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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第三章 めざせ政略結婚!
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ゆらりとした炎(2)


 どこかにどさりと降ろされ、目隠しが外される。

 頬が少し擦れて、血が垂れていたが後ろ手に縛られているので拭うことは難しい。なんとか体を起こして座る。


 すぐ近くに黒づくめの男がいたが、黙って微動だにせず立っている。


 そこは薄暗い場所だった。しかし、すぐに目が慣れてくると岩でできた洞窟のような場所だということがわかる。連れ去られてからそう経ってはいないので、城のすぐそばの山頂の洞窟だろう。ここから抜け出すことさえできれば、簡単に戻れる。


 けれど、いまさらリュシュカを狙う奴なんて、一体誰なんだろう。捕らえたところで、後見人の変更ですらリュシュカに権利はない。全てラチェスタの承認だけが必要となる。


「捕えたか」


 声がして何人かの足音が近づいてくる。


 姿を見た瞬間に目を見開く。ぞっとした。

 そこには、緑や赤の光沢のある黒い髪に、燃えるような赤い瞳。端整で冷たく、威圧感のある顔。

 夜会で一度だけ会った、イオラスがいた。


 イオラスは屈み込み、リュシュカの顎を片手で軽く持ち上げて検分する。


 それからゆらりと立ち上がって、近くにいた黒づくめの男の前に行くと、殴り飛ばした。

 ぐふ、と鈍い悲鳴を漏らした男が岩の壁に叩きつけられる。


「誰が勝手に傷をつけていいと言った?」


 静かな中、ガゴン、ドゴン、グシャと鈍い音だけが響く。

 イオラスが男を何度も追い討ちで殴っているのだ。

 骨の砕ける音が聞こえ、血があたりに噴き出して地面を汚していく。ほのかに血の匂いがしてくる。


 周りには同じような格好の男が複数人いるが、みなぴくりとも動かずに黙ってその様を見ている。異様な光景だった。


 イオラスは短刀を懐から出して男の眼球の前に突きつける。


 ほとんど動かなくなっていた男がうっすらと意識を取り戻し、「ひ……」と恐怖の息を漏らす。リュシュカも思わず声を上げた。


「……やめ」


「俺の命令をきっちり聞けない馬鹿な犬はいらないんだよ」


「あがァッ」


 グシャリとした鈍い音がして、リュシュカは目をぎゅっとつぶる。脂汗がどっと吹き出るのを感じた。


「その汚いもん持って全員外に出てろ」


 それまで少しも動かなかった男たちが、血まみれで動かなくなった男を連れて洞窟の外へと出ていった。


 イオラスは返り血で血まみれの顔をハンカチでゆっくりと拭う。それから再びリュシュカの近くに来てしゃがみこみ、真顔で顔を覗き込んだ。


「お前を捕まえる機会を伺っていたら、ちょうどよく辺境に向かったんだよ。そうしたらお前は国を出ていった。道中は何度か見失ったが、ここに着いたと報告が入ってすぐに追った。ここなら邪魔な奴もいないし、ちょうどいいと思ってな」


 夜会で会った時にも思ったが、冷え冷えとした視線には感情がまるで感じられない。なのに、ギラギラとした野心だけは常にゆらゆらと燃えるようにそこにある。


「王がお前の謁見を望んだらしいな。ずっといなかったのに、ずいぶんとお気に入りのようだ」


「そういう話は……一切していない」


「確かにお前はまだ若いし女だ。しかし、濡羽色の黒髪と金眼が揃っていると、可能性は、なくはない」


「ないって! 馬鹿じゃないの?」


「邪魔になりそうなものは全部潰していくのが俺の方針だ」


「……じゃあなんですぐ殺さないの?」


「ああ、それだ」


 イオラスはふん、と鼻で笑った。


「お前のことはもともと、殺し損ねたんだ。俺が高い金で雇っていた熟練の暗殺者がしくじってな」


「なに言って……」


 リュシュカの脳裏に黒づくめの男が浮かぶ。

 セシフィールの国境の山道で襲ってきたあの男だ。クラングランを殴って、喉元にナイフをつきつけた、忘れもしないあいつは、イオラスの差金だったらしい。


「それで、おかしいと思って王家にあるお前の記録を浚わせた。出生から四歳まではあったが……そこから先は何者かによって綺麗に抜かれて、欠損していた」


 イオラスはリュシュカの頰を馬鹿にするようにペチペチ叩いてくる。


「当時の人間に聞き込みにいかせたら、出たよ。ちょうどお前がゾマドのところに引き取られる直前に、街の広域が燃えた大事故があったようだな」


 嫌な汗がじわりと湧いた。


「お前は魔力持ちだ。しかも、その気になれば山を吹き飛ばせるくらいの。それだけの大事故なのに、被害者はゼロ。聞き込みも捗るってなもんだ。普通ならあり得ない。おおかたゾマドが噛んでいるんだろう。王家の記録はおそらくラチェスタがその部分を抜いて消していた」


 そこまで言ってからイオラスはニタッと笑った。


「お前には俺の兵器になってもらおうと思ってな」


 イオラスはリュシュカの目の前にしゃがみ込んだまま、頬杖をついてしゃべる。


「今の派閥の構成人数。お前にもわかりやすくざっくりたとえて言うなら、俺が4で、ソロンのクソが6くらいだ。ソロンを消せれば早いんだが、あのクソはやたらと用心深くて、手が出せない」


「…………」


「ただ、お前を持つことで、俺が7、ソロンが3になるところまでひっくり返せる余地がある。お前がどちらに付くかで形勢が大きく変わる。お前が最後のピースになっているんだよ」


「わ、わたしは……何があってもあんたなんかのために魔力を使わない。周りにだってそう言う」


 イオラスはふっと息を吐いて笑う。


「大丈夫だ。お前は余計な心配はしなくていい」


 イオラスがリュシュカに顔を近づけた。強い嫌悪感に歯を食いしばる。


「目を奪い手足を切り落とし、暗い地下に閉じ込めて拷問すれば自我なんてすぐに消え去る。ちゃんと俺の意のままに使える兵器にしてやる」


 イオラスはよほどぶっ壊れた兵器みたいな言葉を吐きながら笑う。その手にはまだベットリと血のついた刃物が光っていた。


「……っ、ラチェスタがいる。そんなことをしたら、ラチェスタが黙っていない」


「そうなんだよ。ラチェスタが死ねば、後見人は再び空席となる。お前を守る者も報復をする者も再び誰もいなくなる。こんな簡単なことに気づくのが遅かった」


 イオラスは胡乱な瞳でリュシュカを見ている。その口元がわずかに弧を描く。


「あの男ならもう始末した」


「…………え?」


 ──ラチェスタを殺した?


 どくん。

 心臓が自分でわかるくらいに動いた。汗が噴き出て、気が遠くなる。


「う、嘘でしょ……」


「嘘だと思うか?」


 この男はきっと王位というものに取り憑かれていて、それを得るためならばなんでもやるし、人の命なんてなんとも思わない。でも、そんなのは信じられなかった。


「信じたくないなら、ほらよ」


 目の前に何か、手のひらに収まるくらいの塊がボトリと投げつけられる。


 イオラスが目の前に投げてきたのは、人間の耳だった。


 そこには、ラチェスタがいつも着けていたエメラルドのイヤリングがぶら下がっている。

 そのイヤリングは、夜会の時に借りたものだ。

 この世に二つとない。刻まれたその印も、あの日見た物とまったく同じだった。


 数年ぶりに再会した時のラチェスタの顔が浮かんで、滲んでいく。

 リュシュカの動揺に呼応するように、地面が小さく揺れだした。


 嫌だ。


 嘘だ。


 嫌だ。


 呼吸が浅くなる。鼓動が速くなる。

 そんなのは、許されない。許さない。怒るな。殺してやる。悲しむな。駄目だ。消えてしまえ。嘘だ。

 頭の中がぐちゃぐちゃにかきまわされていくようで、思考がまったく纏まらない。


 ラチェスタの千切れた耳が目に入る。


 頭の中で、何かがふつんと焼き切れた。

 感情が爆発して、目の前が真っ白になる。




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