鋼鉄の守護神3
日本戦車は九七式中戦車までは世界の趨勢に合致したものだった。
二式中戦車も戦争勃発後の趨勢に遅れることなく登場した戦車であるが、未だ多くの部分で従来通りの戦車の面影を残していた。
二式中戦車は「ノモンハンのバケモノ」をとにかく相手にすべく、既存の技術で手堅くまとめた戦車であると言える。
主砲には九〇式野砲から流用した38口径75ミリ砲を備え、唯一、一式砲戦車開発で露呈した野砲砲架での操作性を改善した以外は、おおむね九七式から進化したと言えるだろう。
この当時、九七式と同じ排気量でより信頼性が高く高出力の百式統制エンジンが完成ようとしていたが、戦車はその枠外に置かれることとなった。
二式中戦車は20トンを超える重量となったため、既存のエンジンでは機動力を発揮できず、百式統制エンジンより大型の排気量25ℓエンジンを開発し、何とか所定の300馬力を達成している。
ただ、このエンジンでさえ「ノモンハンのバケモノ」と同等の性能を持った車両を縦横に走らせることはできない。
折よくノモンハン事件の際に鹵獲したBT戦車の中にディーゼルエンジンを装備するものがあり、そのエンジンを参考にしようという動きもあったが、そのエンジンが日本にも導入されたイスパノ系航空ガソリンエンジンをベースにしている事で、壁にぶつかってしまう。
当時の製造能力で量産可能なエンジンを求めていた。だからと言って、既存の技術で目標馬力を得ようと思えば、鹵獲したエンジンよりも大型化してしまう。そもそも製造に難がある航空エンジンのディーゼル化など論外だった。ガソリンエンジンのまま、車載用にデチューンした方が確実なのは言うまでもないのだが、そうした大型のエンジンを用いたのでは「ノモンハンのバケモノ」よりさらに巨大な戦車しか作れず、機動力に劣った戦車になってしまうという結論が導き出されることとなった。。
困った関係者は4サイクルよりも高出力化しやすい2サイクルに期待する事になったが、陸用として適当な2サイクル航空ディーゼルなど存在していない。技術的にも未知の分野であり、舶用機関の技術を応用して新規に開発する道を模索した。
ちょうどタイミングよく海軍が魚雷艇用高速ディーゼルの研究を始めており、三菱を介してその技術を応用して新型2サイクルディーゼルを開発する事となった。
機動力について一応の道筋がついたころ、攻撃力についても、二式七糎半戦車砲では非力な事は明白で、より強力な戦車砲の開発にも着手した。
まずは鹵獲した85ミリ砲の解析や模造が行われたが、この砲には不思議な部品が取り付けられていた。
砲身の中ほどより先に一回り大きな円筒が被せられており、砲身に穴が開いていた。
反動抑制であれば砲の先端に制退器を装着すれば良い。当然、円筒にガスを導いても反動抑制に等ならない。
何のためにあるのかはじめはよく分からなかったが、実際に発砲してみてその機能が判明した。
この装置は砲身内の発射ガスを一時溜めておき、砲弾が砲口を出て砲身内のガス圧力が下がると円筒内のガスが排出され、そのガスは多くが砲口へと向かう。そのため、戦車砲の様な半自動で砲尾を開いて薬莢を排出する構造の場合、本来ならば砲身内の残留ガスが砲尾へ逆流して来るのだが、この装置があるおかげで砲口へ多くのガスが向かうので砲尾は負圧になっており、ほとんどガスの逆流が起きなかった。
単純な構造なのに見事な仕組みであることに驚くとともに、電装系の弱い日本では大口径砲を狭い戦車内に備えて発射ガスが充満しても、電動ファンで換気、排出を行うベンチレーターが有効に機能しない可能性があり、継戦能力への懸念があったが、それに対する有効な回答としてこの装置が注目され、「吸煙装置」という名称でその後に開発された戦車砲に取り付けられることになる。
しかしこの装置、戦後の核戦争に対応した戦車にこそ採用されているが、戦時中のソ連戦車への採用例がない。
確かに日本側資料では、擱座した戦車の砲身に円筒が見られ、鹵獲後の調査でも子細に触れられているのだが、ソ連側の資料を当たってもその存在が見当たらない。
一説には試験運用での鹵獲という不祥事を隠すために存在自体が抹消されたのではないかともいわれているが、近年のロシア側資料を調べても出て来ないのは非常に謎である。
閑話休題
そうした開発が行われ、1943年には一応の形が出来上がる。
三式七糎半戦車砲は85ミリ砲を参考に54口径75ミリ砲として完成した。もちろん「吸煙装置」付きである。
エンジンに関しても試作機の耐久運転が成功裏に終わり、後の四式中戦車となるチリ車の車格に合わせたV型8気筒500馬力として開発が行われていた。
さらに、車体前面装甲をかなり傾斜させる関係からBTや「ノモンハンのバケモノ」同様の後部起動輪方式が採用され、二式中戦車までの日本らしさが一切なくなり、四式中戦車の少し後に登場してくるT44に近いシルエットになっていた。
これは期せずして四式中戦車が「ノモンハンのバケモノ」への対抗、そして参考にした結果、開発思想が似通っていたからだと言われている。




