288 最弱の男23――『蟹なら杯じゃないのか?』
戦闘を終え、スワンボートが動き出す。
「その蟹にこの船の船長はやられたのか」
フラスコが落ち込むように下を向き、少し溜め、ゆっくりとその顔を上げる。
「少し長くなりますが、聞いて欲しいですね」
「長くなるなら不要だ」
「それは、僕がまだ新人の航海士としてこの船に乗った時のことでした」
フラスコは俺の言葉を無視してしゃべり始める。
「――そうして、船長に拾われた僕は漁業組合に入ったんです。最初は熊のような船長に圧倒されるばかりだったんですよ」
熊? ホワイト船長とやらは、かなり大柄な人物だったようだ。
「あの頃は、まだ僕以外にも多くの船員が居たんですよ。今でもみんなのことを覚えています。陽気な銛撃ちのダゴー、機械いじりが大好きなクエイク、僕に海図の見方を教えてくれた――」
フラスコはワインを片手に喋り続ける。
『あらあら、聞いてあげたらどうなの? 目的地に着くまでのいい時間潰しでしょ』
『酔っ払いの昔話を真面目に聞く必要は無いだろう。絡まれてもうんざりするだけだ』
俺は肩を竦め、カウンターに置かれた椅子に深くもたれかかる。
「ここでみんなと朝まで飲み明かしたことを覚えています。あの頃は楽しかった、楽しかったんですよ。それも奴が現れるまででした。パインクラブの大型種、ファイブスター! 襲撃は突然でした。奴の襲撃で多くの船と船員が犠牲になったんですよ。そこから船長と僕たちの復讐が始まったんですよね」
俺は窓の外を見る。スワンボートは一生懸命に箱を運び、海の上を進んでいる。ファイブスターの棲息域を目指して、ちゃんと進んでいるようだ。
「また一人、また一人、ファイブスターの魔の手に! 船員がやられて……それでも船長と僕は諦めませんでした。ついに最後の決戦に挑み、ですが、そこで……そして敗れたんですよ。船長は僕を逃すために、ファイブスターに特攻して……」
フラスコの話は続いている。
『船長が特攻したそうだが、船を残してどうやって特攻したと思う?』
『さあ? その船長とやらを銛か何かに縛り付けてファイブスター目掛けて撃ち放ったんでしょ』
俺は肩を竦める。
「残された僕はウォーミのオフィスに助けを求めたんですよね。ですが、誰も話を聞いてくれません。丘の連中はタマ無しなので、それは仕方ないんですが、僕は困りました。その時、あいつなら、と話してくれたのがシュガーでした。そして、それがガムさん、あなただったんですよ」
フラスコが誰も居ない方を向いて指差している。かなり酔っているようだ。
『ウォーミのクロウズなら――あのターなんとかなら引き受けそうだが?』
『たまたま遠征にでも行っていたんでしょ』
『それで、このフラスコの長話は本当だと思うか?』
『さあ?』
セラフはそのことについてはあまり興味が無いようだ。
……。
クロウズが気にするべきなのは賞金首の情報とどうやって倒すか、だな。その他のことはオマケでしか無いだろう。この眼鏡の事情に興味が無いのは俺も一緒だ。
「要約するとお前を残して船員は全員やられた。復讐したい――そういうことだな?」
俺はフラスコの長話を打ち切るためにも長話をまとめる。
「違いますよぉ、ちゃんと聞いていたんですか! 僕が言っているのはですねぇ、あの時、ダゴーが言ったことなんですよ。船長は僕に逃げろと言った思うんですよ、そこをどう思ってるんですか? だから……」
どうやらフラスコは完全に酔っているようだ。酢になったワインでよく酔えると思うが、雰囲気だけで酔ってしまう人間もいるくらいだ、こいつもその類なのだろう。
やがてゴツゴツとした岩の塊が並ぶ海域に出る。そろそろなのだろうか。
「そろそろファイブスターが棲息している鯨島ですよ。油断しないでくださいよ。丘の奴には分からないかもしれませんが、海は一瞬の油断で死に繋がるんですよね」
フラスコはすとんと表情を変え、真面目な顔に戻り、そんなことを言っている。
「そうか」
俺は肩を竦める。
岩の並ぶ海域を見る。
そこには先行していた他の船の姿もあった。
「おいこら、クソ眼鏡ぇ!」
その船――船乗りの一人が拡声器のようなものを持ち、叫んでいた。
「ガムさん、ちょっと行ってきます」
フラスコが眼鏡を光らせ、スワンボートの方へと移動する。
「タマ無しがどうしたんです? もしかして怖くなったんですか? 丘で暮らした方がいいですよね」
スワンボートの屋根に登ったフラスコがニヤニヤと笑いながらそんなことを言っている。
「ば、馬鹿野郎! お前を待ってやってたんだろうがぁ!」
「クソ眼鏡、死ね」
「お前のために先攻を譲ってやる」
「感謝しろ!」
「そうだぞ、クソ眼鏡!」
船員たちは好き好きに叫んでいる。どうやら俺たちに先陣を切らせて進ませたいようだ。囮にするつもりだろうか。
『ふふん。そのようね。周囲に多数の反応があるから』
『なるほど。海中か』
敵は海中に潜んでいるようだ。
「タマ無しとの違いを見せてやりますよ」
どうやらフラスコはこのまま進むようだ。狙いがあってのことなのか、それとも売り言葉に買い言葉で引くに引けなくなったのか。
スワンボートが海を掻き分け進む。
そして、周囲の海中から、俺たちを待ち構えていたかのようにいくつもの大きなハサミが現れる。パインクラブだ。
俺はグラスホッパー号に乗り込み、いつでも攻撃が出来るように身構える。だが、箱は開かない。
スワンボートが進む。
「ひゃはー、蟹漁だぜぇ! 蟹、カニ、かにいぃぃ!」
フラスコがバンディットのような雄叫びを上げている。
スワンボートがパインクラブの長く伸びた足を躱し、ハサミの叩きつけを躱し、突如吹き上がる水柱を躱し、進む。
やがて大きな岩をくり抜いたような島が見えてくる。あれが鯨島だろう。
海上へと姿を現した5メートルクラスのパインクラブたちがスワンボートを追いかける。その数は数え切れないほどだ。
『ふふん、全部で32匹ね』
『蟹なら杯じゃないのか?』
『蟹の姿をしたビーストでしょ』
俺は肩を竦める。
先攻する俺たちを追いかけるように他の船も動き出す。俺たちを追いかける蟹を追いかける船たち――つまり挟み撃ちの形になる。
「何枚でも殺してやるぜ」
「とりあえずこっちの三枚は任せろ」
「俺はこっちの二枚だ」
船員たちが叫び、船から樽を落としている。
『あらあら、ここではあの蟹を枚で数えているみたいね』
何故かセラフは得意気な様子でそんなことを言っていた。




