近衛文麿の大迷惑
「そうなると、さて、どうした物か」
男はそう言って悩みだす。
「解決策は開口部を舷側に設けない事です。が、それでは以前と同じ回答になってしまうので、関白は承知しないでしょうね」
と、ため息をもらす技官。
そもそも、装甲甲板としてその重量を受け止めるために単段式格納庫にせよという命令が出されている。
空母へのこうした要求もあって、艦載機にも事細かな要求事項が突き付けられ、艦上戦闘機はその要求を達成できない事から、強制的に開発中止に追い込まれ、翼を折りたたんで8m以内とする新たな要求による開発を命じられると聞いたと、男は漏らした。
「煙突に関しては、関白の指示された島型艦橋側面から外へ倒れ込んだ形でも、確かに一応の性能は見込めるとの模型試験結果が得られています。となれば、少なくとも後部エレベータは艦の側面へ取り付ける事が求められるかと」
どこか諦めたように試験を担当した技官がそう口にする。
「1基で納得すると思うか?」
男はそう問う。
悩んだ末、技官は苦肉の策として風圧側面積低減の関係から解放された「格納庫側面」に前部エレベータを配する事を提案した。
「いや、それは普通に内装式エレベータではないか。貴様はトンチをやっているのか?」
と、真顔で返され、技官はまた溜息をもらす。
なにせ、彼は格納庫前端部分へエレベータを配すると提案したのだ。飛行甲板を上から見れば、それは普通のエレベータ配置である。ただ、格納庫の外側に配されただけであり、男の言う通り、トンチ以外の何物でもない。
案の定、その配置を図面として関白に見せたところ、彼も呆れていた。しかし、そこでしばらく考え
「そういえば、クレマンソーがそういう配置だったか。よし、艦首部分は塞げ、それでこいつを認めてやる。だが、左舷に甲板を拡げろよ?」
といって、フランス政治家の名前を出したことにその場にいた誰もが首をかしげていた。が、それよりも、エレベータ2基、うち1基は従来通りの内装式で裁可が下りたことに安堵する事に忙しかった。
こうして八八艦隊計画によって建造する空母の大まかな艦容がかたまり、それまでの日本空母とは違い、大型の島型艦橋、艦橋から外へと傾斜した煙突。クローズドバウの採用、サイドエレベータの採用、そして、飛行甲板の広範囲に施された装甲という特徴を持つことになった。より特徴的なのは艦橋とバランスをとるかのように設けられた左舷中央部の「ハミダシ甲板」であった。
先に建造された大龍型はそのベースが戦艦船体であったため、幅広で安定性が良く、甲板幅を広く取ることが可能であった。
そうした事から近衛が更なる要求を出し、左舷ハミダシ部への舷側エレベータ設置も要求。剣龍から設置されている。
この実績を受けて元は飛龍をベースとするはずであった中型空母にも変更が加えられ、船体の幅広化という、設計を一からやり直す作業が課されることになった。
「一体何を言っているんだ?なぜ空母を敢えて鈍足化する?」
海軍将校の間ではそのような不満が渦巻くことになった。
その頃、近衛から新たな難題が持ち込まれることになる。
「蒸気カタパルトを作れ、これからは蒸気の時代だ。火薬や空気ではダメだ」
と言うのだが、一体何に着けるためのカタパルトなのかよく分からなかった。
「ハァ?油圧カタパルトが作れないんだろ?とんでもないよな。が、蒸気カタパルトなら大丈夫なはずだ」
と、意味不明な確信をもって告げられた命令によって、その開発が始まった。
「火薬の代わりに蒸気を使うだと?」
「そう言えば、圧搾空気式の開発をやっていたな。あれを改造すれば転用できるかもしれん」
もはや巡洋艦や戦艦の新造を行っていなかったため、搭載する艦艇は空母しか残されておらず、開発したカタパルトは自動的に空母へと搭載される運びとなった。
ただ、よく誤解される日本型蒸気カタパルトだが、その仕組みは火薬式ないしは空気式と同じく蒸気シリンダーでワイヤーをひっぱり、滑車を介してその先に取付られたフックを駆動する。後年英国で開発された長大な蒸気シリンダーを用いたカタパルトとは構造が別物であった。その為、最大投射重量は従来型の域を出ず10トン未満の能力しかなく、将星の発艦が限界とされ、戦後大型化するジェット艦上機に対応することは出来なかった。
ただ、既存技術による開発であったことからその運用成績は良好で、戦争後半の重量化する艦上機の発艦に寄与しただけでなく、蒸気タービンを用いた改造空母への搭載も行われ、低速の小型空母において大柄な烈風を運用する事に貢献している。ただ、改造空母として運用するにはカタパルト用にボイラーを増設ないし強化する必要があったため、米国が運用した油圧カタパルトほどの利便性は無かったとも評される。
「まさか、こんな事になるとは・・・」
驚愕の表情を見せる男の眼下にあったのは、翔鶴型空母8番艦、白鶴である。戦争が激化する中で何とか完成させた空母であったが、残念ながら完成した頃には護衛に付くべき巡洋艦が払拭し、海軍が有するのは駆逐艦やより小型の海防艦ばかりとなっていた。
そんな1945年7月。中型空母である翔鶴型は自重が7トンに迫る将星や紫電の運用が厳しくなっており、以前関白が唱え、無駄な工期を掛けて設けられた余剰甲板であったいわゆるハミダシ甲板に向かって斜めに誘導線を引き直しての着艦試験が行われていた。
8年ほど前、誰もが皆馬鹿にし、ただただ関白の強権によって設計に織り込まれ、無駄な資源と工期を費やして設けられたハミダシ甲板。大龍型ではここに左舷エレベータを設けることで活用したが、翔鶴型には装備されておらず、本当にただただ無駄でしかないハミダシであった。
それが今、彼の目の前で初めて有効活用されている。着艦距離が設計当時より大幅に伸びた将星/紫電を運用するには翔鶴型ではかなりの危険を伴うようになっていた。制動索の能力も限界に近く、頻繁な切断すら気を付ける必要があった。
そんな危険を伴う運用において、駐機する機体を避けて着艦作業が行えるハミダシ甲板を用いた斜め着艦法は、艦橋後流という危険要素も抱えてはいたが、重量のある将星/紫電は烈風や一式艦戦ほど危なっかしい着艦姿勢にはならなかった。
「煙突も斜めだが、とうとう着艦も斜めか?まさか、斜めに構えた関白の発案が実用に耐えるとは、お釈迦様でも思っていなかろう」
男はそんな事を口にしながら着艦試験を眺めるのであった。
後年、この時の試験データによってジェット艦上機の着艦が安全なものとなり、新生海軍に生き残った白鶴は斜め着艦データと引き換えとして手に入れた英国製蒸気カタパルトを装備し、ベトナム戦争の任務に就くこととなったのは有名である。




