淑女教育(3)
リュシュカは庭でミュランとダンスの練習をしていた。
「痛い! だからなんで、すぐ蹴るんだよ!」
「け、蹴るつもりはないんだって〜」
「嘘だろ! 明らかに蹴ろうとして蹴ってる!」
「無意識の嫌悪が……前に出ちゃうのかな〜」
「リュシュカ、そんなに俺のこと嫌いなの?!」
「……そんなこと……ない……はず! たぶん!」
「そこもっと自信持ってよ!」
ミュランは蹴りをくらわないために避けていたが、密着してると難しいと判断したのか、ついに手を離してじりじりと距離を取り始めた。
「ミュラン、そんなに離れたら練習できないよ! ほら、手もつないで!」
ダンスの練習をしたいリュシュカはミュランの手を捕まえようとブンブン振りまわす。
「ひえぇ! こわい! それ! 今度は殴ろうとしてる?」
「ミュランが逃げようとするからじゃん!」
そこらを走っていたスノウが近くに来て、不思議そうな顔をする。
「あれ? ミュランと体術の練習してるの? 結構うまくなったじゃない」
「違う! これはダンスの練習なの!」
「どこが……?」
「リュシュカこわいって! も〜、スノウ、ちょっとこっち来て」
ミュランがスノウを手招きして、その手を取る。
「右足下げて……戻して……手はこう」
ミュランが指示しながら、スノウは言われた通りの動きをして、見事にステップを踏んだ。
すごい。鮮やかだ。
「こうだよ、リュシュカ。わかった?」
「うまいね。スノウ……本当は踊れたんだ」
「いや、やったことなかったけど…………簡単じゃん」
「…………っ、もう、代わりにあんたが出ればいい!!」
「だから早く諦めなって……」
「そうしたいけど……!」
「……いや、あと少しでできるようになるよ」
「うん。もう少し頑張るといい」
「……ん?」
「俺たちは鍛錬の時間だから戻るね!」
二人の突然の激励と退散に振り向くとラチェスタが向こうから来ていた。
「リュシュカ、貴方の言った通りでした」
「やっぱり?」
「はい。確認が終わり、今朝方ゲオルギオスに正式に処分がくだされました」
「よかった。違ったら大変だった」
「なぜ、あんなことになったんですか?」
「それは……」
あの時。
突然密着されて暴れたさいにフィオティスの股間をうっかり蹴り上げてしまったリュシュカは平謝りして走って逃げた。あまりに動揺して甲冑のひとつに激突して壊してバラバラになった。ここまでは事実だ。
その甲冑の中から、金色の鍵が出てきたのだ。
どこかの扉の鍵に見えたので手当たり次第に差し込んでみたが、どの部屋も合わない。
玄関の外に出て建物の構造を見ていると、不自然なスペースがあるのに気づく。かなり広い空間があるはずなのに、屋敷の中からだと該当する場所の扉がない。
そこへの入口を探すと、廊下の端の壁に飾ってあった肖像画が気になった。この裏あたりだろう。
実際は何か仕掛けがあって、それを解けば開いたのだろうけれど、短気なリュシュカはそれがまったくわからず、怒って絵に穴を開けてしまった。
その空間には扉があり、金色の鍵がかちりと合った。
中は薬品を製造するような場所だったが、今は使われていないようだった。しかし、こんな部屋を隠しておいているのはおかしい。その時点で違法な薬物だろうと見当はついていた。
あの男は、大事なものを遠くには隠したがらないだろう。リュシュカはそんなふうに考えて、今度はゲオルギオスの寝室に忍び込んだ。そこを荒らしまわり、本棚の奥にあった隠し部屋で薬品の設計図とそのサンプル、それから帳簿を手に入れた。
「なるほど、流れはだいたいわかりましたが……リュシュカ、貴方はなぜそんなことを……?」
「だって……ムカついたから」
「……はあ」
「わたしがクラングランと……セシフィールの第一王子としばらく行動していたことは、ゲオルギオスは知っていたんだよね?」
「そうですね。おそらくは。ゲオルギオスは逃亡中の貴方を捕まえることはできませんでしたが、常に配下に貴方の行方は探らせていたようですし」
「……だからって、あんなことして…………すっっごい腹立つ」
二十も歳の離れた後見人のラチェスタには、リュシュカがクラングランへ抱く特別な感情をはっきり伝えたことはない。勝手に察していることはあるかもしれないが、わざわざ報告するようなことではないと思っている。
だから結局ラチェスタにはそこから先は言わなかったけれど、リュシュカは憤慨していた。
ゲオルギオスはたぶん、リュシュカのことを小国の顔のいい王子にほいほいと騙されて連れていかれた面食い娘だと思ったのだ。だから似たのをあてがえば簡単に引き込めると踏んだ。
リュシュカが大事にしているクラングランへの想いは、ひとことで恋愛だけに括れるようなものではない。
それに恋が含まれることだって、最近になって気づいたことだし、信頼しているメリナだからこそ打ち明けることができたものだ。
リュシュカがそうやって大事にしている気持ちを、無神経に暴かれて馬鹿にされたような気がして傷ついた。目と髪の色と背格好が似てるイケメンだから簡単に好きになると思われるのは心外過ぎる。
それに、誰かと一緒にするなんてクラングランにも失礼だ。
同じ髪の色。瞳の色。整った顔立ち。身長も同じくらい。けれど、同じだからこそ、その差が如実にわかってしまう。クラングランの代用品なんて、そうやすやすと用意できるものではないのだ。
かつてクシャドが言っていたように、フィオティスは綺麗なのにどこかペラペラしているように見えた。それに、白々しく本音を一切見せないタイプはむしろ苦手な人種でもあった。
もしかしたら懐柔しようとまではいかない、単なる贈り物のような感覚だったのかもしれないが、人の乙女心を馬鹿にしたゲオルギオスの下品なやり口にリュシュカは大憤慨していた。
ああいう奴はひとつくらい悪事があるだろうと軽い気持ちで家探ししたらとんでもないのが出てきて当然のことすぐラチェスタに報告に行ったのだ。
「結局、何が理由だったんですか?」
「……あいつの顔が気に入らなかったからだよ」
リュシュカはぶすったれた顔で吐き捨てるようにそう言った。
ラチェスタはリュシュカをまじまじと見ていたが、やがて息を吐いて言う。
「……貴方はやはり、ゾマドの子ですね」
「そりゃ、爺ちゃんの子だけど……?」
「ゲオルギオスも、貴方のような人を軽率に呼んだばかりに何もかもを失うことになって……お気の毒です」
まったく気の毒そうに思っていない顔でラチェスタが言った。
「……で、ダンスの練習は捗っているんですか?」
「まったく捗ってない。もう諦めたほうがいい」
面会ついでに行ったダンスの練習はまったくもって実を結ばなかった。
夜会の日はもう目前に迫ってきている。ラチェスタは遠い目をして息を吐いた。
「…………ダンスに関しては、今回は見送りましょう」
リュシュカはぱっと顔を上げて表情を明るくした。
「もし誘いを受けたら、足を挫いているから踊れないと言って断ってください」
「やったー! もうミュランを無駄に蹴らなくていいんだね!」
「もう本番ですからね。ダンス以外にも気をつけるべきことが貴方には大量にあります」
「うーん、それももう、これから全部は無理。あれもこれもって言われても間に合わないよ。絶対絶対気をつけてほしいことをひとつだけ言ってくれたら、そこだけは気をつける」
「そうですね……急に色々変えようとしても人間長年染みついたものはそう簡単に変わりませんからね」
「ラチェスタも人間がわかってきたね!」
「不本意ながら、貴方の後見人になってから学習させられました」
「じゃあひとつだけ。一番大事なことを! どうぞ!」
ラチェスタは口元に手をやって思案した。
「………………………………」
長い! そんなに考えることある?!
「ひとつだけだからね! そんなたくさん言われても絶対対応できないから」
「…………はい。ではひとつだけ」
ラチェスタが出した要望は、思った以上にリュシュカへの信用のなさがわかる内容だった。
夜会の会場を魔術で爆破しない。




