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36.チョウ魔王は枝垂れ桜の花嫁を溺愛する

最終回同時投稿の1話目です。

『ブラック・メイカーは刑を執行されたよ。絞首刑だ』

「……ようやくですか」


 すっかり恒例になったガラードとの活動報告でブラック・メイカーの結末を知ったジグは、安堵の溜め息を漏らした。


『それでも裁判が終わってから異例の速さでの決着だぞ? 被害者や遺族の感情を考慮したらしい。……不思議なことにな、あいつが見つけたっていう皇帝の手記に、破滅してから刑を執行されるまでに牢獄の中で何が起きたか、狂ったとしか思えないあいつの心情が血で綴られてた。歪んで捻くれていたあいつが本当に愛してたのは自分と、姉だけなんだろうな。最期まで反省や他の犠牲者への謝罪はないのに、オルキデアにだけは謝ってた』


 ブラック・メイカーがサクヤを、枝垂れ桜を見た瞬間に感じた執着の片鱗を思い出す。

 そもそも処刑された皇帝の手記が百年も経って見つかったのも、ブラック・メイカーが花の国侵略を企んだのも、手記に宿った皇帝の怨念が誘因したのかもしれない。

 ……ブラック・メイカーの性根が腐っているのは元からだろうが。


「その手記、燃やしておいた方がいいかもしれません」

『呪いのアイテム化してたからな。ジグに送ってもらったじゃがいもの目と塩と清らかな水で作った特製のスムージーに漬け込んで浄化して、天日干しにしてから燃やして、灰はミーナ夫人に深ーい土の下に封印してもらった』


 画面の向こうでガラードは肩を竦める。


『王も国も代替わりして新しい風が吹いた。古臭い遺物はもう必要ない。ラーヴァル王国はエマージ王国と名を改めたし、新しい王は侯爵が信頼出来ると太鼓判を押した人物だ。王族ではないが、身分も人柄も申し分ない。……というか、ブラック・メイカーが好き放題やってたせいで、王族には有望な若手もいないし、残った連中もショックで軒並み放心状態だからなぁ。オレら魔王も見張ってるし、新しい王国は良い方向に向かって行けそうだ』

「それは良かったです。今度お祝いにお蕎麦でも贈りますね」

『なんで蕎麦?』 

「蕎麦は細くて長いでしょう? エマージ王国が長く続きますように、という祈願です。それに」


 ジグは心の中で年末にサクヤに聞いた話を思い浮かべる。

 ブロスやサクヤの教えはジグにとって何よりの金言、指標となる言葉だ。


「あえて切れやすい蕎麦を食べることで、悪いものとの縁を断ち切る、という意味もあるそうです。ぼくもサクヤさんに教えて頂いた年越しの時に、たくさんおかわりしました」

『……早く縁を切りたかったんだな。早速効果が出たみたいで何よりだよ』

「はい! なのでいつものじゃがいものと一緒に送っておきます」

『……元王にも分けてやりたいから多めに送ってくれないか』


 ジグもガラードも元王には思う所がないでもない。

 しかし後に判明した事実によると、元王は若い頃に政権争いで負けて妻を失い、残された娘を守るために一線から退いていたにも関わらず、正統な血筋と年頃の娘に目を付けられ、利用された被害者だった。

 社交界にも出さず隠すように守っていた姫は殺され成り代わられ、娘のために捨てた野望を肥大化させられ、王座に就いても操り人形……あまりにも気の毒過ぎる。


『修道院のある荒れた土地で、贖罪のために畑を耕しながら、残りの人生をかけて妻と娘を弔っていくそうだ』

「……花の国の、蕎麦の実も入れておきます。痩せた土地でもよく育つそうなので」

『そうしてくれ。……そういえば、ジグも畑を始めたそうだな。なにを作ってるんだ?』


 重くなりかけた空気を振り払い、ガラードは話題を変えてくれた。

 こうした気遣いが出来る男だから、ジグとしても付き合いやすい。

 住む場所は違っても、一方的かもしれないが、友人だと思っている。


「じゃがいもです。今はまだ勉強中で土作り程度ですが、収穫出来るようになったら、ガラードさんの所に一番に送りますね!」

『いいのか? じゃあオレはミーナ夫人にアドバイスを貰って、良い肥料を送るよ』

「夫人は畑の名人ですからね、ありがとうございます」

『ジグには恩があるし、オレらは友達だろ?』


 思いがけないガラードの言葉に、ジグは喜びを隠しきれずに破顔する。


「最初は殲滅しようと思っていましたが……ガラードさんと友達になれて嬉しいです」

『聞き捨てならないことをさらっと言わないでくれ……ジグならマジで出来るからな』


 こんな冗談で笑い合えるくらい仲が深まるとは、縁とは不思議なものだと思う。

 ジグがたくさんのやりたいことの中から、まずじゃがいも作りに着手したのはガラードとリベルラのためだ。

 じゃがいもの芽を品種改良して、浄化の力はそのままに、少しでも苦味やエグ味、青臭さを減らしていこうという、先の長い壮大な計画である。


「これからサクヤさんと市場に行って、良い種芋を選ぶんです」

『なるほど、デートか。……ジグは次元魔王だった頃より遥かに良い顔をするようになったなぁ』


 ジグはそっと胸元に手を当てる。その顔は至福そのものだ。


「ガラードさんもリベルラさんとご結婚されてから、目に光が蘇りましたよ。どうぞこれからもお幸せに」

『そっちも嫁さんと幸せにな。また連絡するよ』

「はい!」


 通信を切って、ジグはビートルを出る。

 今日のデートはサクヤの希望で徒歩の予定だから。

 

「なんじゃ、まだおったのかジグ」


 縁側でウィクトルとお茶をしていたブロスがジグに声をかける。


「年末大掃除と年越しと、聖月分のアルバムが出来ておるぞ。帰ってから皆でゆっくり見ような。写真家ウィクトルの傑作じゃ」

「カチっカチっ」

「なんと言っておるかはわからんが、どうだ、と言わんばかりじゃな」

「大体合ってますよ。アルバム、楽しみです。では行ってきます!」

「気を付けてな」

「カチっ」


 趣味が高じてカメラ友達になったブロスとウィクトルに見送られ、ジグは門の前へと急ぐ。


「サクヤさん、お待たせしました」

「待ってないわよ。お友達との交流は楽しかった?」

「はい、有意義な時間でした」


 まだ少し早い春の、陽だまりのような笑顔のサクヤを見ていると、心臓が甘く疼いた。

 二人自然と手を繋いで、歩き出す。


 ────ジグはとても満たされていた。




 年末、年越し蕎麦を食べたあと、ジグはサクヤの部屋で、夜が更けるまでたくさん話を聞いてもらった。

 死んだ母のこと、親友のこと、……次元魔王時代に犯した罪、魔道書の深夜の章のことも、包み隠さず洗いざらい話した。隠しごとはもう無しにようと言った、サクヤに応えるために。


 サクヤは話を聞きながら友の櫛で優しくジグの髪を梳いてくれて、また髪にキスをしてくれた。

 髪へのキスは思慕の現れ、相手を愛おしく思っている証。

 話し終えた時、サクヤは全身でジグを抱き締めてくれた。ジグの全てを包み込むように。

 枝垂れ桜に、その甘い香りに覆われながら、ジグとサクヤは蝕呪の儀を交わした────。

 



 めくるめく夜を思い出して、ジグは微笑む。

 残酷だと思っていた行為が、愛し合う相手となら身も心も一つとなるかけがえのない営みになるのだと知った。

 シャツ越しに胸の傷を撫でると、愛しい人の種を受け入れた痛みと喜びが蘇る。

 種を植えこんだことで、常にサクヤと一緒にいるような幸福感があり、途方もない愛を感じられた。心にあった闇や飢え、渇きやなんて、消し飛んでしまうくらいに。

 ブロスがしきりに蝕呪の儀を薦めた理由がよく分かる。ジグの心の欠陥は、サクヤが埋めてくれた。


「……そういえば、初日の出は見に行けませんでしたね」

「二人揃って寝過ごしたものね……。また来年見に行けばいいわ。私達はこれからもずっと一緒なんだから!」

「そうですね。ぼくはもっとあなたとの思い出がほしいです。……今度は誰にも奪わせません」

「当たり前でしょう。私達で築く思い出は、ジグと私の、夫婦だけのものよ。……あいつのこと、まだ引きずってるの?」


 サクヤは足を止めてジグと向き合うと、繋いだ手を離し、持っていた桜柄の巾着からぬいぐるみを取り出した。


「まだ後で渡すつもりだったけど……ほら、前に言っていたお祝いのプレゼント。一体じゃ寂しいだろうから、前作った子の相方よ」

「これはまた可愛らしい。ありがとうございます」


 受け取った桃色のリボンを巻いた縮緬の猫は、少しサクヤに似ている。

 自由になった手を広げて、サクヤは周囲をぐるりと見渡した。

 人気の無かった郊外には、ジグの魔王城から分割した甲虫ビートルの群れが難民キャンプ代わりに建ち並び、仮初めの住人となった兵士の元へは、若い花人達が通っている。どう見ても恋人同士の交流の場だ。

 

「皮肉よね。奴隷同然で連れて来られた兵士達の多くが、花の国で運命の花嫁と出会い、伴侶になるなんて。あの人達だって皆幸せそうよ。あんな奴のこと、すっかり忘れちゃってるわ」


 確かに、とジグは肯いて同意する。

 人の不幸が何よりの悦びだったブラック・メイカーは、草葉の陰で悔しがっていることだろう。

 ……地獄の責め苦でそれどころではないかもしれないが。


「ガラードさんは無事ご結婚され、侯爵と夫人の関係も良好、ぼくもこうしてサクヤさんと結ばれましたし、アレは案外、恋の試練や縁結びとして優秀だったのかもしれません」


 ジグは受け取ったぬいぐるみを自室に転送する。

 無機質な部屋に温もりが増えた気がした。

 サクヤはジグの手を取ると、指を絡めて艶っぽく笑う。

 

「それに、またジグをいじめる奴が現れたとしても、私が蹴り倒してやるわよ!」

「……さすがサクヤさん。最高です」


 ジグの溺愛する花嫁は、綺麗で可愛いだけじゃなく、ジグの弱いところを丸ごと包み込んでしまうぐらい強くて、格好いい。大好きだ。


「……ぼくはあなたと出逢えて、愛して、愛されて、すごく幸せです。ぼくの人生できっと今が一番輝いている時だと思います」

「ジグ、私はね、幸せは降り積もるものだと、積み上げるものだ思っている。どんなに悲しくて不幸なことがあったとしても、幸せだった記憶は色褪せないわ。幸せに限界も上限もない。悲しいことも理不尽に襲われることも、まだまだあると思う。でもジグが一緒なら怖くない。私達はこれからも楽しい記憶を積み重ねて生きましょうね」

「サクヤさんのその発想、とても素敵です。今この瞬間も、幸せは積み上がり、増しているのですか」

「そうよ。そうして鎮呪の森で枝垂れ桜になった後も、あんなこともあったなって、二人で笑って思い出を振り返るの。ジグはこれからやりたいことを全部試すのよ? 失敗だって良い経験になるし、成功したらもっと楽しい。友達や家族、夢はこれからもどんどん増えていくのだから」


 この上なく素晴らしい未来を想像して、往来の真ん中だが、ジグは愛おしさのあまり我慢出来ずにサクヤを抱き上げる。

 枝垂れ桜に髪、額に頬、口の順でキスをすると、サクヤもジグの気持ちに応えてくれた。


「……このタイミングで言うのもあれですが、サクヤさんは大荒野の外を見てみたいと思いますか?」

「何よ急に」

「以前海を見に行った時、どこか悲しそうにしていたなって。ぼくのやりたいことばかり叶えるのではなくて、サクヤさんの願いも叶えたいと思ってるんです」

「ジグは本当に突飛なことばかり考えるわね。……花の国を離れる気はないけど、ジグのいた王国を見てみたい気はするわ。海にも入ってみたいかも。もし私とジグに息子が産まれたとして、その子は花の国を出る可能性もあるのだし?」

「花人が大荒野を出ても枯れない研究もしてみましょうか。二度とミサキさんの悲劇が起こらないように」

「また無謀な計画を立てて……。花人が大荒野から出られないことが侵略の抑止力にもなっているのよ? 花人が大量に流出すれば国は滅ぶし、課題は山積みだわ」


 ジグはサクヤに微笑んだ。魔王らしい、自信に満ち溢れた笑みである。


「全部ぼくがどうにかして見せます。サクヤさんのためなら、ぼくはなんでも出来るので」

「人生はまだまだ長いもの。無理せず、ゆっくりでいいわよ」


 そこで二人は本当に幸せそうに笑い合った。


「サクヤさん、あなたを愛しています。これからもずっと、永遠に」

「私も愛しているわ、ジグ。私の身も心も、花びらのひとひらさえも、あなただけのものよ」

 

 二人はもう一度口を重ねる。

 どこかでカササギの鳴き声が、祝福の声が聞こえた気がした。




          完

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