37 後編01:UNDER THE SUN-天上の龍と天下の闇-
その日、全ての生物が空を見上げた。
人間も、魔獣も、魔物も、意思を持つ者は等しくである。家の中や洞窟の中など屋内にいた存在達も、小刻みではあれど終わることなく続く大地の震動に、自らの足で外へと出てくるしかなかった。
そして見た光景に、彼らは彼ら自身の眼をまず疑うこととなる。
黒い何かが、まるで逆さになった滝のように空へと流れ行く光景だったのである。
大半が凶兆と捉え、残りはわずかに吉兆と捉えた。
いずれにせよ、世界の変わる兆候と考える以外になかったのだ。
夕暮れを迎えるモーデル王国の首都レ・ルゾンモーデルの、更に中心にそびえる王城。
その最上階のバルコニーに、2人の女性が姿を現していた。
一人はこの国の新しき王の座に就いたばかりのアルティナ女王。もう一人は彼女第一の側近、リィズ。
既に一日の業務を粗方終えた彼女らは、新女王アルティナ用の休憩室にその身をおいていた。
しかし、微細とはいえずっと大地が揺れ続ける事態に、外の状況を確かめずにはいられずここへと出てきたのであった。
彼女たち2人は、実際に眼にするまでは想像もし得なかった光景に、しばし無言だった。が、遂にリィズが呟くかのように声を発する。
「……一体……、何が起きているのでしょうか……」
答えようない質問であった。発したリィズ自身も答えを特に求めた訳ではなかったのかも知れない。
ただ、親友であり姉であり、最も信頼できる側近の言葉が、聡い女王に別の真実を悟らせることとなった。
「リィズ、市民の方々に向けてすぐに声明を発表しましょう。この光景を見て感じ取っている不安と怯えを、少しでも軽減しなくてはなりません」
リィズは高レベルである。だからといって豪胆と決まっている訳でもないだろうが、レベルの上昇と共に恐怖に対する抵抗力も上がるという研究結果が出ている。その彼女が隠しようも無く声に不安を滲ませてしまうということは、普通の人々にとっては今どれほどの恐怖と怯えに苛まれ、押し潰されそうになっているのを耐えているのか推し測る術となっていた。
「アルティナ様……、了解いたしました」
平時の女王の仕事量は、決して多くはない。それでも楽ではないし、特に就任したてのアルティナにとってはどれも舵取りの難しい判断を迫られるものだ。
激務ではないとしても、休ませられるものなら休ませてあげたい。しかし、リィズもアルティナ自身の判断の正しさを認め、己の感情を押し殺して同意したのだった。
「早速、情報を集めましょう。有識者を……、まずはズース様にお伺いできれば良いのですが……」
「リィズお嬢ちゃん、ワシをお呼びかな?」
意外に近い距離からの声に、アルティナとリィズの2人は揃って驚愕した。
件の王国筆頭魔術師が、遮られるものの無いクリアな音で声が聴こえる位置にいたことに対してではない。アルティナは女王就任の際に自分が利用する休憩室のドアを取っ払い、既に片づけてしまってもいる。緊張感を保つためと城内の変化、則ち何がしかの問題が発生した際に敏感に、そして迅速に対応できるようにと考えたからであった。今やアルティナのプライベート空間は本当に彼女の自室とリィズの自室くらいしかない。
だから、本来ドアがあるべき場所のすぐ前の廊下に、ズースがこちらの様子を覗いながらも一人佇んで立っていることは、別に失礼でも何でもない。
問題はここまでの距離にまで近づいてくる足音に、アルティナとリィズの2人をして両方とも全く気づかなかったという事実だ。余程、奇妙なる外の光景だけに意識を集中させていたのだろう。
「驚かせてしまったね。申し訳ない」
「こちらこそ失礼を……。……いえ、一応はレディの部屋ということで、お許しする代わりをお願いできませんか?」
アルティナが就任して以来、彼女たちと王国筆頭魔術師の関係は実に良好で、歴代の王と比べても最高と評して良いほどである。
そもそもズースは自身の職務に関してはそつなくこなす一方、これを超える領分には一歩たりとも踏み込まぬという、徹底したビジネススタイルをとっていた。しかし、彼の最も大切な孫の友人であり仲間であったアルティナとリィズに、相応の態度で接するうちにいつしかズース自身も彼女らに対し情が移ったのだろう。
今ではもう、お互いに軽口めいた冗談さえも言い合えるような、健全な関係を構築していた。
「ほっほっほ……、対価など何も必要無いさ。しかし、求めるのが、黒いヘドロが天空に向かってひたすらに昇りゆく不可思議な光景に対する答えと解説であるとするなら、ワシにも特に教えられることは無いぞ」
「やはりそうですか……」
意外感を滲ませながらも、アルティナはそう言って頷く。彼女も歴史には詳しかったが、似たような事態さえ全く記憶に無かった。
ただ、エルフ族はその寿命の長さからか、知識の宝庫である。その中でも最高齢に近いズースは、王国の歴史と同等どころか倍以上の時を生きている。既に齢800歳を超えているのだ。知識量は推して知るべし。
「何か、助言はございませんか? 国民に少しでも安心していただきたいのです」
「その為には少しでも有益で確定的な情報を集めたい、……といったところかね? 正しい判断だとは思うが、残念ながら現時点で明確なことは何一つ言えないよ。ただ……」
「ただ、何でしょう?」
「あの妙な黒い物体から離れようとでもしているのか、精霊たちがそこら中で騒いでおり、忙しなく動き回っておる。こんなことは大体200年振りだ」
「200年前……。モーデル王国初代国王を支え続けた赤髭卿がお亡くなりになり、周辺諸国各地で騒動と戦争が頻発した混乱期ですね……」
「まさか、そのような時代が訪れる予兆と……?」
ズースは些かに不安げな様子が垣間見えるリィズからの質問に、首を横に振って答えた。
「いいや。あの時期を俯瞰的な視点から考えれば、一番に影響が大きかったのは謎の勇者、今はユニークスキル所持者と言えば良いのかな? とにかく、その人物によっての魔族の完全封印が成されたことの方が大事であったからね。その後の、モーデル王国以外各国各地域の蠢動も、魔族という人間種全体の潜在的脅威が取り除かれた反動よるものとも言える」
「物事には常に表と裏の両面がある、ということですか?」
「さて、な。しかし、いずれにせよ未来への展望を捨てるには早いし、その必要もまだないということだけだ。それではな」
そう言って、語るだけ語ってズースは踵を返し、恐らくは来た道を戻るように去っていく。
王国筆頭魔術師の後ろ姿に、アルティナとリィズは揃って自分たちの恩人で仲間だった人物を自然と想起した。
彼の姿を思い浮かべれば、途端に2人して不安が和らぐ。
気づくと、大地の揺れも収まっていた。
◇ ◇ ◇
同時刻、バアル帝国の帝都があった場所で、瓦礫をかき分けながら西へと進む女性たちの姿があった。
ヴィラデルとシアである。
つい先程に眼を醒ました彼女らは、皇城があった場所へと辿り着き、大規模な戦闘が行われたであろう場所を特定した。
そこで、その戦闘跡で、彼女たちはハークが大切にしていた腰の剛刀を発見するのである。




