蝦夷と日本 8
1993年は日本には福音の年であったが、蝦夷には災厄の年となった。
ソ連崩壊によって金蔓を失うと共に市場まで失っていたのだから。更に言えば販売代理店まで失う状態だった。
この年の春にはさらなる問題が降りかかる。
新しく誕生したロシア連邦は旧ソ連諸国の盟主的な立場を表明し、蝦夷にも機構への加盟を求めて来たのである。しかし、蝦夷の解釈では「ソ連による主権の尊重」は独立の維持であり、ワルシャワ条約機構諸国と同じ立場と考えていた。その上、ソ連時代の経済的な保証など何一つしてくれないどころかタカリに来ているようにさえ見えた。にも関わらず盟主ヅラするロシアが我慢ならなかった。当然として加盟を拒否し続けていたのだが、10月政変によって権力が確立したエリツィン政権は高圧的に加盟を強要してきた。
ソ連側の解釈では、「ソ連加盟国となった蝦夷へ『ご褒美』として北樺太を貸し与えた」とされ、ソ連崩壊に伴う後継機構へ蝦夷が加盟するのは必然であった。
こうした双方の相違からとうとう事態は武力衝突へと至るのだが、蝦夷製兵器はイラクで示された様にソ連よりも優秀だった。更に、実戦データを得たことから戦闘指揮の面でも改善が行われている事から懲罰的侵攻を行ったロシア軍は何の成果もなく撃退されてしまう。
この事態を受けて蝦夷は国号から社会主義や人民という言葉を排除し、更には共和制の破棄と君主制復帰の意思を固め、単なる融和から積極的な日本への接近と天皇の下への帰参を画策していく。
当時のロシアには懲罰的侵攻以上の行動は不可能であった事から和解へと態度を軟化させ、友好関係の維持を図る様になった。もちろん手遅れだったのだが。
もし、そのまま何も起きずに時が流れていたならば、あるいは、ロシアの考える様な和解や友好が実現できていたのかもしれない。これ以後の米ロ関係を見るにつけ、その様な可能性もあったのではと想像されるが、それはあくまでもイフでしかなく、現実はそのような平和な時代へと移り行くことは無かった。
1994年7月9日、高句麗国は金日成の死を報じる全国放送を流す。
もちろん、その事で国が悲しみに包まれるという事にはならず、南部ではこの機を逃すまいと金大中、金泳三の二人を中心とした大韓民国独立運動が再び活発化し、金日成の葬儀を優先して南部への対応が後手に回っていた平壌政府を嘲笑うように、再度、テグにおける独立宣言が発せられることとなった。
この宣言では過去に行ったような暴露話は無く、単に、満州に起源をもつ国家主席家族に朝鮮王朝を僭称する資格は無いと述べるにとどまっていた。
当然ながら、期待された米国による支援は無かったが、代わりに中華からの支援が行われ、武装に成功した独立運動家たちは武装闘争によって1996年には高麗半島南部を実効支配するに至った。
この南部での武装闘争に合わせる様に中華共産党も奪われた東北部地域への反攻を開始した事によって、高句麗は南部の鎮定を先送りとして中華との戦闘を優先した事が、大韓民国成立の要因であるともいわれている。
当時、国際的な孤立にあった中華が韓国独立を支援したのは高句麗を弱体化させるとともに、国際社会への復帰の足掛かりとするためであったと言われる。しかし、事はそう巧く運ぶことは無かった。
武装闘争によって全羅道と慶尚道のほぼ全域を配下に置いた大韓民国であったが、高句麗国南部における港湾拠点が置かれた保寧市での虐殺事件が明るみに出ると世界の大韓民国への見方が高句麗に対するものと変わらなくなる。更に済州島が編入拒否を宣言すると済州島への苛烈な攻撃も行われることとなり、もはや誰も大韓民国を支援しようとはしなくなっていく。
それは当然のように中華への評価にも影響し、国際社会への復帰を画策した中華の行動も徒労に終わってしまう事となった。
それから20世紀の間はずっと中華と高句麗による紛争が続き、敵の敵は味方とばかりにロシアが高句麗支援に回る事で、中華は次第に疲弊していくこととなった。
1998年に札幌冬季五輪が行われている頃、ロシアと高句麗は経済協定を結び、西側諸国が加盟していた輸出規制から高句麗が離脱する旨を宣言し、当時、高句麗が有した多くの技術がロシアへと渡る事となった。その見返りとしてロシアは多額の支援と格安での資源輸出に合意し、高句麗で不足していた希少金属資源の供給が安定し、次第に中華を圧倒するようになっていく。しかし、そんな劣勢にあっても、中華は核に手をかける事は無かった。いや、高句麗がロシアという後盾を得た事で手をかけられなかったという方が正解かも知れない。
そして、21世紀を迎えた2002年、上海での民主化運動に端を発する全国騒乱によって中華人民共和国は崩壊してしまう事となった。
ただ、これが中華に平和をもたらしたかというと、全くそんな事は無かった。
台湾に居を構えていた中華民国は治安維持と称して福建省へと上陸、上海で政権樹立を宣言していた上海民主国と武力衝突に至り、それ以外にも各地域の軍や旧共産党地方政府が各々独立を宣言して群雄割拠の状況を呈する大混乱が巻き起こる事となった。




