英国面を克服セヨ 中
某挑戦者たちなOPを脳内再生しながら・・・
技官が提示した性能は驚異的だった。
発射速度は常用で毎分200発以上、最大瞬間速度であれば400発を超える。
誰もが驚く計画値だった。
そして、誰もが実現不可能だと思った。
それでも技官は諦めなかった。
「間違いなくその性能を実現する術がある」
そう確信していた。
技官の頭にあったのは、対抗馬となる保式二十五粍機銃と同じ、ホチキス社が創業時期に開発した回転砲だった。
その砲は、ガトリング砲とよく混同されるホチキスリボルバーカノン。
ガトリング砲もホチキス砲も複数の銃身を束ねた外見をしているが、ガトリング砲が撃針や装填装置などの機関部を銃身毎に備えるのに対し、ホチキス砲は名前の通りリボルバー拳銃の様に撃針や装填装置をひとつしか持たない。ただし拳銃と大きく異なる点はシリンダーが独立しておらず、複数の銃身を備えている事だった。
ホチキス砲は1883年、イギリスから購入した巡洋艦筑紫に搭載されていた。
1906年には除籍されているので、技官がそんな古い搭載兵器を知り得ていたのは一種の奇跡だった。
ホチキス砲は反動の小さな37×94ミリ弾を用いていた。毘式機銃も40ミリ弾としては小柄な40×153ミリ弾を用いている。
偶然にも、ホチキス砲には37ミリ以外に、40ミリ、47ミリ、53ミリという大口径なバリエーションが存在し、その構造に毘式弾薬を用いる事に不安はなかった。
技官は完成した試作砲を皆に見せた。
「これが私の提案する画期的な機銃です」
皆が首を傾げた。
「ガトリング砲など、今の時代に活躍出来るものではない」
「旧世代の骨董品が、近代戦で役に立つとでも思っているのか」
皆から罵声を浴びた。
それでも技官の自信は揺るがなかった。
射撃試験の日、誰もが成功するとは思っていなかった。
ところが、技官の試作機銃はベルトで繋がれた140発の弾薬を20秒で撃ち切った。成功だった。
新たに弾帯を取り付け、何度も射撃が繰り返されたが、毘式機銃のようなトラブルを起こすことはなかった。
「あんな古い構造の銃器がなぜ快調に動くんだ」
「40ミリ弾を故障なく、あんな速さで撃てるものなのか」
皆は驚いた。
それは、逆転の発想だった。
当時実用化されていた機関銃、機関砲は発射する弾薬の作り出す強力なエネルギーを利用して動作していた。
毘式四十粍機銃は世界初の自動機関銃、マキシム重機関銃と同じ反動を利用して後退する機関部から排莢と装填を連続的に行い、次の発射へと動作を連続的に行った。
弾頭の重さ、装薬の量が変わればそこで得られる反動エネルギーに合わせて仕様を変更、強化する必要があった。その設計に無理や誤りがあれば、トラブルを招いた。
九三式十三粍機銃や保式二十五粍機銃はガスの圧力を利用していた。ガス圧作動式は銃身内で燃焼するガスの一部を銃身から取り出し、ガスの圧力でピストンを後退させることで機関部を動かし、排莢、装填を連続的に行う構造となっていた。
使われる弾薬のガス発生量の違い、ピストンや銃身、機関部の清掃が不完全であれば、作動不良を起こす可能性があった。
ホチキス回転砲やガトリング砲が発明された19世紀後半は、まだ金属薬莢の発展途上で、薬莢が紙であったり、残渣の多く残る黒色火薬が使用されていた。
当時は工業技術の低さ、弾薬の信頼性の低さから自動機関銃の実用化には漕ぎ着けておらず、かわりに手でハンドルを回し、外部の力で機関部を動かし、装填や排莢を行う事で連続射撃を実現していた。
「そんな古い技術が今の時代に通用する訳がない」
自動機関銃が普及した事で、誰もが手動式機関銃を旧式技術として見下していた。
だが、技官はその常識に疑問を持ち、毘式機銃の機構上の問題や弾薬への適応性を解決するため、手動式機関銃の仕組みを用い、反動やガス圧のかわりに電動機によって機関部を駆動する事で、仕様の異なる複数の弾薬をトラブルなく使用出来るのではないか。
そう考え、実行した。
こうして産まれた試作機銃は、構造や弾薬に起因するトラブルを減らし、従来は細かな調整が難しかった発射速度の調整も、電動機の回転数や歯車のギヤ比を変える事で自在に変更することが出来た。
保式二十五粍機銃との差は圧倒的だった。
「この機銃であれば、構造強度の許容内であればいかなる弾薬も利用できる。これまで製造した弾薬も、これから開発される新しい弾薬も、大きな仕様変更や改造なしに撃つ事が出来る」
技官は胸を張ってそう言った。
皆はその試作機銃を細部まで見回した。
1936年、技官の開発した回転式機銃は見事、制式採用を勝ち取り九六式四十粍機銃として採用された。
技官はまだ満足できなかった。
九六式四十粍機銃は、基礎となったホチキスリボルバーカノンと同じく5本の銃身を備える機銃だった。
技官の開発した高速弾薬の性能を活かすため、毘式四十粍機銃よりも銃身が伸び1.7m(42.5口径)に達した。高性能を実現したが重くなっていた。
「このままでは小型艦に載せるには重すぎる」
技官は小型艦に載せるために銃身を1.5m(37.5口径)に切り詰め、3本に減らして軽量化した九六式四十粍機銃二型を開発した。
こうして、太平洋戦争を迎える頃には多くの戦艦や空母に5本の銃身を持つ一型を、そして駆逐艦などの小型艦艇には軽量化された二型が装備された。




