70 明日羅
『まさか……、彼女が……、ウルスラが……』
うわ言かのようにハークは繰り返した。
彼女のこれまでは非常に波乱万丈で紆余曲折、試練の連続、激動浮沈の多い半生であったか、といえば実のところそうでもない。
前半の先端の更に先端部、誕生してより百年足らずまでであるならば、先の表現にも見合っていたものであった。
巨大な帝国の独裁者の娘として生を受けながらも実験用の生命として扱われ、十数年後に自身が一切望む事もないままその国の支配者の座に就いた後、影武者と入れ替わる形で女王の座を託して歴史の表舞台から姿を消す。
ここまでは確かに怒涛とすら言える半生だった。だが、ウルスラは以降、非常に平坦な道を歩む。
無論、客観的な第三者の視点からであり、本人にとってみれば平坦という評価など本来は受け入れざるものであるのかも知れない。しかし、少なくともその後40年、幼馴染のレトと共に諸国を漫遊して更に約一千年に渡る間までの彼女は、本当に目立った活躍や功績の一つも成さなかったのである。
ウルスラ自身が極力他者の眼に留まらぬよう慎んだ行動を常に心掛けていたことが最も大きい要因だった。元から過度に出しゃばらず、大人しい性格の持ち主である。年月が経とうとそれは変わらなかった。ただ、そもそもが注目を受けるほどの傑出した実力の持ち主ではなかったからでもあった。
何もしなくとも強い最強種とは違い、寿命というものが無いだけの人間であったからであった。努力をしなければ決して強くは成長できない、ただの一点以外は全く普通の人間種であったからである。彼女の実力はずっと各世代において、平均より少し勝る程度だった。
おまけに冒険者として活動するのは旅や生活をするための資金が底を尽きかける頃合くらい。
これでは他者からの注目を受けるどころかその機会さえ無いに等しい。更にウルスラは不死ではなかったものの限りなく不老に近い存在でもある。100年経過しても見た目が変わらないのだ。おかげで彼女は十年に一度程度のサイクルで住処や拠点を変えなければならなかった。
そうしているうちに、ウルスラは友人はおろか知人すら失くしてしまった。千年以上も経てばエルフでさえ生きてはいられない。もはやモーデル王国や、バアル帝国だった場所に戻ろうとも、知り合いどころか自分を記憶する人間にすら出会えなくなってしまう。
孤独は、人によっては慣れることもできる。
が、ウルスラにとってはゆっくりと精神を疲弊させるものであった。やがて昔を懐かしみ、切望するようになっていく。則ち、ハーク達と共にあった時代である。
有り余る時間を使って、彼女は一つの魔法の開発に着手した。
それは失った過去を取り戻す魔法。つまりは時間に干渉する魔法であった。
空前絶後の無理難題であった筈である。だが、彼女にとって有利な点があった。それは研究に対する時間が有限ではなかったことと、光の属性を操れたことだった。
光の属性は複数の属性を組み合わせることで使用が可能となる。ウルスラは元から複数どころか全属性を操ることが可能だったのだ。
長い時間の末、彼女は一つの結論に辿り着く。もし、光を完全に操れるのならば、光の速度で干渉することも可能なのではないか。つまりは過去に干渉することも可能なのではないか、と。
しかし、ウルスラにとっては残念なことに、時は絶対的に不可逆であった。少なくともこの次元では。
鑑賞することはできても干渉することはできないのである。観ることはできても手を出すことは不可能なのだ。さながら既に紡がれた物語にその登場人物が抵抗することなど適わぬように。
結局、彼女の研究は実を結んだものの、彼女の望みを満たす結果には至らない。
しかし、完全に無駄骨であったというワケでもなかった。無数の実験による異様な魔力の蓄積が、似たような存在にして真逆の魔力の持ち主を引き寄せる結果となるのだった。
クロである。
ヴォルレウスの愛娘であるクロは、父親からの遺言に沿う形で複数の最強古龍にその成長を見守られながらゆっくりと育っていった。かく言うその父親ヴォルレウスは当時から既に肉体が消滅したくらいでは死ぬようなタマではなく、今では立派に受肉完了してピンピンしているが。
やや間接的ではあったものの、龍族たちからの支援によってクロは元々高かったそのポテンシャルをすぐに発揮できるようになった。義理の弟であったモログの血縁者や弟子などの関係者を自称するインチキ集団を、片っ端から一人で叩きのめせるまでになっていた。
モログは強きをくじき弱きを助ける英雄として、一万年という長き時が過ぎようが未だに人気な人物である。周囲よりも実力が突出しつつあり名を上げ始めた人物が、更なる名声を得るために彼の関係者を名乗ることは当時から非常に有効な一手だった。そんな人間たちを苦も無くぶちのめせるほどに、この時点でもクロの戦闘力は頭抜けていたものになっていたのである。
そしてウルスラと出会った頃には、その実力は龍族にすら届き得るほど、超越者の一歩手前程度にまで達していた。
クロと彼女はすぐに意気投合する。共に寿命無き者として同じ辛苦を味わってきたからというのが大きかったからだ。
ウルスラはクロの弟子となり、以後一緒に旅をする間柄となり、その中で若干停滞気味であった彼女の実力は、ゆっくりとではあれど再びの成長を始めた。
実は遥かな過去、クロはヴィラデルに師事していたのである。
ウルスラに基礎を教えたのはヴィラデルとハークだった。そしてヴィラデルに剣術の基礎を教えたのはハーク。時と、おまけに世代すらも跨いだ邂逅が、ウルスラの中で結実したのだった。
互いの親睦を深めつつも旅を進める2人の元に、更に、ハークも良く知る同行者が現れる。それが日毬であった。
昔を懐かしみ久々にモーデル、そして古都ソーディアンの一部となった旧サイデ村の場所を訪れた際に、2人の元に突如出現したのだ。
彼女はずっと待っていたのである。自身に縁深き存在が現れるのを。
死してもなお己を保持し続けることができるという、ハーク達に最も近い不死性を有している日毬は、ウルスラの中にかつての主人の記憶を垣間見たのである。だからこそ、彼女を新たな相棒とし、共に成長していくことを選択するのだった。
ここまでが、ハークの知る経緯である。
『ウルスラは頭角を現し始めてもずっと、俺の娘の補佐を続けてくれたのさ』
『ほら、あの子ももうボクらと同じ超越者だもんね。その辺の龍族よりずっと強いんだから、まだウルスラちゃんの方が話しやすい感じ? 人間たちからすれば、ウルスラちゃんも強さ的には雲の上だけれども、一応の常識の範囲内には収まってる、ってところかな』
ヴォルレウスからの紹介に、ガナハが追加の捕捉を行ってくれる。
腰まで伸びた艶やかな黒髪を束ね、すっかり大人の女性へと変貌したクロを未だあの子呼ばわりは、ハークの中に残る人間の感覚からすればかなりの違和感を覚えてしまうが、ガナハの語る事柄には間違いは無い。ハーク達のように生命の一線を超過した者たちは兎も角として、ウルスラも今や地球最強の座に近い五指の内に、確実に入る存在なのである。
『そうなのか』
『ウン! さっき言った召喚魔法を最初に使い始めてくれたのもウルスラだよ!』
『ほう』
『そういう意味ではな、俺の娘よりもずっと龍族と人間種との種族間の橋渡し役を務めてくれていた、と言えるだろうよ』
『クロ殿の一番弟子、いや、筆頭と言ったところかな?』
『そんな仰々しいモンじゃあねえさ。傍から見りゃあ仲の良い親子みてえだしな』
『ボクからすれば姉妹だね!』
『ははは……。だがよォ、それも……今日が卒業の日ってワケさ』
『成程』
感慨深く、彼らは再度ウルスラの乗る船に視線を向けた。
ヴォルレウスの言う卒業とは、地球という母なる星の庇護からも、という意味もこめられている。
宇宙船の分厚い装甲板をいくつも透かして見つめるハークの視界に、ふと、今の彼すらも上回る勘の冴えを秘める日毬が、視線を合わせてウインクする光景が映った。
『成程な。このために我らを呼び戻してくれたのか』
ハークはもう一度同じ言葉を繰り返した。




