55 後編18:THE EDGE-頂点-②
ハークは天青の太刀の刀身の末端、鍔や鎺に近い部分を、敢えて覆うように握る。そして、即座に自身の左腕を守護する蒼鱗の鎧を本当にごく一部スライドさせて、淡く蒼い光放つ刀身を残らず包み込んだ。
地上であれば小気味良いカシャカシャという音が周囲に響き渡ったかも知れない。
一瞬で簡易的な鞘ができあがっていた。
無骨な、外見的に実用一辺倒極まりない鱗鞘である。
その厚さはわずか一ミリメートルもなかったが、強度に問題は無い。限界まで圧縮された龍の鱗が、最も数が少ない箇所でも5枚以上は縦に重なっているからである。
更には、次に発生する衝撃にさえ一度だけでも耐え切れれば良かった。
既に粗雑とまでは言えなくとも形と強度だけは整えた鱗鞘の内部には、暴発間近なほどの魔力がパンパンに充填されている。
隙間なく飽和状態のそれらを解き放つべく、ハークは自ら造り上げたばかりの鞘にて鯉口を切った。
『奥義・『閃神・阿摩羅』!』
大太刀の鍔を左手親指にて押し込む動作を銃弾の尻に撃鉄を叩き込む動作に見立て、内部の魔力を最高潮にて爆発させる。急激かつ強烈無比な圧倒的圧力によって光速に限りなく近い速度で射出された刀を、ハークは一切損なうことなく、そして逆らうこともなく自身の頭上を覆うように振るった。
刀身に籠められたハークの魔力が、名づけた技名『阿摩羅』の通りに存在するかどうかも証明しきれぬほどの微細なる無数の光の刃を伴う波となって、迫る弾丸の魔物の一軍を包み込んだ。
直後、熱風に充てられた淡雪の如く、弾丸の魔物たちは消え去っていた。
◇ ◇ ◇
『凄い……』
『ウン……! スゴイね! スゴイきれい!』
ガナハの弾んだ声が脳内に響く。
自らの呟きに同意を得た形となったが、アレクサンドリアは思わずと前につんのめりそうになってしまった。
『ガナハ、アレクサンドリアが言ったのは見た目の美しさのことではないわよ? まぁ、確かに綺麗だったけどね』
そう言って、ヴァージニアが優しくフォローしてくれる。
『え!? そうなの!?』
『そうよ。彼女が思わずと感嘆を漏らしたのは、戦闘に関して。でしょ、アレクサンドリア?』
『うむ』
『そっかぁ。そうだったんだぁ』
驚いたと言わんばかりの表情をさらすガナハ。素直そのものな反応にアレクサンドリアでさえも庇護欲をかき立てられる。
『それにしても本当に、双方とも途轍もない戦闘力を秘めていたのね。結果論だけれど、私たちは参加しなくて良かったわ』
『うむ。ヴァージニアの言う通りじゃな。正直、今の妾たち程度では、短時間の的役くらいが関の山じゃろう』
『そうね。ねェ、アレクサンドリア。今の私たちが彼らの強さを推し測ろうとするなんて、おこがましいとは思うんだけれど、これを前提にしてもあなたが彼らのレベルを換算するとしたら、果たしてどれくらいになるのかしら?』
『ふうむ。そうじゃのう……、もはやレベルという概念にあの両者がおさまるかどうかすら判然とせぬが……』
アレクサンドリアは改めて視線をパース、次いでハークに視線を向けた。
その視界の中では、パースが用いた窮余の案である上空から弾丸の魔物を数百という数で突撃させる策を、彼女たちから視ればたった一撃にて全て打ち払われ、一瞬、怯んだ様子を見せたものの、すぐに気を取り直したのか、再度ハークに向かって猛攻を開始している。
『……そうさな、妾から視て、パースは恐らく140近く。対してハーク殿は130程度、といったところであろう』
『えっ!? 押しているのはどう視てもハークの方なのに!?』
ガナハが実に彼女らしい、直接的な聞き方で疑問を呈した。
『確かに今、押しておるのは明らかにハーク殿じゃ。しかしの、ガナハ、あの方はただの一度たりとも、真っ正面からパースの攻撃を受けてはおらぬぞ。全て巧みに力の方向を変え、見事に受け流しておられる』
ガナハは、あっ、と言わんばかりに口を開け、一方でその反対側のヴァージニアは深くゆっくりと頷いていた。
『そっかぁ! あの動きって、そういうことだったんだね!』
『やっぱり、あなたも気づいていたのね』
『まぁの。あれだけ見せられれば、な。無論、ハーク殿が無駄な力を敢えて使用せず、スタミナ温存を狙っておられる可能性も充分に考えられる』
『そうね。でも、ハークの攻撃は実際のところ、何度かクリーンヒットしているわ。にもかかわらず両者の均衡が崩れていないのは、パース側のHPが大幅に相手を凌駕しているため、とも定義できる。これも、ハークよりもパースのレベルが高いと仮定すれば辻褄が合ってしまうわね』
『もっともだ。ただ、パースの肉体代わりを務めておる『闇の集合体』は不定形であるがゆえ、材料さえ残っておれば実質HPは無限に近い』
『そっか! となると、本来なら明確な実力差の指標となる筈のHP差が、双方のレベルを推し測る要素としても確立しきれなくなっちゃうんだね!?』
『そうよ、ガナハ』
『相変わらず理解は物凄く早いのう、お主は』
『えへへ~』
『まァ、とどのつまり、ハッキリとは判らないけども、今のところハーク優勢と視えていたとしても予断は許されない、と言ったところかしらね』
『うむ。ハーク殿は経験と卓越した超絶技能、更には先の未来を読む能力によって実に見事に捌き切ってはおる。妾が同じ立場であるとすれば正に薄氷の上を踏む思いであろうが……、さすがはハーク殿だ。ここからでも余裕めいたものが感じ取れる』
『あなたも? 私も感じるのよね。けど、ただの余裕とはまた違った何かのようにも思えるんだけど……』
『ボクには、まるで楽しんでいるみたいに感じられるよ!』
ガナハの言葉に、アレクサンドリアとヴァージニアは顔を見合わせた。
余談ではあるが、この時の三者の会話は戦うハークの雑念にならぬようにと近距離限定にて交わされてはいたものの、別段秘匿にしていた訳ではない。
彼女たちの会話を聞きながら虎丸は、良く視ているッスね龍族のおねーさんたち! 、などと心の中で呟きながらニンマリと笑みを浮かべそうになっていた。
◇ ◇ ◇
実際のところ、ハークは楽しんでいた。大いに、と枕をつけても良い。
彼にとって、今回の戦いは去りし一年前のあの日、エルザルドと対峙したあの時の雪辱戦なのだから。
あの戦いで、ハークは文字通り痛い思いをして、この世界のとんでもない存在の力を味わった。存分に。生き残れたのは紛れもなく幸運が味方してくれたからであり、もう一戦など御免蒙る冗談ではない代物だったが、同時に生粋の剣士であったハークはそういった最悪の事態が、時に避けようも無い状況で再び己に降りかかって来ることがあり得る事をよく心得ている。実際に、ガナハがそうであった。
死を覚悟せねばならぬほどに危険であればこそ、避ける逃げるばかりではなく、備えなくてはならないのだ。
実のところハークは、うっすらとではあるが、もう一度エルザルド級の敵と相対した際の戦法を、時間をかけて少しずつ考えてはきていたのである。
今回のパース戦は、正にその試しの場であったのだ。
無論、これを一人考え、練っていた当時は身体能力がどうあっても足りぬ、所謂レベルをまず上げなくてはどう仕様も無いという結論に行き着いていた。が、今のハークの身体能力であれば実現可能である。
想像を現実とするのは、矢張りどのような場面でも心浮き立つものだ。
力や体重、体積その他で負けていようとも、実に上機嫌でハークは超巨大龍の猛攻に対抗していた。
『ぬぅあっ!』
どうあっても有効打を得られぬ展開に、パースは一歩だけ下がり距離をとった。一歩だけとはいえ、十数キロメートル以上の間合いの広がりだが。そこで彼は次策を思いついたのか、右腕のかたちを細長い棒状へと変化させていく。
パースを包む構造体は、今や中枢を担うパースそのものを模した形となっている。ただ、肉体そのものでは全くなく、まるでスライムのような不定形粘性体だ。大元より逸脱した形状へと変化するとしても問題は皆無であろう。
『ぬぅおあああああああああああああああああああああああああ!!』
形状変化が完了し、鞭のように細長くなった右腕を、否、鞭そのものとなったそれが振るわれる。
勿論、攻撃部位である先端に近い箇所には闇の魔力でコーティングすることも忘れてはいない。
が、結果は惨憺たるものだった。
『軽い! 軽いぞ!』
ハークが言う通り、鞭の連打が軽々と、そして次々と弾かれる。先程までと違い、力の方向をわざわざ逸らすまでもない。正面からの真っ向撃ち落としである。
鞭状の武器は素早いが体重が乗らない。また、いくら素早かろうが、動きの起点からその狙いと動きを完璧に把握可能なハーク相手に通用する筈もなかった。
『うぅう!!』
失策を悟り、パースはまたも一歩下がると腕の形状を元のものへと戻した。
ハークは追撃をしない。
次は何をしてくれるのか、と楽しみに待っているだけであった。
『一つ、どうしても教えて欲しいことがある……』
そんなハークに届いたのは、自分だけに届くように操作された秘匿回線からの言葉だった。非常に精緻に組まれており、ハークもこれならば虎丸でさえ両者間が通話していることに気づけないのではと判断できるほどであった。
『何かね? 遠慮なく聞いてくれ』
回線に乗っかると、ハークは即座にそう返した。
『……君は、俺が龍族だけを残し、人間種を消滅させることを明確に否定したね』
『うむ』
『迷いなく』
『うむ』
『人間種も龍族も、元を辿れば同じ人類を起点に持つ種同士。そこまでは解る。だが、だとすれば、知力体力に優れた龍族だけが生き残っても、それはそれで良い結果につながるとも俺には思えてならないんだ。だが、君は明確にこれを拒絶したよね。それは君にとって人間種が護るべき存在にあるというだけではなく、別の理由、……そう、たとえば君の最終目的みたいなものに、人間種がこのまま生き残る方が適合するからなのではないか、とも思えてきたんだ。そして君は、これを確信しているように、いいや、知っているように感じるんだ……』
『ほう』
ハークはまた再度感心する。矢張り彼は鋭敏過ぎる思考能力の持ち主であると。
『俺はもう長くはない。君に消されるか、このまま『闇の集合体』の中に意識が融けゆくかのどちらかだ。だから、この後に何が起こるかを知ってしまっても問題は何も無い。だから教えてくれ、最後に。君はこの先の未来を知っているんだろう』
『そこまで解っておられるのなら、お教えしましょう。未だ不確定な未来ですがな……』
そうしてハークは、今の彼が導き出した未来の姿を語って聞かせた。
『…………それは……、俺の世界を否定するのに、充分な未来だ……』
パースを模した巨大黒龍が眼を瞑る。
再び見開かれた時、その瞳の色はより理知的な光を携えていた。




