Vol.12 『すきっ歯ちゃん』
これだけは言っておきます、タイトルは悪口ではないです。
前回の続きのようなもんです。
余白の話――以前、肉襦袢に例えましたが、今度はすきっ歯ちゃんです。詩を読んでいるときには気にもならないのですが、何故か?文章、物語になると気になるのが一文書くたびに余白を入れていく書き方。
今日は昨日の土砂降りが嘘のように晴れている。
真っ青な空に一つ、二つ、気持ちよさげに泳ぐ雲……
「あー!」
なんて意味もなく声をあげて思いっ切り伸びをする。
隣で同じような小さな小さな、まだ双葉の朝顔も嬉しそうだ。
明日も晴れたらいいね、と私は雫のついた葉を突っついた。
PC、ガラケー、また字の大きさをかえている場合どう見えているのか知らないんですけどね、調べようともしない体たらくですけどもね、避けます。タイトルが気になって、あらすじ読んで面白そうかも…と思っても、申し訳ないですが閉じます。
ただ――内容がほのぼのであったり、短かいと読む。シリアス、バトル多々のモノであったら…すみませんがサヨナラです。雰囲気の問題なのでしょうか、気が抜けちゃうんですよね。
幼い子が主人公で一人称の書き方だった場合、よくひらがなオンリーであったり、難しい漢字は使わないようにしている作品を見たことありませんか?
すきっ歯ちゃんも……と言ったら、好みの問題が大でしょうけども、自分がどんな物語、どんな風な空気を放っているのか、ただ書くってだけでなく、見えている全て、読者が見る範囲・見える範囲を考えることも作品の世界観の表現なんだろなぁと思うのであります。
もう少し付け加えるなら――
書き始め前と書き終わり後はニ、三行空けるとか。タイトルがあって、名前があって、「いざ読みます!」の前に広告があるのでね……折角、真面目な話をしようかというところに女性の胸元と育乳法の話題が目に入って困る…いや、気になるもの。
空気の入れかえするように、一拍置く気分で、空間を作るのであります。それがどれだけの効果を発揮しているかはわかりません。気分の問題だろうけれども、考えるという単なる自己満は意外と自信に繋がるものだと私は思っています。
('・ω・')
「短編と連載で、広告の見え方が違うんですがね…」





