Vol.139 『エッセイジャンルから小説を読むことまで』
エッセイジャンルにいると、色んな考え方があるなーと作品を読んでもそうだし、感想欄を覗いてもそうだし、その受け答えで作者さんの何かしらが曝け出されるものだなって話。
とあるエッセイを読んでね、モヤモヤしたんで★も何もしませんでしたが、「人に嫌われるってどういうことだろう」て考えさせられた。
私は、誰かが私を嫌っても仕方ないなーぐらい…。ネガティブに思われることは確かにショックはあるが、ふと考えれば「じゃあ自分てそんなに人に好かれる人間か?」と自分に突っ込むくらいには、人間が出来ていない。
好かれるというよりも、人と話すのに苦手意識があるので頑張って喋って空回りして笑って誤魔化して何を話せばいいのかわからなくなって疲れて一言も喋らなくなり……最終的にはポツンとおります。好かれる好かれない依然の問題である。
何度か子供のときよりどうにかしないとなーと悩むときがありますが、そんな自分が嫌いかと聞かれたら――めっちゃ好き(. ❛ ᴗ ❛.)
このぽつねんとして、キャッキャウフフと楽しそうに知り合いの人達がしていたとして、正直、さみしさと何とも言えない気まずさと自分への情けなさは感じますが、遠くからその状況を見た場合の残念な姿を想像すると笑えるくらいには折れない心を持っております。
まー自分だけでなく気まずさを感じるのは知り合い達も一緒だろうし…、勿論、一切気にしない人もいる。また「可哀想な奴だな」と思う人がチラチラ視線を送って来たりもする。
うん、その視線いらん。
可哀想な奴って見事にハの字の眉毛を作るのもやめてくれ。
そして、「可哀想この人…いっちょ私が話しかけてやろう」もハッキリ言って怖い。
よく学生の頃、「ひとりぼっちは可哀想」て「友達を作りなさい」て言われたが、そうだろか? 可哀想な状況を作っているのは「仲のいい子同士でグループ」と指示を出す先生なわけで、「班でグループ作って、隣同士でやって」と言う先生を断然信頼するわ。
正直、なんで自分がぼっちになっているか知っている。ぼっちにならない方法も知っている。きっと誰かにしたら簡単であることも知っているし、一応、やり方も知っている。
ひとりになりたくなきゃ誰かに声かけろ。
これだけである。自分のことを話さない奴は得体の知れない奴なのだから、知って欲しいなら話しかけて――話し続けることを繰り返すだけである。
何ともシンプル。でも、自分には難しい。いい歳しといて、いい歳してても難しいもんは難しいのでありますが、これで困っているかというと特に困っていない。
理由は、
好きなものがあるから。
たとえ大勢の人に認められていなくても、自分自身で自分自身を褒められるぐらいには認めているものがあるから、もしも…たぶん…きっと、誰かに嫌われていたとしても無心で縋るものがあるから大丈夫だと思っている。
ダラダラとではあるが続けているエッセイらもそうだし、「これをやっている場合じゃないな…」とどこか負い目がありつつも夢中になれる絵もあるし、あれもこれも観たいと思うホラー映画は3歳児の頃から好きだし、ずっと集めている漫画の最終回を読むまでは死んでも死にきれない!
体力的にもう辞めてしまったスノーボードは、「あーここで滑ったら〜」と妄想は毎シーズンずっと止まらないし、まだまだ入りたい温泉やもう一度だけ行きたい秘湯もある。
ま、ハッキリ言えば、誰かに嫌われようが自分の好きはなくならない。
自分の好きなことに自信を持てよ、と思う。
もし、持てなくとも「こいつ可哀想だな」と満たされない己の気持ちを他人で発散するなよ、と思う。「こんな可哀想な奴に話しかける私、こんな可哀想な奴に手を差し伸べている私」と踏み台にするな。
それは見下してるっていうんだよ。
なんて考えてしまったエッセイを読んだのですが、今回のように思うとぽっと頭に浮かぶものがある。ジブリの『思い出ぽろぽろ』てやつ。好きな映画の一つでもあるのですが、クラスで嫌われ者の男の子が転校していくときの話を思い出すのであります。
私の解釈は違っているかもしれませんけれど、可哀想って思ってくる人ほど良くも悪くも自分を同等に扱ってはくれないんですよね。
何をすればいいのかわからないし、自分にはその嫌われた人をどうすればいいのかの答えは持ってはいませんが、言葉の節々から感じるものはよくわかる。可哀想だと近寄って来る人の目が何を語っているのか、態度が何なのか、どきどき被害妄想も膨らみますが同情されるって辛いときがある。「私って可哀想な人間なのか」と頭を押さえつけられて頷かせられているように感じるのです。
エッセイジャンル――エッセイを書いて得るものって創作話を書いて投稿して得るものとは違うんだろうと思う。
エッセイを書くのは私は難しいとも思っています。物語と違って主人公が作者本人だから、誰かに不愉快だと思われたらキャラクターがクッションになってくれるわけじゃないし、良いことを言われたら承認欲求の満たされ度が半端ないだろうから……。
エッセイを書くのは、諸刃の剣だ。
そして、最後にみなさん、本当に好きなものはありますか?
୧( ಠ Д ಠ )୨
「漏れなく、私も誰かを『可哀想…ಥ_ಥ』と見下しているときもありますね。このエッセイ内でもあったはずですが、無条件で人から嫌われるのは"生理的に無理"てことなんで仕方なし。
だって、自分にもそういう人がいるもの。自分は良くて他人は駄目では、ただのワガママになってしまうと思う。
人間関係を考えるって面倒くさいて、ウザくて、窮屈で、無性に不安を煽って来るけど――憧れちゃうね。
だから、小説を読むのは面白くて辞められない。エッセイを書く・読むについては……難しいのでこの頃はそれに対する答えを持っていませんが。」
※追記※
何度も改稿してますが、内容は変わっていません。ただ一つ忘れてたことを思い出したので追記です。
"自分は良くて他人は駄目"ってモヤッとするけど、"人にやられたからって自分もやってやる"もモヤッとしますよねー。人間関係が上手に見える人ってどうだったかなーと少ない記憶を辿れば……いつもほんわりしてて誰にでも明るく接してたなって。
でも、「八方美人て悪口を言われたことがあって自分に自信がない」て言ってたことを思い出す。
誰しも自分自身にしかわからん悩みを抱えているもんですね。私にはその子は凄く眩しくて温かくて癒やされるんで好きなんですが、人間色々ですわ。
人間関係なんて悩むだけ無駄かもしれません。
そんなもんだ――で好きなことやってるのが一番かもですね。以上です。





