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30.秘密の開花

「サクヤさんに教わって作ったの。じゃがいもの芽とにんじん、ごぼうの千切りを炒め煮にして、ごまをまぶしたもの。これなら美味しく食べられるかなって」

「リベルラがオレのために……!?」


 リベルラの優しさで、ガラードの死んだ目に一瞬だけ光が戻る。


「侯爵家の正妻としては咎められるかもしれませんが、わたしもお手伝いさせて貰いました。どこか懐かしい家庭料理で、わたしは好きです」

「僕もお手伝いしたんですよ!」

「いや、嬉しいよ。また作って貰えるかい?」

「はい。これからも、貴方とミールのために」


 穏やかに嬉しそうに笑うミーナとミールに、侯爵も顔をほころばせていた。

 それぞれの伴侶とのやり取りを見るに、手料理は大成功と言える。


「はい、ジグにも。癖の強い食材でも美味しく食べられる料理を教えてあげるって言ったでしょう?」

「覚えていてくれたんですね。いただきます」


 ジグもすっかり手慣れた箸を使って、女性陣が力を合わせた手料理を喜んで食べ進めた。


「すごい。あの青臭くてえぐみが強くて後味も最悪なじゃがいもの目が、こんなに美味しくなるなんて……!」

「詳細な味の感想が出るって、一体いつの間に食べてたの?」

「ガラードさんに無理矢理食べさせた後、悪いことをしたなと思って、ちょっとだけ味見を……」

「全くもう……ほら、ごまがほっぺについてるわよ?」


 頬についていたごまを摘まんで食べると、ジグは顔を真っ赤にして箸を取り落としかける。


「ようやく元のジグに戻ったみたいね」

「……気付いてましたか」

「妙なテンションだったから」


 充分な長さのテーブルで距離があること、それぞれのお相手との話しに夢中になっていること、そして花吹雪である程度隠れることから、サクヤは立ち上がってジグの頭を包むように抱き締めた。

 ──こうでもしないと、ジグは弱音を吐かないものね。


「夫人はですね、見た目じゃなくて、その心の在り方というか、雰囲気というか……死んだ母を思い起こさせるんですよ。侯爵が優しい人で、本当に良かったです」


 ミーナとミール、引き裂かれていた母子が再会できて、サクヤも喜ばしいと思う。

 ……家族は一緒に居られるのが一番だ。

 ジグの背中を押した甲斐があった。


「よく頑張ったわね。ジグだって優しいわよ。ねえ、ウィクトル?」

「カチ」


 よしよしとウィクトルと一緒になってジグの頭を撫でる。

 もういない母を、母親を想う気持ちは、切なさはサクヤにもよくわかるから、今日は特別だ。


「ミーナさんに薔薇の化粧水や保湿クリームを贈りましょう。ジグと仲良くなったザーロさんの奥さんはね、赤薔薇の花人で化粧品作りのプロなのよ。浄化の力が強いから、きっとミールくんも安心するわ。それにリベルラさんは婚約者さんの偏食……異食? に悩んでたから、味噌としょうゆに清酒、花の国料理には欠かせない調味料がいいかな」

「ぼくなんかより、サクヤさんの方が優しいです。ガラードさんには空間魔法で定期的にじゃがいもの目を送っているので、その時にサプライズでプレゼントしましょうか」

「熨斗を付けて?」

「はい!」


 二人でひとしきり笑ったあと、サクヤはジグの耳にそっと薄桃色の唇を寄せる。


「……ジグ。今日の夜中、私の部屋に来て?」


 艶っぽい誘いのようだが、大事な話をするのだとジグには分かっているだろう。……秘密の一端を知ってしまったから。


「はい。必ず」


 そう言ってサクヤの手を握るジグの手は大きくて、父のように温かくて優しかった。


 *******

 

「ジグ。ちょっと付き合え」

「いいですよ。まだ時間はありますから」


 『今夜ジグと大切な話をするから』


 帰って来たサクヤの一言で何かを察したブロスは、考えた末に居間ではなく私室にジグを招き入れる。


「初めて入りますがサクヤさんの部屋ともまた違って、趣のあるお部屋ですね」

「わしの故郷の伝統と、花の国の建築を融合させたからのう。モダンで良かろう」


 飾り円窓まるまどから見える整った庭はまるで絵画のようで、亡き妻のお気に入りだった。

 ブロスは木の床に敷かれた絨毯に直接、漬物や土産の肉じゃがなどつまみと酒を並べる。


「まずは飲め」

「いただきます」


 飲みやすい、口当たりの良いワインから注いでやると、ジグは一息に飲み干して顔色一つ変えない。

 案外いける口だったようだ。

 男二人、しばらく無言で飲み交わすが、すでに家族だからか、気まずさはない。


 良い塩梅に酒が回った所で、部屋の奥に鎮座した、妻が愛用していた形見の箪笥の開き戸を開けて、ブロスの宝物、一冊の記録本アルバムを取り出す。


「今まで見せたことがなかったからのう。綺麗じゃろう? 妻のサツキじゃ」


 開いたページには、いつまでも鮮やかさの保たれる紙に、特殊なインクで少しだけ皺の少ないブロスと、若く美しい女性の姿が焼き付けられていた。

 艶やかな黒髪には、瑞々しい青い葉が茂っている。……花の国で最も強く、誰もが慕っていた葉兵・・。それがブロスの最愛の妻、サツキだ。


 言おう言おうと思って中々切り出せなかったのは、長い付き合いとなる娘婿に万一にでもサツキの生き様を否定されたら、家族の形が壊れてしまいかねなかったから。

 ……ジグの闇が深すぎて、メンタルケアを最優先させ、段階を踏んで様子を見ていたのも理由の一つではある。

 


「……もしかして、とは思っていました。でも鎮呪の森では花が咲いていたので……」

「葉兵は人としての生を終えてから、初めて花を咲かせる。鮮やかに赤く、潔い椿はサツキによく似合っておろう?」

「はい。とても素敵な方だったとお聞きしています」

「美しく、強く、そして民草のために体を張る優しいサツキに一目惚れしてのう。それはもう努力して、時間をかけて口説き落としたのじゃ。花のないサツキ故に、花びらの儀は出来なんだが、サツキの人望から、皆がわしを同胞だと受け入れてくれた」

「花びらの儀というバフなしで口説き落とすなんて……逆にすごくないですか? 敬服です」


 心からの羨望の目差しを向けるジグに、ブロスは苦笑した。

 今ならわかる。ジグは無闇に人を貶める輩ではないし、人の良い所を認められる美質を持っていると。……ブロスの自慢の義息子だ。

 

「異例の伴侶となったわしじゃが、蝕呪の儀を受けることは出来てのう。……種を受け入れた時、サツキは泣いておった。伴侶を、普通の花人としての幸せを諦めていたからこそ嬉しいと。わしもあまりの幸福に満たされて、一緒に泣いた。……その経験から、蝕呪の儀をせかしてしもうた。すまなかったのう」

「いいえ。サクヤさんを大切に思っているからこそです」


 ジグもとっくに気付いているだろう。

 サツキが葉兵、子を成せぬ身であるということは、ブロスとサクヤにも血の繋がりがないのだと。


 ブロスがぱらぱらとアルバムをめくり、次に開いたページには眠る赤子を抱いて聖母のように微笑むサツキが写っていた。


「……十五年前、花を咲かせなくなって久しい御神木が、一夜だけ満開の花を咲かせた。それはそれは見事な枝垂れ桜じゃった」


                *******


 異変は何の予兆もなく、急に起こった。

 満月に照らされて咲きこぼれる花々は美しいが、すわ何事かと葉兵を中心に騒動になり、ブロスとサツキが駆けつけた時には、すでに満開となった枝垂れ桜に迎えられた。


「八十年生きてきたけど、こんなことは初めてよ……」


 神聖な光景に近寄ってもいいものかと躊躇っていると、一羽のカササギがサツキの元へ舞い降りる。


「カチ」

「まるで着いてこいと言っておるようだな」


 サツキとブロスはカササギに導かれるように出会い、神挿しの儀では『祝福』も受けた。

 縁の繋ぎ手であるカササギに着いて行かない理由はない。

 花に触れられるほどに接近すると、枝垂れ桜の枝が揺れて一斉に花びらが散る。


「旦那様!」


 降りしきる花びらとともに、今まさに産み落とされたばかりの、小さな芽を付けた赤子がゆるりと降りてきた。

 慌てたブロスとサツキ、二人で同時に受け止めると、赤子はふにゃあ、と産声を上げる。


「……サツキ、この子は?」

「最後の女王は身籠もっておられた。そのお腹の子、だと思うけど……何十年も経ったというのに、今さら何故?」


 顔を真っ赤にして泣く赤子を二人でなだめていると、その小さな手がサツキの指を握る。 

 その時、困惑しきりだったサツキに小さな衝撃が走ったのをブロスは見逃さなかった。


「なんて、愛らしいのかしら……。ねえ、旦那様。私達が呼ばれたのには、立ち会ったのには、きっと意味があると思うの」

「うむ。わしも同じ気持ちじゃ」

「女王様や伴侶の方の分も、私達がこの子を守り、慈しみ、愛しましょう。──私は、この子に人並みの幸せを授けたい」

「誰がなんと言おうと、わしはサツキの味方じゃよ」


 赤子はもう泣いていなかった。

 安心したように、ブロスとサツキの手の中で眠っている。

 月の輝く花明かりの下、御神木とカササギも優しく見守っているようだった……。


                *******


「……赤子は御神木から託された子。次代の女王の器と分かっていたが、サツキは、わしらはあえて女王の名を付けなかった」

「そういえばサクヤさんは、代々女王様だけが同じ花と名前を引き継ぐと言っていましたね」 

「サツキの指を握った赤子は、わしらを見て泣くのをやめた。小さくてふにゃふにゃして熱くて……愛おしくてたまらなかった。愚かと言われてもいい。非難される覚悟で、女王としてではなく、普通の花人として育てようと決めたのじゃ」


 ブロスは瞼を閉じて、亡き妻に思いを馳せる。

 サツキは悩みに悩んで、咲夜と名付けた。

 由来は以前ジグに言った通りだが、御神木が花を咲かせた夜だったこと、血の繋がりはなくても、咲と関連した名前を付けたかったからでもある。


「……サクヤが何十年も経って産まれたのも、女王や貴種がなくとも国が成り立つ時代になったからではないかと思うておる。百年前のように、国の危機に際して真っ先に我が身を差し出さねばならぬ、女王の座になどサクヤを就けたくなかった。葉兵とその伴侶、御神木に仕える者ではあったが、わしらは装置システムじゃない。感情で動くただの人、血の繋がりなど無くても、サクヤの親じゃ。──子の幸せを願わぬ親などおらぬよ」


 ブロスはジグに対して深々と頭を下げる。

 今回ばかりは、ジグが止めてもやめない。


「わしらなりの思いで、サクヤにはこの事を伝えておらぬ。じゃが、サクヤは敏い子故、恐らく気付いていても、あえてわしらには何も言ってこんかった。ジグよ、どうかサクヤに寄り添ってやってくれ。あの子は情が深くて頑固な反面、強いようで傷付きやすい繊細な子なのじゃ……」

「皆の前で宣言したじゃないですか。サクヤさんの生き様を見守りたい、なんの柵みも苦痛もなく、強く美しく咲き誇ってほしいって。かつての女王のように死に花なんて咲かせません。サクヤさんのためなら、ぼくは世界を敵に回してもいいと。……この想いは、死んでも変わりませんよ」


 頑ななブロスに、ジグも額が床に触れんばかりに頭を下げ返す。


「師匠、いえ、お義父さん。サクヤさんをぼくにください。必ず幸せにします」


 ブロスの灰色の目から幾筋もの涙が溢れ、絨毯に染みこんでいく。


「ジグ、サクヤを頼んだぞ。そしてもう、お主もわしらの義息子じゃ。親は子の幸せを願うというたじゃろ。お主も一緒に幸せになってくれ……」

「はい。……ぼくはもう、幸せです」


 ジグの目からも、涙が溢れて止まらなかった。



サツキの死因はほぼ寿命。命が尽きかけて、軽い風邪さえ命取りになる。……サクヤの花が咲くのを、成人を見届けたかった。

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