第二十六話
洞窟の入り口に立ってみれば、かつてクロと一緒に探索した洞窟とはまるで違っていることに気付く。あちらは見るからに自然に出来た洞窟だったが、ここは明らかに人の手が入っている。
洞口部は崩れないよう木で補強されており、何かの呪いなのか奇妙な刻印が見て取れた。その補強用の木材は今でも頑強に姿を残している。周囲に転がる朽ちた木に比べれば頼もしいと同時に何とも不思議なものだと思った。
謎めいた刻印を横目に、洞窟へと足を踏み入れていく。洞窟内は予想よりも広く、オーガの巨体でも問題なく進むことが出来た。松明は想像以上の明るさで周囲を照らしだし、足元も問題なく確認できる。
壁や天井にも崩落防止用の木材が組まれ、僅かな経年劣化が見られるものの、洞窟の洞口部と同様にしっかりと機能している。
「どうして形を保っているのだろう」
湧き出る疑問がついに言葉となり、トールは小さく呟いた。洞窟の前の光景を思い出せば、ここは時間の流れが違うのではないかという突飛な推測すら出てきそうだった。
「それは、この木材が堅牢魔法の恩恵を受けているからよ」
誰に問いかけたわけでもなかったが、答えてくれたのはシアだった。
「堅牢魔法?」
「ええ。所々に刻印があるでしょう? これは堅牢魔法の効果を補助する呪印なの」
壁際に飛び上がったシアが、そのまま一部を指さした。文字のようにも見えるし、紋様のようにも見える。何とも奇妙で興味深い刻印であるが、よくよく見てみれば、左右の壁や天井の木材にも似たようなものが点在している。
続けて、シアは堅牢魔法についても教えてくれた。彼女によれば、堅牢魔法とは耐久性や強靭性を飛躍的に向上させる強化魔法の一種だという。効果が高いわりに魔法自体は簡単であり、武器防具から日用品、さらには建築物にも使用されているとのことだった。
「それに、この樹海は精霊がとても多いから必要性も高いわ」
「精霊が?」
「ええ。精霊が豊富な土地は恩恵も多いけど、物質の腐朽も速くなる。堅牢魔法はそれらに抵抗する効果もあるの」
精霊が多く活動する土地は自然の豊かさを享受できる。一方、石材や木材などは非常に早く劣化するという。また、動物の死骸などもあっという間に土に還るらしい。
その話を聞いて思い出したのが、別の洞窟で見つけた白骨化した遺体だ。クロが最後に見かけてから二月ほど後には完全な白骨体になっていて、人体がこんな短時間で白骨化するのかと疑問に思ったことがある。おそらく、あれにも精霊が関係しているのだろう。
動物や植物の状態、それに環境にも影響されるため一概には言えないが、精霊が活発な場所は自然のサイクルが速いと考えてよさそうだ。
貴金属すら跡形もなく消えてしまう特異な土地すらあるというのだから、この世界への興味は尽きることがない。
「外にあった朽ちた木材は、堅牢魔法すら突破されてしまった結果ね」
「万能ではない、ということか」
「永遠に効果が残るわけでもないし、魔法を使用した魔導師の腕も関係するしね」
そう言いながらシアは小さな手で呪印に触れた。ゆっくりと刻まれた印をなぞると、淡い光がふわりと零れて儚く消えていった。
「これは今もちゃんと機能してる。魔法自体も緻密だし、魔力もしっかりと込められている。腕の良い魔導師に依頼したみたいね」
洞窟を補強している木材の呪印は、その堅牢魔法の効果を増強させるために刻まれている。また、経年により衰えてしまう魔法効果を長期にわたり持続させる意味もあるらしい。呪印は周囲の魔素を吸収し、魔力に変換することで自動的に堅牢魔法を補助してくれるというのだから驚きだ。
この世界では魔法という不思議な力を巧みに扱い、日々の暮らしに役立てているようだ。異世界を逞しく生きている人々には感服するばかりである。
「なんと、そんなことまで分かるのか」
「これでも魔法については造詣が深いつもりよ。ほら、松明の火にだって負けてない」
そこでトールは右手に持つ松明の火が天井に届いていること気付いた。ただの木材ならば燃え移ってもおかしくないのに、明かりに照らされてるだけかのように無傷だった。
「おお、本当だ。これが堅牢魔法か、凄いなぁ」
異世界の魔法に改めて触れ、トールはただ感嘆するばかりだった。
「アナも、これぐらい魔法に興味を持ってくれるといいんだけれど……」
恐る恐る触ってみたり軽く叩いたりしていると、シアが溜息混じりに振り向くのが見えた。
彼女の視線の先には興味深そうに鼻先を木材に向けているクロと、その頭の上で欠伸をしているアナの姿があった。
「もう。呪印には危険なものもあるのだから、ちゃんと知っておかないと痛い目を見るわよ」
「分かってはいるんだけど、どれも同じに見えるのよね」
あははと笑顔を浮かべるアナに、シアは天を仰ぐように頭を抱えてしまった。
「呪印にも種類があるのかい?」
代わりに目を輝かせて問いかけたのはトールであった。
「ええ。こういった魔法効果を持続させるだけでなく、魔法そのものを発動させる呪印もあるの」
「魔法そのもの?」
「例えば、一定の距離に誰かが近づいたら拘束魔法が発動する、みたい感じね」
シアの話によれば、呪印の形を見ればどのような魔法が効果を発揮しているか分かるらしい。こういった魔法の補助をする呪印ならば危険は少ないが、中には罠のような魔法を発動するものもあるという事だ。
また、欺瞞を施すことで無害な呪印として見えるようにも出来るという。それなりに高い技能と知識が必要とのことだが、そういった技術も発展しているとは何とも魔法の世界も奥が深いものだ。
『シアって魔法のことになると楽しそうだよね』
「うん。シアは魔法にすっごく詳しいの。でもって教えたがりだからさ、トールさんに説明したりするのが楽しくて仕方ないみたい」
『トールも楽しそうだもんね』
「トールさんが聞き役になってくれるから、わたしも助かるわ」
そんな能天気な会話も響かせながら、一行は賑やかに洞窟を進んでいった。
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洞窟を足取り軽く歩いていた一行の目に微かな光が見えてきたのは、妖精の魔法講座が一区切りついた時であった。迂回するように曲がっている道を進んでいくと、目に飛び込んできたのは大きく開けた空間だった。
崩れてしまったのか、それとも最初から光を取り込むためなのか。天井の一部には穴があり、そこから陽光が差し込んでいる。それも複数あるために、洞窟内とは思えないほど明るかった。
驚くトール達の視線は、その空間の奥へと注がれていた。何かを採掘するためだろうか。木で組まれた足場は今もしっかりと残っており、所々にツルハシやシャベルが置かれている。使い古されているが問題なく使用できそうな物から、錆び付き朽ちつつある物まで様々であった。
「ここは……鉱山か?」
鉱石や鉱物を採掘するための場所だとトールは推測した。実際に目にするのは人間の頃を含めても初めてだが、この光景を前にすればそれ以外は浮かびそうにもない。
「ねぇ、シア。ここって精霊さんが少なくない?」
「そうね。こういった場所には地の精霊が多く住まうものだけど……」
一方、妖精から見ると何か気掛かりがあるのか二人揃って首を傾げていた。
「精霊が少ない?」
「ええ。地の精霊は鉱物や宝石に惹かれることが多いの。だから鉱山や炭鉱などは精霊の活動が活発なのよね」
「でもここは全然! もしかして別の物を掘ってたのかな?」
博識な妖精たちが不思議がっているのを横目にしていると、クロがさっと駆け出していくのが見えた。
「クロ?」
むき出しの岩壁に鼻先を向け、気になる何かがあるのか岩肌をじっと見つめている。
『ねぇトール。この壁、ちょっと変わった色をしているよ』
光源があるから明るいとはいえ、洞窟内の全てを照らしているわけではない。特に足場が組まれている岩肌は暗く、一部には全く光が当たらない場所もあった。
クロに近づいたトールは、手にした松明を壁へ向けた。その光によって照らし出されたのは、やや桜色が混ざった白い塊であった。目の前の物だけでなく、それは岩肌のあちらこちらで見て取れた。
「……これ、岩塩じゃないか?」
何だろうと目を凝らしていたトールだが、ふと人間だった頃に友人から貰った土産物を思い出した。海外の土産物屋で買ったという岩塩が、ちょうどこのような色合いをしていたような気がした。爪の先で白い塊を引っ掻いてみると、粗い粒となってパラパラと地面に落ちていく。
その粒を指先につけて舐めた瞬間、どこか懐かしい塩辛さが全身を駆け抜けていった。
「おお、やはりだ! となると、これは全て岩塩なのか」
鉱石を採掘するための足場だと思ったが、ここはどうやら岩塩抗のようだ。かつては人間か、あるいはエルフが岩塩の採掘に従事していたのだろうか。この洞窟に至る道すがらにあった轍は、岩塩を運ぶ荷車のものだったのかもしれない。
「岩塩ってこんな感じで採れるの? 凄い、初めて見た!」
「私も……何とも不思議な光景ねぇ」
妖精達も岩塩の採掘場は見たことがないらしく、飛び回っては興味深そうに眺めていた。
「塩があれば食事に少し手を加えられるかな。よし、採掘していこうか!」
アーリス砦には残念ながら調味料は残されていなかった。岩塩があれば、ちょっとした味付けが出来るはずだ。
トールは立てかけられていたツルハシを拝借し、柄や金属製の鋭い先端を確認していく。長い間放置されていたとは思えないほど状態は良い。じっと観察してみると、金属部に呪印が刻まれているのが分かった。
「シア。ここに呪印があるという事は、これにも堅牢魔法が掛けられているのかい?」
「えっと……そうね。そこまで上等なものではないけれど、魔法の効果が発揮されているわ」
「そうか。さっき見た呪印に似ているから、そうかなと思ったんだ」
「ふふ、トールさんは本当に魔法に興味があるのね」
シアには微笑ましそうに見られてしまったが、トールは興味が尽きない魔法が面白くて仕方がなかった。今後も色々とシアに教えて貰おうと思いつつ、手にしたツルハシの柄を壊さないよう力を調節して握り締めた。
「それじゃ、掘ってみよう。みんな、ちょっと下がってくれ」
人間ならば両手で振り下ろす必要があるツルハシも、トールの巨体ならば片手で振り回せる。とはいえ、こういった採掘作業は初めてのことだ。危険がないように皆を下がらせてから、ツルハシの先端を岩肌に叩きつけた。
最初は力を抜きすぎてしまい失敗したが、二度三度と繰り返す内にだんだんとコツが掴めてきた。クロ達はトールの作業を期待と不安が入り混じったような表情で見守っている。
そして、遂に岩塩を含んだ大きな塊が掘り出された。おおー、と歓声が上がるや近づいてきたのはクロとアナであった。
「へぇー、これが岩塩なのね」
『これで何か出来るの?』
「そうだなぁ。肉の味付けに使えると思う。きっと今までよりも美味しくなるぞ」
これまで食べてきた食材も一味違って楽しめるはずだ。下味だけでなく、干し肉のような保存食も作れるかもしれない。
そんなトールの説明に、クロだけでなくアナも目を輝かせた。クロは尻尾を大きく振り、アナは背中の翅をゆらゆらと揺らしている。その後ろではシアがにこりと笑っていた。
小さく可憐な姿形から受ける印象とは異なり、妖精は驚くほど健啖だ。もちろん巨体であるトールやクロに比べれば少量であるが、それでも想像以上であった。
妖精というイメージから果物や菓子といった甘味が好みかと思いきや、焼いた肉や芋、木の実にキノコなど好き嫌いなく口にしている。ちなみにシアは炒ったウイカの実が、アナは猪や鹿などの心臓が大好きである。
そもそも妖精は食事を行わずとも、魔素さえあれば生存可能である。しかし、二人の妖精は欠かさず飲食を行っている。その理由を訊いてみたところ、答えは「食事はこの上ない娯楽だから」であった。
最果ての森に辿り着く前はそれほど重要視していなかったが、トール達と出会った事で大きく変わることになったとか。その結果、今の二人にとっては美味しい物を食べることが楽しくて仕方がないらしい。
「この洞窟の最奥は此処みたいだし、一度戻ろうか」
大きな岩塩の塊を籠に入れてから、トールは皆に告げた。謎の洞窟の探索は思った以上に早く終わったが、命を危険にさらすような冒険にならなくてよかったと安堵の息を吐いた
「あーあ、こんなもんかぁ」
「こんなものでちょうどいいのよ」
『僕は楽しかったよ! トール、また来ようね!』
「ああ。危険も無さそうだし、また遊びに来よう」
来た時と何ら変わらぬ賑やかさのまま、トールは岩塩を入れて重くなった籠を肩に引っ掛けた。火が点いたまま壁に立てかけていた松明もまだ持ちそうだ。この様子ならば予備の松明の出番はない。次に訪れる時はもっと簡易な照明で事足りるだろう。
最後にぐるりと周囲を見回してから、オーガを先頭とした一行は洞窟の出口に向かって歩き出した。
その帰り道。
怪物と魔物と妖精で構成された奇妙なパーティの小さな冒険は、もう一つの発見をすることとなる。




