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とある世界の日本  作者: 高鉢 健太 
村田騒動記
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村田騒動記 4

 こう語ると、他の戦争成金のように村田も大いに儲けて顔が緩んでいたと思うかもしれない。


 しかし、生産が進めば進むほどに、村田の顔色は悪くなるばかりだった。


 それもそのはず。この時代の銃器は木製銃床なので、銃床に適した乾燥木材を大量に確保しなければ銃の量産が出来ない。

 ところが、日本では大量の受注を賄うだけの乾燥木材の入手が早々に綱渡りの状態に陥ってしまったのだった。

 日本国内では村田銃工業の大量生産を支えるほどの木材が確保できず、中国やロシアに対しても木材買い付けに走るようなありさまだった。


 そんな村田が笑顔な筈もない。


 そんな状況だったことから、ロシア革命を勿怪の幸いに、早々にロシア向けライフル。通称、露式騎銃の生産を打ち切ってしまうほどだった。

 それでも実は何の問題のなかった。ウラジオストクには運ばれずに山積みとなった露式騎銃や弾薬が置かれていたのだから。


 この木材不足を受けて、村田はすぐに木材を使用しない銃器の設計に邁進し、1917年には英国向けに村田機関騎銃というモノを開発していた。


 これは今でいうサブマシンガンであり、9ミリパラベラム弾、45口径弾、8ミリ南部弾に対応した機種が用意され、英国は9ミリパラベラム弾仕様を気に入り、発注を行っている。


 急に出て来た感のあるサブマシンガンであるが、村田にとっては急では無かった。


 その開発はM1907を持ち帰り、自動小銃の開発を始めた頃にさかのぼる。


 30ウィンチェスター弾に適した構造を探る傍ら、より低威力の拳銃弾であれば現行の構造で何の問題もないのではないかと考えた村田は、8ミリ南部弾を用いた試作品を作り出した。


 思った通り、拳銃弾を用いれば耐久性にも余裕があり、何より反動や銃口の跳ね上がりも抑えられ、とても扱いやすくなっていた。

 だが、その反面、拳銃弾である事から有効射程はライフル弾には遠く及ばず、150~200mを過ぎると思うように命中しなくなる。


 これではいくら軽便で連射が効くと言っても野戦では役に立たない。


 その為、作っては見たがお蔵入りの状態だった。


 だが、欧州における塹壕戦の話を聞くにつけ、この短射程であっても塹壕の白兵戦でならば有効ではないのかと英国へと提示したのだった。

 しかも、ただでさえ不足しがちな木製部材を極力使わない構造として仕上げ、提示している。


 当然のことながら、機関部は木材に嵌め込むようなことはしていない。銃床も鉄パイプを曲げて成形したシロモノに申し訳程度の木製肩当があるだけ。弾倉の前には銃身下部を覆うようにハンドガードが取り付けられているが、これもほんの最小限でしかなかった。マトモに加工されていたのは銃把握くらいのモノだった。

 そんな、見るからに貧相な仕上がりではあったが、戦時急造として英国も受け入れている。

 英国も村田機関騎銃を参考に、サブマシンガンを開発するが、その活躍は第二次世界大戦まで待たなければならなかった。


 そして、1918年に入る頃には村田機関銃も大幅な変更を受け、ライフル銃型であった形状が軽機関銃としてのソレへとガラッと変化し、銃床すら鉄製に変更されたほどだった。その時初めて、村田機関銃が重機関銃の類ではなく、ルイス機関銃と同じ運用のモノであると気付く英軍もどうかしているのだが。


 こうして何とか危機を乗り越え、戦争が終結すると大量の在庫が残る事になった。


 村田機関銃は陸軍がようやくその価値を認めて八年式軽機関銃として採用され、在庫分の大半が陸軍へと引渡されていった。

 残された村田機関騎銃に関しても、欧州での戦闘を分析した結果、必要性を認めて1921年には十年式機関短銃として採用している。騎銃との名称としなかったのは、歩兵への配備を考慮したからだった。


 陸軍は採用に当たって、木製銃床を要求したのだが、村田は逆に銃床を折り曲げ式として「こういう構造だから木製化は不可能」とさらに余計な機構を組み入れ、陸軍にパイプ折り曲げ銃床を認めさせてしまっている。


 こうして実際に第一次世界大戦で運用された火器をいち早く採用して欧州とのギャップを埋めようとした陸軍は、更なる銃器の研究開発を計画し、村田もそれに応じている。


 さて、村田銃工業が製造した銃器の内、英国規格のモノはそれで何とか処分できることになった。


 しかし、露式騎銃とロシアン弾をどうするかという問題が残る事になった。


 ウラジオストクに陸揚げした分は向こうでどうにかしてもらえば良いが、国内にもまだまだ残っていた。


 そうした不良在庫の処分に困った村田は、低価格で北米市場に流してしまおうと考え、村田USAへと露式騎銃とロシアン弾を送った。


 この事が米国における村田銃の知名度を決定的なモノとする。


 売り出した露式騎銃は軍用規格であり、精度に問題はない。ただ売れ残っただけである。


 にもかかわらず、相応に低価格でたたき売りされたモノだから、平素は高価なライフル銃に手を付けない層までが購入していく事になった。

 当然、在庫限りと言う事でそう長く低価格な村田カービンを手にすることは出来なかったが、村田USAのラインナップはカービンだけでなく、ショットガンもあった。変わり種の管状弾倉式ボルトアクション散弾銃などという変態銃器にもようやくスポットライトが当たり、マニアックな層に認知されていく。


 それだけでなく、ウィンチェスターも自社のショットガンにMURATAの名前を冠し、彼の設計であることをアピールするようになり、トミーガンに対抗して村田銃工業からライセンス権を得た45口径機関騎銃をムラタガンとして発売し、シェアを二分する事になる。


 こうして米国で知名度を得た村田銃であったが、その知名度を生かして、南部自動拳銃もラインナップに加えることになった。

 この事がきっかけで、軍を退官した南部はそのまま村田銃工業へと入社し、村田の跡を継いで銃器開発を指揮する事になったのは有名な話である。


 

村田「だから!遅すぎだと言ってるんだ!」


業者「みんな、クリスマスには終わるって言ってましたよね?」


村田「んな訳あるか!」


業者「仕方ないでしょう!みんな終わると思ってたのにコレ。銃床材なんて確保しきれませんって!」


紳士「この銃はエエな!せや、ウチでも作ってみよか!」


村田「切削加工でゴミ造るのは紳士のルールなんか?」


紳士「ゴミちゃうど!木材レスのこの機能美が判らんか!せや、名前はステンMk1!」


村田「それ、MkⅡじゃね?」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 架空戦記スレでよくやる、WW1でステンガン開発してイギリスに売りつけるのをここでも見れるとは。 [一言] ステンガンをさらに簡易にしたメトロのバスタード・サブマシンガンみたいなのや、フォー…
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