52 後編15:SIDEWINDER-毒蛇は喰らい合う-
『…………』
『…………』
どちらも黙る。背後で戦いと成り行きを見守る者たちも同じくであった。
場を完全なる沈黙が支配した。
成層圏は無音の空間だ。空気がゼロに近いからである。
そして、無駄な言い訳をパースがここで止めたことは、多少なりとも彼が冷静さを取り戻した結果でもあった。
ただし、今の無言はハークの言葉の確かさを、彼自身が認めたことともなる。
『気持ちは、まぁ、解らんでもないよ。儂とて、己の失策を恥じることなく責任転嫁し、その上で被害を与えた相手方を逆に敵視し恨み言さえ吐きながら挙句、滅亡を願うなどハッキリ言って理解不能の領域だ。味方陣営にいても気の休まることは無いであろう。儂であれば四六時中監視を行わせるかも知れん』
『……あいつは……、僕と同じ目的を、夢を持っていると思っていた。だから、ヴォルレウスが新たな種へと進化を果たしたタイミングで声をかけたんだ。ガルダイアは龍族が最も強く、最も優秀で偉大な種族であることに対して誇りを持っていたからね……』
ヴォルレウスが新たな種へと進化したタイミングとは、彼が前回、闇の集合体を退けた戦いの決着前後のことを示している。つまりは約150年前ということだ。龍族にとっては大したことの無い時間の経過かも知れないが、人間にとっては文明が一段階進むことも充分に可能な年月である。
パースは続ける。
『だが、最後の最後、土壇場の土壇場であいつは裏切った! 同胞を犠牲にするなどできない、お前は狂っているなどと言ってな! 何が狂っているだ!? 予想などとっくにできていたはずだ! しかも本当に我慢ができなかったのは、あいつは同胞の身など真に案じてなんかいなかったということだ!!』
『分かるよ』
ハークが理解を見せる。
『貴殿の言う通りだ。全ては自己弁護、自己擁護の類であろうな。彼が考えるのは常に己の身のみ』
この言葉は決してパースに対するおべっかではなく、ハーク自身が感じたままをその通りに発しただけであった。つまりは本心からだ。
ほとんどがエルザルドの経験と記憶によって導き出したことは確かだが、先程の短い時間のやり取りだけでも充分であった。ハークの前世にも多少はいた型だったからだ。
彼らの多くが、口の達者な知識人だった。
本来、物事の理屈というものはどうとでもつく。しかし彼らは自分に都合の良い時だけこれを無視する。それで人をやり込めていい気になったつもりであるが、当然ながら元々の状況に変化がある訳でもない。全ては無駄な繰り言なのだ。無為な時間の浪費と言う意味でも害悪でしかなく、本気でぶった斬ってやろうかと思ったことも一度や二度ではなかった。
彼らの中では、言い訳も理屈さえ通れば言い訳ではなくなる。失策さえ取り戻せると本気で信じているフシさえ見られた。
ガルダイアはまさにそのタイプである。失敗は全て他の所為。己の不運を並べ立て、自身の不遇の是正を要求する。他者は納得など到底しておらず、ただ単に呆れているだけであるとも気づいていない。
果たして、闇の集合体が形作る超巨大龍顔面の表情が僅かに変わった。恐らく内部のパースの表情をそのままトレースしているのだろう。
『そうなんだ! もっともらしいことを言っても、あいつが真に案じたのは自分の命だけなんだ! 同胞の命が失われることに対しての関心などほぼ無きに等しい! あいつが恐れているのは、同胞の命を奪うことに加担したことで、別の同胞から自分の命を狙われるハメになることだったんだ! 本当にくだらないヤツさ! 事を成すために危険を背負うのは当然の話じゃあないか!』
『全く同意だな』
『だろう!? あの臆病者で卑怯者め! 既に計画のほとんどの全貌も伝えてあった! だから、あいつをそのまま生かして放っておく訳にもいかなかったんだ!』
『で、あろうな。だが、その不始末を自らの手ではなく、何も知らぬ仲間たちに委ねようとしたのは、如何なものであったのかね?』
『……う!』
『ヴォルレウスがいたから、そして、その彼の眼を欺くがため。様々な理由と要因があるだろう。だが、真に同胞のためと申すのならば、儂には容認できんな』
『……一体、何が言いたい……?』
『解らんかね? 目的のために手段を問わなくなった貴殿は、ガルダイアと同様に、儂にとって危険極まりない龍族なのだよ』
『くっ……!』
巨大龍の上顎と下顎が擦り合わされた。地上であったならば、ギリギリと歯軋りの音が爆音で周囲一帯に響き渡ったであろう。事情を知らぬ者が耳にしたら、異常な地響きと勘違いしてしまうのも無理ないのかも知れない。巨大地震か噴火の前兆でもあるのかと盛大な騒ぎとなる可能性もある。実際に音で大地を震動させることも訳ないだろう。
眼つきから表情も変わった。闇の集合体を構成は一見して流動体かのようで実際には粒子状が隙間なく寄り集まっているだけなので判り難いものの、眉間に深い皺が刻まれつつあったに違いない。
『このことで、危険率の面では、尚のこと人間種より上になってしまったと理解してくれるかね?』
『ぼ、僕まで含めるな! あいつと一緒にするなよ! 大体僕は、お前たち人間に一度いいようにされていなければ、こんな行動なんて起こさなかったんだ!』
『成程、原因は全て人間種にあると言いたい訳か』
『そうだ!』
『だが、それでも貴殿が行動し、選択した結果そのものは変わらん。その危険性と異常性も、な。貴殿も自分自身で気づいておられるのだろう? 歯止めが利かなくなってきていることに』
『だ、黙れよ!』
〈……早くも論理的な会話ができなくなってきたか……〉
良くない傾向であった。
エルザルドの記憶上では、パースは激昂した上で道理を無視した言動を行ったことは、つまりは所謂キレた状態に陥ったことは一度も無い。精神的に子供返りしつつあるとも予測できた。
『僕ら龍族だけがこの星の未来を創れるんだよ!』
『根本は矢張りそれか。龍族という種への潜在的な特権意識……』
パースからの『通信』に交ざる雑音が再び顕著になってきている。浸食が再び進んでいる証拠だった。
潜在的な特権意識ならば人間も負けてはいない。本当に自分が語るべきではないなと思いながらも、ハークは最後のカードを切った。
『龍族は、何の生物から進化したと思うかね?』
『な、何……!? 何だと……!?』
パースとハークの『通信』での会話は、当然に後ろの全員にも届いていた。
そんな彼女らの内、龍族三人娘たちがそれぞれに幾分か動いた気配をハークは感じる。
首を傾げたのであろう。突然に話題が全く別の方向へと変わったのだから、ある意味仕方の無いことだった。
『い、一体、何の話だ!?』
戸惑うのはパースも同じである。
『進化だよ。この世界の、今の世界に息づく生物は皆、旧世紀、儂にとっては前の世界に生きた動植物が現在の魔物の因子を体内へと大なり小なり取り込んだことによって、今の姿、そして能力へと変化した。その話さ』
この世界は異世界などではない。ハークの記憶にある日ノ本、そして地球という星とは確かにつながる、遥かな未来の世界なのであった。
だが、ハークがここを異世界だと判断したのも、ある意味で当然の話だった。今の世界には、ハークが過去の記憶に知る動植物が、ほとんどと言って良いほど存在せず、全く別の生き物へと置き替わっていたからである。
『だから……、それがどうしたというんだ!?』
『例えば儂の相棒、虎丸はその名の通り虎、もしくは最低でもネコ科哺乳動物より進化しておる。スカイホークは鷹、或いは猛禽類。ドレイクマンモスはマンモスから……ではなく、前の世界の時点でマンモスは既に絶滅しておったらしいので、ゾウなどの長鼻目系動物より収斂進化した姿であろう。そして我らが人間種だが……、これは人為的に遺伝子という形で組み込まれたので、他とは全く別の存在だ。旧人類から外見上まったく変わっていないものもおれば多少姿形が変わったりしてはいても、ヒトという枠組みから大きくは外れていない。少々、眼が良かったり、耳が良かったり、鼻が良かったり、頑丈であったり、寿命が長かったりと様々だが、逸脱してはいない。未だ交わることが可能なのがその良き証拠だな』
『だから……、だから何なんだ!? 何が言いたいんだ!?』
ハークはパースの質問に答えることなく続きを語る。
『一方で魔物は何が進化元なのかさっぱり判らん。姿が変わりすぎ、或いは混ざり過ぎていて元を推測する手掛かりに乏しい。龍族とて同じだ。恐らくは貴殿らの言う原初の時代、激変した地球環境に適応するため、急速に、何度も何度も劇的な変化を繰り返し続けた結果なのだろう』
『そんなことは僕らだって知っているさ! ただ、魔物の中にも進化元が想像しやすいものもいるけれどね!』
『ほう』
些かに得意気となったパースに対し、ハークはわざと興味深げに尋ねてみせる。
『僕が推理する限り、ヒュドラは毒蛇。これは元々、毒液を吐くタイプの毒蛇が旧世界にも存在していたからだ。次にトロール。彼らは言葉こそ話さないが、棍棒程度の道具を自ら作り、扱うことができる。この、物を自作し使う程度の知能を持った類人猿が旧世界にもいたことから、これらが進化元であるのだろう。ワイバーンは毒蛇以外の、巨大系無毒蛇が進化したものだと考えられる。頭部から背面、尻尾までの構造が全く一緒だ。だが、ドラゴンだけはどうしても判らない! 鱗を持ちながらも旧世界の大型哺乳類にも似た頭部! 太く長い首! 蝙蝠の羽のような構造の翼! 特に脚だ! ワニや他の大型爬虫類とは骨の構造が全く違う! 彼らの四肢は胴体に対して横向きにはえているが、ドラゴンは下に向かって伸びている! 強いて言えば鳥類に似て視えなくもないが、骨の強靭さがまるで段違いの別物だ! まるで、まるで複数の生物群が一つに合成したかのような……』
ここでパースの言葉が突然止まる。何か一つの考えに思い至ったかのようであった。
現在パースは闇の集合体に内部まで寄生され、同化しかかっている状態である。それは疑似的に、力の次元でヴォルレウス、そしてハークに追いつきつつある、ということでもあった。
〈ひょっとすると、至ってしまったかな。不都合な真実に〉
そう思いつつ、ハークは答え合わせへと移る。




