vol.94 『原因:主人公』
連載中、完結済み、一応短編も、最後まで読むかどうかの期待を背負っているのは、やはり主人公なんだろうなと思った話。
敵役、悪役、脇役、主人公よりも好きになることが多く、主人公そっちのけで読んでいる感は強いのですが、どんなに好みの敵役等であっても必ずついてくる主人公が当たり前に読書をするかどうかに絡んでくる…(^_^;)
敵役があまりの可哀想な状況で敵になるしかなかったような設定のとき、主人公の人間性がどうかで読む気がなくなることがある。
敵役と同じくらいに悲惨であるか、自己犠牲愛で成り立っているか、空気を読む(敏い)か、まー度合いも関係あるのですが、これらの要素が主人公と敵役で釣り合いが取れていると最後まで読む。
釣り合いが取れていない――やたら綺麗事を語ってくる、幸せいっぱいな日常、周囲に可愛がられ味方が多く異常に鈍感…であると、あまりにも敵役が不憫に思えて主人公の存在が鬱陶しく感じてしまい読みたくなくなる…。
途中、主人公が何かしら可哀想な目に遭っても同情する心も湧かず、「お前は主人公だし」と結局報われるんだろうと思うと最終回を読む前に気力が消えてしまうことが正直多々ある。
私の個人的な本当に好みについての話なんですが、やたら文中で「賢い」「聡い」「人の感情に機敏」のアピールが多いと主人公のハードルがあがってしまい、少しでも違和感を感じた場合にどう見ても自分勝手の鈍感人間にしか見えなくなってしまうのであります。
「敵役すんごい良いキャラしてんのに…」
と主人公をどれだけフォローしても、主人公だけに毎回話に登場するもんですから読む気力度の減りが早い。
たまにちょうどいいタイミングで閑話が入ったりするときもあるのですが、ハッキリ言ってもう手遅れ状態である。……だって、閑話が終わったらまた主人公出てくるもん。
あの〜主人公の同情のひきかた下手くそだよね、て思う作品に出会う確率が高いのです。それを引き当てる自分の好みなのかなと悩むこともありますが、ゴールしたことがないことを考えれば好きではないんだと改めて思う。
この、枷になっている主人公よりも敵役、悪役、脇役を好きになる自分の性癖?がときに恨めしいな、と。
こういうときに悪役主人公、ざまあ作品を読みたくなる――
悪役令嬢とかざまあ作品に対して批判的なエッセイとかがあると、「不憫の皮を被った幸せ主人公の作品が多かったからじゃ…」と思ったりすることもあります。
主人公が主人公である前に、敵役が主人公である方が面白そうだと思うと、主人公は自分勝手でわがまま鈍感クズに成り下がる……。
みなさんの作品の主人公は、幸せにお過ごしですか?
主人公の座を守れるような位置に立っておりますか?
以上です。
('・ω・')
「こいつ綺麗事ばっかりだ!
って思うのは読者それぞれ、書いた作者さんの匙加減ですが、眩しすぎるときは闇が深いと逆に主人公を見にのめり込んで読む。
あなたの主人公は姿が霞むくらい眩しすぎて、存在感が消えてしまっていませんか? 眩しいと直視できないから疲れてそっぽ向いちゃうもんね。
そっぽ向いた方に、疲れない方に行っちゃう」





