らのべっぽいみたいな回想録 14
空母部隊が猛威を振るった真珠湾は三波に渡る攻撃で大打撃を受け、残った航空機も僅かとなっていた。
米軍にとって最悪な事に、周辺には他に空母も戦艦も居らず、空襲にやってきた空母を追う戦力は存在していなかった。
当然、米側は戦艦部隊の存在を忘れていた訳ではない。上陸部隊を連れている可能性を考えれば、まだ時間があると思っていただけの事だった。僅か10ノット少々で進む輸送船団を従えた艦隊がやって来るには時間がかかるハズだった。
しかし、実際にはその日の夕方には新たな航空機がハワイ上空に現れ、米軍は迎撃機を空に上げた。
しばらく空戦が続いたが米機が排除されたのちも後続の攻撃隊が来る気配がない。
真珠湾の将兵たちが訝しんでいると、突如、ダイヤモンドヘッドで爆発が起きる。約2分ほどしてさらにそれを十倍するような爆発が起きたことで日本軍の攻撃だと悟るが、敵はどこにも見えなかった。航空機は先ほどから飛び続ける少数機だけ、かといって沖合に艦隊の姿は望めない。唯一、司令部にはダイヤモンドヘッドから艦隊接近の報を受けたが、詳報が来る前にどうやら通信設備か監視所が破壊されてしまい詳しい事は分からず仕舞いとなってしまっていた。
そして、10分程度続いた砲撃が今度は真珠湾周辺へと降り注ぎだした。
飛行場にはクレーターが出来、湾周辺に水柱が立ち上り、運悪く命中した艦船から火柱が立ち上る。
40分にわたる砲撃で真珠湾内の施設はクレーターだらけとなり、運悪く直撃を受けた艦船は大穴が空くか、千切れ飛んで鉄屑へと変わり果ててしまっていた。
内陸からそれを目撃した米陸軍は日本軍の上陸に備えて不眠で警戒態勢を取るが、2日たっても更なる攻撃や船団が現れず、3日目にようやく警戒態勢を説いて真珠湾周辺の救難活動に専念することになった。
米側は何故占領部隊が来ないのかと訝しんだが、日本側にしてみれば、そんな余力はない。仮に一度占領に成功したとしても、それを維持するだけの能力が足りていなかった。ハワイを守って多大な犠牲を出して本土を危険に晒すくらいであれば、占領などせずに再びマリアナで待ち構えた方が良いと考えていた。
そもそも日本はインド洋まで戦線を広げ過ぎていたので、対米戦力を揃えて太平洋を席巻するだけの力が無い。それをしようと思えば、満州に張り付けている陸軍やインド洋でアラビア海封鎖を行う艦隊も投入しなければならなかった。
米国にしてみれば被害は甚大ではあったものの、この時点で太平洋に居たのは戦前か戦争初期に竣工した空母ばかり。半年から一年もすれば、より強力な戦力を投入可能だった。何も焦る必要などない、今は準備の時という気持ちだった。
一方で日本はと言うと、ソ連を仲介にした和平の道を探っていた。
しかし、相手であるソ連は仲介役を果たそうなどとは微塵も考えていなかった。それどころか、ペルシア回廊からの補給を絶たれたことでコーカサスで敗退してしまい、日本への恨みを募らせていた。
当時、ソ連書記長の元には日本、満州に関する報告書が届けられていたが、そこには遼河、扶余において石油採掘がおこなわれていること。及び、日本軍の戦車が未だ57mm砲しか装備しておらず、ソ連戦車や米国からのリース車両の敵ではないと言った事がツラツラと書き連ねられていた。
それを読んで思う事は一つしかない。
日本はノモンハンを巡る問題で大幅な譲歩を行って戦おうとしなかった。確かに兵は強いのかもしれないが、装備はソ連軍に比べて数段劣るという報告は既に受けていた。
今もその状態であるというなら、カスピ海という天然の要害によってそれ以上東進できないドイツ軍への備えをほどほどに、中央アジアから兵を動員して満州を攻めるのもアリではないか。その様に考えていた。
そして、同じような考えを米国大統領も持っていた。
自らの失態によって戦艦を多数失い、更には多数の空母まで失ってしまった。力を蓄えるべき現状で日本に大きく動かれては困る。何処か新たに気を取られてしまえば時間が稼げるのではないか?と。
両者の思惑は一致し、ウラジオストクへの物資輸送は格段に増えることとなった。
6月から始まった物資の増加は11月まで続いた。
日本は中立条約を理由として、一切の妨害もせずに傍観していたのだが、まさかその物資が自らに向くモノだとは考えもしなかった。
未来人が居るというのなら、そのくらいの事は分かるようなものだと思うのだが。物語においても、この頃の両国の物資輸送については非常に楽観視していたと書かれている。それらは対独戦線において冬季攻勢に使われるもの、という認識で一致していたのだという。
しかし、冬季攻勢が行われたのはドイツ軍の正面ではなく、満州だった。戦車も戦闘機も爆撃機さえも、紅い星が描かれてはいるが、すべて米国製だった。
物語によると、攻勢は早くて1945年7月以降を想定していたが、一年半も早まってしまったのだという。
しかし、日本側はいくら楽観視していたとはいえ、準備を怠っていた訳ではなく、関東軍は依然健在であり、戦闘に対して不安は無かった。
攻め込んで来た戦車はM3やM4であり、一式戦車で十分対抗可能だった。その点でソ連は日本軍を見誤っていた。
空についてもP39やP40は空軍の一式戦闘機で難なく相手が出来た。南方では不評の二式戦闘機も速度を生かして活躍している。
ソ連軍は多数の車両や戦車を擁していたが、従来のT-34やBTシリーズといった自分達の戦術に合致したモノではなく、米国製戦車は燃費が悪く、余計な兵站の負担が増えたことで思うように進撃速度を上げられなかった。
最も最悪だったのは虎頭要塞正面だった。そこには日本陸軍で唯一の巨砲が据えられ、海軍の九五式徹甲弾の技術を流用した専用弾によってシベリア鉄道を広範囲で破壊して回り、ウラジオストクとハバロフスクの連絡を完全に遮断した。
そのためソ連軍は沿海州での円滑な部隊移動が滞り、元来弱体だったウラジオストクは開戦と共に舞鶴を発した日本海軍の空襲を受け、集積していた物資の大半が兵員諸共焼失してしまうという惨劇に見舞われている。
戦線はさらに沿海州沿岸に及び1944年2月には先んじて樺太全島を日本軍に占領されるに至る。孤立したペトロパブロフ・カムチャツキーは米国の補給によって何とか命脈を保っているような状態だった。
虎頭要塞からの砲撃で完全に増援のアテを無くしたウラジオストクは孤立し、侵攻してきた朝鮮軍によって4月には占領されてしまう。
他の地域においても、緒戦で防御線を突破するのに無駄に時間を浪費してしまった事で、日本側の戦力の逐次投入という愚を犯した失態が事実上消え失せてしまい、戦線は膠着状態になっていた。
その結果、開戦した事で自ら補給路をムルマンスクに限定する愚を犯してしまったソ連は、反転攻勢の体制を整えつつあった東部戦線での準備すら中途半端な状態で春を迎えてしまった。極東戦線は日本軍が想定以上に頑強だったことで、結局のところ、ほとんど無駄に資源を浪費しただけの徒労に終わったのであった。




