨロイ、アクシードのドラゴンフライとやらより少し上程度だ。ガロウよりは大きく下がる。
金額を考えればこんなものなのかもしれない。
2022年8月29日誤字修正
鉄球の砲が → 鉄球の方が




