Vol.140 『知識とは』
物語にしてもエッセイにしても読んでいると「へ〜そうなんだ」と豆知識的なものから凄く専門的なものまで書かれた作品に出会うことがある。
でも、その知識はどこから?――て同時に思ってしまうくらいには、素直な読者ではない私は調べてしまい……さらに"自分の知識"はどこから何だろうとぐるんぐるん悩み出したのであります。そんな話。
えっとー、何年前だったか忘れましたが、「すごいなこの作者さん!」て、とある事柄について細かく説明されていて関心したことがあった。
しかし、その直後に違和感を抱き、「まさかな…」と調べるとウィキペディアを丸々写した文章だった。気づいたのは、作者さんが書かれた文章と差があり、何となくウィキペディアっぽいと思ったら当たりだったというわけであります。
さらにその後、言い回しといいますか「何だろうこの文章?」と気になる作品を見つけたときは、ウィキペディアであることが多かったように思います。
勿論、引用したことがわかるように書かれていたものも見たこともありますし、ウィキペディアだけでない参考にした資料からの引用でも後書きに書かれていたり、本文内で軽く説明している作品も何度かお見かけしました。
ちなみに、私は絵を描くのに生態を知りたくてウィキペディアを見たり、色々お絵描きについてのブログや、自分で撮った写真とかを見て描いたり、全く何も見ないで描いたりしてます。
こりゃあ自分で何を参考にしたのか、夢中になりすぎてYouTubeで眺めてたんだか写真集みてたのか忘れちゃうので、書かなきゃなあということを今現在思い出した次第です(汗) 忘れちゃうのは、どんどんアレンジしていってしまって何を参考にしたのかわからなくなるからですかね? 言い訳になっておりますが反省しないとダメですね。
ただ、"参考した"てチラッと見ただけのことも含めてなのか、まじまじと見たことなのか、全部なのかどうなんだろう? どうなんですかね? 頭の中に残ってたらチラリもまじまじも関係ないって感じなんでしょうか。
今回、絵を描くときの延長線で眺めてた文章を人様の作品で見かけ、ふと自分のことを振り返り、「調べて取り入れた知識とは何だろう?」と思ったのであります。
インプットして、アウトプットするとき、じゃあ何を自分は取り出して描いているんだろうかなと疑問に思った――そんな感じです。
goo辞書見てましたが、調べて、知って、理解したものが知識だとして、説明するときに取り出したものが参考にしたもの丸々書かれてあったら、それはただのコピペであって自分自信の知識ではないってことですかね?
"理解した"がきっとミソなんだろうと思うのですが、私の脳みそでは考えることがこれが限界だ…。
知識とは一体何だろう?
自分の言葉で書くことがそうなのであれば、やはり他人の言葉そのままで伝えることは、理解しているってことにはならんのかなと。以前話題になっていたイラストレーターのトレパク話で例えるなら、色んな理解が足らなかったってことだろうなと思う。
理解していないから他人の言葉をそのまま書くしかなく、理解していないから他人の言葉そのままを平気で投稿し、知識のあるフリをする。
そこに縋り付いている作者の心境は、ただただ構われたいだけで、そのうち罪悪感もなくなり麻痺して「ウィキペディア作家」になってしまうんだろう。
ちょっと……話がまとまっているようでまとまっていない感じですが、「この人の文章を読む意味があるのか?」と思った作品に久しぶりに出会し、「著作権どこいった?」もそうであるけれど「知識として取り込んだものを相手に説明するとき、取り出した言葉は一体誰の言葉なんだろう」と悶々とアホみたいに考えております。
最後に、私自身の言葉を伝える能力の低さよ…泣けるわ( ;∀;)
以上です。
ᕙ(ಠ ਊ ಠ)ᕗ※追記
「偉そうではありますが、ミュートすることにした。
完結済み作品漁りたいで同じ作者であっても良いなと思う作品もあれば嫌だなと思う作品もあり――エッセイ作品と創作物とでも違う印象を持つと思ってましたが、ミュートする。
この作者さんの文章は私を面白い世界には連れて行ってはくれないのである。」





