夜会(3)
リュシュカはクラングランと一緒に広間を抜け出し、裏庭にいた。
小さな灯りがぽつぽつと置かれていて、そこに咲いている白くて派手な花を照らしている。
「すごいすごい。ラチェスタに気づかれずに出てこれた!」
「……能天気に喜んでるところ悪いが……あの男は気づいていたぞ」
「へ? そうなの? じゃあなんで……」
「もともと俺を呼んだのはあいつだからな……少しの時間ならばと、目を瞑ったんだろう」
「ラチェスタが……?」
クラングランがここにいるのは、ラチェスタのはからいだったらしい。
リュシュカの夜会の出席が決まったのは確か家出の直後だ。
ラチェスタはリュシュカがずっとクラングランを気にしていたことは知っている。そして、聞くたびに知る限りを答えてくれていた。
しかし、ラチェスタはどちらかというとクラングランを好ましく思っていないようだった。
もっとも、クラングランはリュシュカを堂々と利用しようと動いていた人間なのだからそれは当然といえば当然のことだ。だからこそ、会わせてくれなどとは言ってみようとしたこともない。
けれど、ラチェスタは理屈や損得ではなく、リュシュカの気持ちを優先してくれた。ラチェスタの立場的に公然と会わせるわけにはいかないが、勉強として連れていった夜会で偶然会えるようにしてくれたのだ。
クラングランと旅したのはたったの十三日間のことだったのに、こちらに来てからの半年よりなぜか濃密で、いつまで経っても色褪せない。
会った瞬間に今までの生活が眠りだったかのようで、本来あった現実に引き戻されるような強い引力を感じる。
「あの、あの時……ごめんね。わたしが声出したから、気を取られて……」
最後に別れた山道で、リュシュカが声を出さなければクラングランはきっと、あんなふうにやられることはなかった。リュシュカはずっと、それを気に病んでいた。
「それはお前のせいじゃなくて俺の未熟さだ……ただ、幸い俺はまだ若い。これからまだいくらでも強くなれる」
「まだ強くなるつもりなの?」
「ゾマドに比べたら雑魚もいいとこだろ。まぁ……いつか、追いついてやるが」
なんですぐ爺ちゃんと比べるんだよ……。そんなとこも相変わらずで呆れるくらい嬉しい。
「あと、わたしが魔術使った時、怪我しなかった?」
「俺は大丈夫だ。それよりお前が倒れたことに驚いた」
「幼児期以降、かなり久しぶりの魔力放出だったから、副作用的に眠くなったんだ。ていうか、使うと相当疲れて……眠くなったりもするものみたい……」
だから爺ちゃんもここぞという時にしか使っていなかったのだろう。ラチェスタのところで学んだところによると、魔術は体幹や肉体の強靭さ、精神の安定など、複合的な要素が影響している。だからこそ、爺ちゃんはあんなムキムキボディだったのだということもわかった。
「そうか。なら、心配ないんだな」
「クラングランの顔も、傷、まったく残ってないね」
「ああ、直後はかなり腫れていたけどな……あまり動けなかったから、せめて大怪我にならないようにダメージを逃しながら殴らせていた」
「なにその謎技術。気味が悪い」
リュシュカはふは、と笑った。
「暮らしはどうだ? もう狙われたりはしていないのか?」
「うん、大丈夫。ラチェスタが正式に後見人を引き継いだから……わたしに何かするとラチェスタに喧嘩売ることになるし、連れ出したり会ったりも、ラチェスタを通さなければならなくなるんだって」
「いや、お前からしたら……最初からなんとかしてラチェスタのところに行くのが早かったな」
「わたしは後悔してないよ」
クラングランとした冒険で後悔してることなんてひとつもない。
ただ、会えなくなってしまったのだけは苦しかった。
ラチェスタのはからいで今日だけ会えた。
けれど、明日になればまた離れ離れだし、次はいつ会えるかもわからない。
「クラングラン、わたし今日、十七歳になった」
「そうなのか……おめでとう」
「ありがと。夜会すんごい嫌だったけど、今ので出てよかったと思えた」
リュシュカはクラングランの瞳をじっと見つめる。
最初は自分が初めて深く関わった友達だから特別なのだと思っていた。
けれど、ラチェスタのところに来てリュシュカはほかにも人との関わりを得ていた。
料理人のマリオスも、侍女頭のテレサだって他愛のない話をできるし、聞いてくれる。
三馬鹿護衛騎士たちは脱走したとき迎えにきてくれて、愚痴を聞いてくれた。
メリナも心配してくれて、戻った時にはすごく喜んでくれた。
いじけていた心が戻るとそれら全てを素直に嬉しく思えるようになった。
ラチェスタだってもちろん友達とはいかないまでも心強い味方になってくれる相手という信頼が生まれている。
大好きな人も大切な人も信じられないくらい増えていた。リュシュカは気づけばもう、ひとりぼっちではない。そう思える程度にはいろんな相手と親愛を交わしていた。
けれど、不思議なことにそうなるとクラングランの特別さが際立ってしまったのだ。クラングランはやっぱり特別だった。最初だからこれが普通なのかがわかっていなかったけれど、一番強いやつだった。
会わなかった期間に変質した気持ちと、ずっと変わらない気持ちがそこにあって、リュシュカはそのふたつの塊をじっと逸らさずに見つめる。
今、会えたから伝えられる言葉がそこにあった。
「クラングラン、わたし、クラングランが好き」
するりとこぼされた唐突な告白に、クラングランは小さく目を見開いて動きを止めた。
「…………それは、どういう意味でだ?」
「人として、友達として……」
リュシュカはひとつひとつゆっくりと言って、ごくりと唾液を飲む。
「……それから恋……も、全部」
クラングランは、ほんの一瞬だけたじろいだように見えた。けれど、それを次の瞬間には隠してしまう。
「……俺にとってもお前は唯一の特別な人間だ」
「うーん、どうにでも解釈可能だな……異性として意識したことは?」
「なくはない」
「魅力を感じたことは?」
「…………可愛いとは、思っている」
「その可愛いは、子供や動物を見て思う愛らしさ? 女性としての性的なものを含む?」
「やや後者に近い」
「頻繁にほかの人にも感じる?」
「いや、そんなことはない」
「それはつまり好きってことでいいかな?」
「お前逃がす気ゼロだな……」
「え? あ、ラチェスタの影響かな……」
「嫌な影響受けるなよ……お前もっと雑で適当だったろ」
それはそもそも爺ちゃんの影響だ。
クラングランが息をひとつ吐き、観念したように言う。
「……好きだよ」
「本当に?」
「俺はお前には、嘘をつかない」
飾り気のない言葉はまっすぐに響き、すごく嬉しかった。胸の中に熱が高まって渦を巻いている。
リュシュカは口を開けて、赤くなって閉じる。
「あの……お願いがあるんだけど」
「なんだ? 聞くぞ」
クラングランが瞳を覗き込むようにして顔を近づけたので、リュシュカは後ずさって顔を逸らした。
前は言えたのに、なんで言えなくなったんだろう。
モゴモゴしていると、クラングランが口を開く。
「あててみせようか?」
「ん? うん」
よくわからないまま見上げると、クラングランがリュシュカをそっと抱きしめた。
リュシュカは瞬間目を丸くした。
けれど、すぐにぎゅっと目をつぶって、しがみつくように抱きしめ返す。
あの時と違って、抱きしめることができる人は今はもういる。メリナや、テレサだってたぶんそれをしてくれる。もしかしたらミュランあたりも頼めば気軽にさせてくれるかもしれない。
けれど、その誰もと、クラングランはやっぱり全然違う。
前は満たされた感覚になった。今もそれはあるのに、同時に胸が詰まったようにぎゅうっと苦しくなる。
クラングランが小さい声で聞く。
「あたりか?」
「……うん、あってる」
リュシュカは小さく言ってさらに身を擦り寄せた。
「時と場所を考えて、一応そこまででお願いしますね」
背後から静かな声が聞こえ、驚いて身を離す。
「ひぇ、ラチェスタ。いつから……」
「あいつは少し前からずっといたぞ」
「う、ああ! クラングラン、気づいてたの?! 最悪! こ、こんなところで! 馬鹿! 恥知らず! 変態!」
「もともとお前がしたかったことだろ」
「人が見てるなんて思ってなかったもん。クラングラン、やっぱ公開プレイ好きの変態だったんだ……!」
「やっぱとか言うな! 人聞きが悪い」
「お二人とも、お静かに」
言い合っているところ、ラチェスタの冷ややかな視線が投げられ、揃って黙り込む。
その時、屋内から悲鳴が聞こえてきた。




