元騎士の憂虞。
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これからもよろしくお願いいたします!
「おい、エル……って、……ああ、そうだった」
俺は執務室の扉を開いてから、小さく呟いた。
持っていた主人宛ての手紙を机にばさりと置き、部屋を出る。
この邸でこの執務室を訪ねるのが癖になりすぎている。
そのくらいに、あいつはここに篭もりきりだったということだ。
「ふーー」
ゆっくりと息を吐き頬を叩いて気合を入れた。
ほとんどいつもそこにあった邸の主の姿はそこには無い。
徐々に溜まりつつある仕事量が思ったほどではないのは、彼が以前から先回りして少しずつ王都の雑用も領地のことも処理していたからだろう。
実際、そのことに気がついたのもこうなってからではあるんだが……。
仕事を常に、要領よく迅速かつ丁寧に片付ける、あいつが毎日毎日睡眠時間を削りまくって仕事に溺れていたのは、陛下とルーファス公爵の無茶な采配によるものだとばかり思っていたが、それだけではなかったらしい。
何食わぬ顔で平然と一緒にいたこの馬鹿に気が付けなかった自分が不甲斐なくて俺は自嘲を浮かべた。
昔から……それこそ、ガキの頃から。
あいつは本当になんにも言わない、馬鹿だったから……。
ーーーーーーーーーーーーーー
エルがエヴァリス子爵邸から帰ってきたのは3日前だった。
予定よりも1日早く到着した馬車を邸から見つけて呑気に「早かったんだな」とか思っていたがエルはそこから降りてこなかった。
その代わりに陛下が寄越した御者が1人フードを深く被ったまま馬車の扉を開けてなにやらごそごそしているのが見える。
なにかがおかしいと思って慌てて外に出るとちょうど、御者がエルを支えて引っ張り出すところだった。
「おい、エル!……っこれ」
「……ぁあ、ジークか」
「エルレイン様、あまりお話にならない方がよろしいかと」
御者は感情なくそう言ってエルを黙らせると俺の方に恐らく顔を向けた。
「応急処置はしてあります。あとはエルレイン様の体力次第でしょう」
「応急処置って……」
一体なんのことだ。
俺の疑問を解消する気はこいつにはないらしい。
俺の言葉にもエルの状態にも、関心がないような、微動だにしない男に強烈な不信感を懐く。
無感情にそう言い放つのみのフードの男は、なにやら黒い布でぐるぐるに巻かれているエルを俺に押し付けた。
力が入っていないらしいエルの体は急激な重心変化を起こして一瞬ぐらつく。
俺よりも長身のエルはそれなのに、驚く程に思ったよりも軽かった。
ぐらりと俯いた顔からへばりついていた長い黒髪がさらりと幾束か零れて大量の汗が浮かぶ青白い肌が顕になる。
「おいっ!」
伏せられた瞼は淡く閉ざされ長いまつげが頬に影を落としている。
とても正常とは言い難い顔色に俺は思わず叫んだ。
エルの体を揺らさないように努めたが、微かに触れる彼の体温が頼り無さすぎて手が震えそうだ。
「なにがあったんだ」
「腹部に刺傷がありますが、臓器まで届くようなものではありません。
出血ももう大体止まっています。
しかし、毒が塗られていたようですね。
毒抜きは済ませてあります。手持ちの解毒剤もある程度効いたようですし、なにより、エルレイン様が毒に耐性のあるお方ですから。
それでも、安心とは言えない様態ではありますが」
「は、」
刺傷?毒……?
わなわなと情けなく声が震える。
けろりとやはり無感情にそういった男はあっさり踵を返した。
確か、エヴァリス子爵令嬢の誕生会に陛下に参加しろと言われたとかで、そんなわけで行ったのではなかったか?
それが、どうしてこんな傷を負って帰ってくることになるんだ。
焦燥に駆られ声さえ出ない俺の下で黒いまつげがふるりと揺れた。
色の無い唇が重々しく開かれる。
「…いいか、…陛下には、俺が、生きていることだけを伝えろ。俺は無事だと。
…毒には慣れているから、死ぬ事は、無い」
「エル、いい、しゃべんなっ」
荒い呼吸の合間に吐き出された言葉に男はやや有り、振り向いてそして膝まづいた。
「………御意に。
しかしエルレイン様、あくまでも我々は陛下に従います。
便宜上、王家を抜けた貴方、ではなく」
「結構だ」
エルが口角を僅かにあげて微笑んだ。
顔色の悪い顔で汗を浮かべながら、安らかな顔をして瞳を閉じてそれから動かなくなる。
俺は戦慄した。
嫌な汗がぶわっと吹き出て叫びそうだった声を既のところで飲み込んだ。
男は一礼をした後、いつの間にか消えていた。
あの男が一体何者なのか、彼らがなんの話をしているのかある程度予想もつくが、確かめているようなそんな暇などない。
とにかく力の入っていない、俺よりもでかいエルをどうにか抱えて揺らさないよう気をつけながら邸に入る。
彼の自室に入り几帳面に整えてあるベッドに彼を横たえさせたが、彼はその間身じろぎひとつしなかった。
エルを包んでいる黒い布を慎重に解くと、鉄臭い血の匂いが鼻を刺激した。
この匂いに触れることが今はもう随分と、懐かしい。
そう思うほどに、俺は平和ボケして弛んでいた。
「なんだよ、これ……」
エルはこのクソ寒い中何故かシャツ1枚でその白いシャツの所々には黒ずんだ血が飛び散り、胸から下は赤黒く変色している。
確か、礼服でいったはずだ。
ジャケットと上着はいったいどこにやったんだ。
この北の土地の冬場にドレスシャツ1枚って…正気かよ。
いつもなら、この訳の分からない主人を叱っていただろうし、予備の無い貴重な礼服を、と小言のひとつでも言っていたことだろう。
しかし、そんなことはどうでもいい。
エルの体は指先まで冷えきっていて怖くなった俺は思わず口元に手を当てて息をしているか確かめてしまった。
シャツのボタンを外す際に触れた腹部は、そこだけが異様な熱を持ち、簡素に、そして的確に確かに処置が施されていた。
騎士団時代に俺が学んだものよりも遥かに無駄がなく綺麗だ。
その包帯の隙間から覗く肌は紫色に腫れ上がり所々から未だに血液が滲んでいる。
血で汚れたシャツを素早く引き抜き、クローゼットから拝借した適当なシャツをどうにか、羽織らせる。
「いま、何時だ……」
外を見るとちらちらと雪が舞い、もう日は沈みかけている。
この時期は日が短い。
しかし、馬を走らせればこの雪の中でもハーディスト領の医者の家にくらい辿り着けるはずだ。
エルに毛布をかけた俺は上着を着るのさえ忘れてそのまま外に飛び出した。
「帰ってきたばっかでゴメンな、うちの王様がヤバいんだよ」
厩舎で馬を撫でると北の土地用の大きな白い雌馬エルザは
鼻を擦り寄せてくる。
「………ありがとう」
すんと鼻を鳴らした彼女に股がって、俺は一気にハーディスト領へと降りた。




