空母「かつらぎ」 1
1993年、最後のエセックス級空母が退役した。
エセックス級空母は誰もがよく知る通り、第二次世界大戦において活躍したアメリカ海軍の空母である。
この艦は戦争終結翌年、1946年にフィリピン・シーと命名され就役したエセックス級空母である。就役が戦争終結後のため日本との戦争は経験していない。
フィリピン・シーとしての戦歴は朝鮮戦争への従軍が挙げられるが、その後は名前の通りフィリピンを拠点に活動を行い、1954年にはキャッセイ・パシフィック航空機撃墜事件の捜索に従事し、来襲した中国軍機を撃墜している。
その後、大規模な改装を受けることなく1958年12月に退役した。
翌年には予備役入りしていたが、1963年に大規模な改装を受けて現役復帰し、1971年に日本へと無償貸与の形で引渡され、艦名を「かつらぎ」へと変更している。
エセックス級空母の中でこの頃まで現役だったものは大規模な近代化改装を受け、ジェット機の運用に対応したアングルドデッキや蒸気カタパルトの設置が行われるか、強襲揚陸艦として固定翼機運用設備が撤去されているかのいずれかであった。
それに対し、フィリピン・シーはそれら改装を受けずに退役したグループに属していたが、再就役にあたってSCB27相当の改修を受け、後にS-3の運用が可能となっている。
ただ、それよりなにより注目されるのは同様の改修を受けて再就役したタラワ同様、艦前部に6基のポラリスミサイルランチャーを備えていた事だろう。
フィリピン・シーならびにタラワの再就役は不具合が見つかりスケジュールが大幅に狂った戦略ミサイル潜水艦の補完が目的であった。
1960年7月に行われた米国初の水中発射試験は失敗に終わり、最初の戦略ミサイル潜水艦として完成したジョージ・ワシントンは沈没の危機に瀕していた。
詳細が公開されるのは後年の事であったが、この日の水中発射試験においてミサイルを海面まで射出するはずだったシステムが圧力に耐えられずに破損、ミサイル区画に浸水をきたし緊急浮上が成功した事で辛くも沈没は免れたが、原因究明のために戦略ミサイル潜水艦計画は停止される事となった。
当初は建造時のミスが原因とみられ、3か月後には停止は解除されたのだが、11月に行われた再試験でも浸水が発生し、設計ないし製造に関する重大な問題であることが判明してしまう。
これを受けて原因究明を行うとともに代替策を講じる事が急遽決まり、当時NATO水上艦隊へのポラリスミサイル配備計画を進めていたものを自国でも取り入れる事が急遽決定した。
ただ、巡洋艦や戦艦への搭載には消極的で、あくまで潜水艦が就役するまでの間に合わせであることから、退役し予備役に編入された中でも新しいタラワ、フィリピン・シーに白羽の矢が立ち、自前の対潜哨戒を行う事やミサイル以外の核攻撃手段として攻撃機を発進させるために必要な改修が急遽行われることとなった。
当初はスケジュールが大幅に遅延している潜水艦計画を補完するために1970年までの運用を前提に改修を実施して就役させたのだが、潜水艦計画は1966年に再開されるまで手付かずの状態となり、その間にイタリア海軍巡洋艦ジュゼッペ・ガリパルディに加え、1963年、64年に就役したアンドレア・ドリア級にも搭載され、核パトロールを始めている。
タラワは地中海においてイタリア海軍と共に核パトロールを行い、フィリピン・シーは真珠湾へと配備されることとなった。
潜水艦計画は1966年に再開したものの、慎重な検証が続けられ、初の試験成功は1967年6月の事であった。
こうして1969年までにようやくジョージ・ワシントン級、イーサン・アレン級が相次いで就役したものの、この失敗を基にミサイル発射装置の設計を新たにやり直した後続の建造は大幅に遅れる事となっており、さらに2隻のエセックス級がミサイル空母として改装、再就役を果たす事となった。
それらが就役し、順調に潜水艦の整備が進んでいた1969年、新たに就任したリチャード・ニクスンは多角化核戦力計画の実施国をイタリア以外に広げる事を提唱、その中にはNATO加盟国ではないにも拘らず、日本の名前があった。
当初から計画国の一つであった西ドイツは積極的に参加を表明したが、活動海域がバルト海や北海では、すでに運用が始まっている潜水艦に対して不利であり、当初名を連ねていたフランスは独自路線を歩み、英国は独自に潜水艦整備を行っていた。
ドイツへの配備が現実的ではなく、それ以外のNATO諸国にエセックス級の運用は重荷でしかない。すぐに対象は日本のみに絞られることとなった。
ただ、日本は広島、長崎に原爆を落とされた被爆国と言う事もあって核アレルギーが存在するため、ニクスン政権が核戦力配備計画の中に日本の名前を挙げた時点で大きな反対運動が展開される状況になっていた。
だが、ニクスン政権はそれでもあきらめる事はなく、日本に対して2万人のベトナム派兵かミサイル空母の配備か、いずれかを選ぶように迫る。
その強硬姿勢に日本では左派勢力を中心に大きな反対運動が展開されたが、政府としてはベトナム派兵を受け入れるという選択肢は存在しなかった。
なにより、ミサイルと言うイレギュラーがあるとはいえ、念願の空母配備が叶う海上自衛隊は大いに乗り気であり、ベトナム派兵の対象となる陸上自衛隊は断固反対の立場であった。
こうした事から大混乱が日本中で巻き起こる中、核の共同運用を定める安保改定と共にミサイル空母受け入れが決定されることとなったのである。
転生者が居たという話を忘れていた。
たぶん、アメリカの原潜開発者の誰かが「ぼくのかんがえたさいきょうげんせん」をヤラカしたんだと思うよ。
ジョージ・ワシントン級の建造が行われた1958年頃には、残念ながら最新のコロンビア級で採用するような技術はまだ実用化出来ていなくて、グダグダな結果となり、計画が大幅に遅延してしまい。その余波で日本にミサイル空母なる変態が引渡されることになったんだ。
たぶん・・・




