Vol.65 『さいかい』
つい先日、「もう愚痴エッセイはすっぱり卒業しよう」と、ほとんど色んなものを閉じて投稿しているのですが毛穴全開で自分なりの締めのエッセイを投稿した。
投稿してみてスッキリはした。
しかし、今度はちょっとした読者として(又作者として)書く場所をなくしてしまい、むずむずして仕方なかったので放置していたこちらのエッセイをのんびり再開させることにした。
キッカケは――面白いなって思って追っていた作品からブクマを外したことである…。理由は、主人公の性格についていけなくなったことだ。
私は、主人公がたいしてパッとしなくても脇役とか悪役が刺さっていればそれでいい、と言ったら酷いかもしれないがそれでいいのだ。魅力溢れる脇役・悪役、主人公でもぶっ刺さって二度と取れないくなるくらいの性癖ど真ん中の性格な主人公なら良い。
それで、今回ブクマを外してしまった作品は、脇役といいますか、準主人公?は好きなキャラだった。しかし、それを尽く阻む主人公の行動、言動に我慢できなくなってしまい――結果去ることにした。悲しかった。外された作者が一番悲しいかもしれないが、ついていけなかったのである。
作品のジャンルは、恋愛。
ほとんどムーンライトで読んでいるが、前はなろうだった…。どうしてムーンの方で読むことが多くなったのかも一応理由があるけれど今は置いときまして、「主人公の性格って難しいな」と。
何が難しいか、私個人のことだが"天然・鈍感"であることは、過ぎるとただただ苛つかせるだけになってしまう。
勿論、そういう主人公が大好物だな読者もいる。だからランキング上位にもいくのだろう。けれども、あらすじに"超がつくほど鈍感"ときちんと明記されていたが、自分の想像以上だったのである。
……ええ、何を言いたいかというと、こうして自分自身の思ったことをまとめ書いてみて、
「ブクマを外した読者も外された作者も、どっちも悪くない」
少々、勘違いされるかもしれない言い方かもしれないですが、たまに見かけるブクマ外しについてのエッセイ作品やその感想欄で"合わないから外した"というだけだな、と。
ただ、その合わずに外しちゃった作品の作者さんは、自分の作品がどう思われるかはわかっていらっしゃったのかなと思う。本当ところはわかりませんよ? けども感想欄を閉じていましたので、それを目にしたときに「自分の作品のことをよく見ていらっしゃるのだな」と感じました。
自分の書いたものがどういう風に伝わるか、想像することも大事なのかもしれない。
言葉足らずで〜とか、言い回しが〜とか、物語はもう書いていませんが、こうして書いているのだから伝えること、伝わってしまうことについて今一度考えていきたい。
一番は、愚痴をいうより健全な創作活動をすることだろうか。今回ここに書いたこともだれかにとっては愚痴に見えるかもしれない、それでも書かずに悶々としているよりは「伝える」ということを、これから見聞きしたり触れたりしての思考を通して練習したいなと思う。
以上です。
( ´∀`)
「放置してたから読まれてないと思ってましたが…読んでいる人がいた! どうもありがとう。
これからどうなるかわかりませんが、もし言い方がキツイとか酷いなって思われたときは教えてください。以前までのものは書き直しませんが…一応覚え書きなので(汗)
今後、何かしら創作のキッカケになれるよう練習しようと思います」





