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カナリア  作者: 藤倉楠之


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11/30

10 ショッピング ――A

 日曜日の昼下がりとあってか、駅前の広場はそれなりに混雑していた。


 サトカさんはすぐに見つかった。間隔をあけて植えられたケヤキの下、木を囲っているベンチのような石組に軽く腰をかけて、うつむき加減にしている。白い、セーターの裾をそのまま長くしたようなワンピースの上に、薄手の山歩き用みたいなパーカーを羽織り、ハイカットのスニーカーを履いている姿は、僕が推定している彼女の年齢よりかなり下に見えた。学部の一、二年生の講義に混ざって座っていたって通用するだろう。


 横手から近寄る格好になって、彼女がイヤホンをつけているのに気が付いた。正面に回って、声をかけた。


「お待たせしました」


 彼女ははっとして僕を見上げ、慌ててイヤホンをとって立ち上がった。


「すみません、気が付いていなくて」


「まだ、五分前ですから」


 お互いに、早めについてしまったらしい。なんとなく緊張でぎくしゃくしながら、僕は駅のほうを示した。


「行きましょうか」


 並んで歩き出すと、空気が少しほぐれて、道が混んでるとかお天気の話とか、どうでもいい会話がちゃんと機能し始めたのでほっとした。


「ピヨさんはお留守番のとき、どうしているんですか?」


「今は、昼ご飯を食べた後だから昼寝してるかな。小さいから、まだ、一日三食なんです。もう少ししたら、朝晩にできると思うんですけど」


 各駅停車の下り、たった三駅しか乗らないので、僕とサトカさんはまばらに空いた席は無視して吊革に並んでつかまった。


「三食ですか? お仕事の日はどうするんですか?」


「それがですねえ」


 僕は思い出し笑いをしてしまった。


「僕、古い下宿屋に住んでるって言いましたっけ」


 サトカさんは大きな目で僕を見ながらうなずいた。


「店子がもう、お一人きりだと」


 ピヨを拾った日に、そんな言わなくてもいいことを口走ったのを、僕自身はもちろん覚えていたが、彼女が覚えていてくれたのは意外だった。


「ピヨを飼うにあたって、まず大家さんに相談にいったんですよ。大家さんは、亡くなったおばあちゃんが元気だったころから飼い犬を絶やしたことがなかったので、犬派だと信じて疑わなかったんですが」


 動物病院で貸してくれたクレートにピヨを入れて連れ帰ったその足で、大家の清造さんの家の玄関をくぐり、事情を説明すると、清造さんは話は半分上の空、僕そっちのけでクレートを覗き込み、まあ茶でも飲んで行けと強引に座敷に上げた。


 ペットボトルの茶をコップに入れて僕の前に形ばかり置くと、早く猫を見せろという。ピヨは、保護されて動物病院で診察されて、環境の変化に完全に背中の毛を逆立てていたのだが、清造さんはお構いなしに覗き込んでは、かわええかわええと繰り返して目じりを下げた。


 犬派だったのはおばあちゃんの方で、ずっと猫も飼いたかったのだという。清造さんの出身は漁師町だったこともあり、子どものころから猫のいる生活が当たり前だったのだそうだ。


『もちろん、飼うのはかまわんがね、吉見くんは昼間、おらんだろう。変なものを口に入れてもいかんし、それにこんな子猫じゃあ、朝晩じゃ餌が足りんのじゃないかね』


 追及された。大学入学以来、十年越しの縁で、すっかり親戚の爺さんのような付き合いである。お互いに遠慮はない。


 しばらくは、昼休みか空き時間に急いで戻ってきて、餌をやらねばならないだろう、と思っていたのでそう言うと、清造さんは胸をはった。


『わしがやっちゃる。吉見くんの隣の部屋は、まだエアコンも動くはずだから、そこを昼間の猫部屋にすりゃあいい。余計な物がない部屋なら、変なものをのどに詰める心配もないだろう。出かけるときに猫部屋に連れて行ってくれれば、昼にわしが様子を見にいっちゃるよ。なに、もちろん家賃はいらん。電気代だけ持ってくれれば』


 というわけで、清造さんは平日の日中、僕の隣の部屋で好きなだけ猫と遊び、僕はお昼の餌の心配からは解放されたというわけだ。


「優しいんですけどね、普段はいつも平家蟹みたいなしかめっ面で、町内会のゴミ捨て場の立ち番をかって出ると、誰もマナー違反ができないという強面なんです。その親父さんがもうピヨの前だと猫なで声でデレデレしちゃって」


 サトカさんも想像したのかくすくす笑った。


「ピヨさん、ほんとに人たらしですね。かわいさで、自分のお部屋までゲットしちゃったんですか」


「ひげ一本動かさないで、自分の部屋と猫シッターですよ。たしかに、末恐ろしい」


 ピヨの中では、きっと僕が下僕A、清造さんが下僕Bだろう。


「最低限すぐに必要なものは、動物病院で勧められるままに買ったんですが、そんなわけで、お話ししていた寝床の他にも、昼間用のトイレとか、クレートもそろそろ病院に返さなきゃいけないので、ペットキャリーとかが必要なんです」


 話しながらたどり着いていた、ショッピングモール内のペット用品店の前で、あらかじめ作っていたメモを広げた。サトカさんがすっと僕に肩を寄せてのぞき込む。仕事の日よりはゆるく、上半分だけふわっと結んだ髪が肩に触れる感触が布越しに伝わって、僕は内心どぎまぎした。


「結構、物入りなんですね」


 サトカさんは一瞬でリストを把握したようで、店内用のかごを取りに行った。そのすきに、僕は深呼吸して、態勢を整えなおす。


 中学生のころは、社会人になってからのデートなんてもっとスマートにこなしていると思っていた。だが、悲しいかな、やっていることも緊張度も大して変わらない。そもそも、これをデートに数えていいのかも、よくわからないというのに。もっとちゃんとしたところに誘わないといけないんじゃないか。でも、いきなりそんなお誘いをしたらもっと怪しい人だし。


 今日は、だから、ちゃんとしたデートにお誘いできるように信頼をいただくためのゼロ回目なのだというのが一応僕が自分を納得させられた結論だった。


 今のところは、大失敗はたぶんない。サトカさんは楽しそうにしてくれているし。彼女がとんでもない名女優でなければ、だけれど。


 サトカさんの記憶力は本当にいいらしかった。一度見ただけのリストをちゃんと覚えていて、僕が選ぶものの棚を先回りして探したりしてくれたおかげで、買い物は思ったよりも早く終わった。


 ハードタイプのペットキャリーがかなりかさばるので、コンパクトに圧縮されていた猫用ベッドだけを持ち帰ることにして、後は一切をまとめて明日の夜到着の自宅配送にしてもらった。そんなあれこれの手続きが終わると、それでも、もう三時近かった。


「ありがとうございました。おかげで、ピヨも快適に過ごせそうです」


 僕が礼を言うと、彼女は少し首をかしげてにこっと笑った。


「お役に立てたか、わかりませんが」


「永井さんがいなければ、僕まだ店内でメモをもって右往左往していると思いますよ」


 さあ、思い切れ自分。


 僕は一瞬のためらいの後、続けた。


「あの、お礼と言ってはなんですけど、お茶でもごちそうさせてください」


 言いながら自分であきれて語尾が半分笑ってしまった。


「なんですか?」


「いや、言い方が古いテレビドラマみたいだなと思って。バブルのころの」


 えっ、とサトカさんは大げさに目を見開いてみせた。


「吉見さん、もう少しお若いと思っていました。もしかして、私よりずいぶん年上なんですか?」


「もちろん違います。でも、その方が、いろいろもっと知ってたり余裕があったりしたでしょうから、よかったかなあ。こういうの、慣れてなくて」


 僕は襟足に手をやって苦笑した。言い方をひねるより、正直に思ったことを言った方が早そうだ。


「……もう少しお話ししたかったんです。お時間さえよければ」


 サトカさんは僕を見上げ、こくこくとうなずいた。頬がほんのり桜色だ。


「ご一緒させてください」


  ◇


 しかし、ここでも僕の経験値の低さが露呈することになった。


「これは、無理、ですね……」


 モールの中にあった最後の四軒目のカフェでも、それまでの三軒と同じように店外まで空席待ちの行列ができているのを見て、僕はうめいた。


 考えたら、わかりそうなものだった。みんな同じなのだ。昼ご飯を食べて買い物をしたら、このくらいの時間にはコーヒーやお茶で休憩したくなるものだろう。


 落ち込んでしまう。無駄にサトカさんを歩き回らせている。サトカさんは自分の買い物なんか一つもしていないのに。ただ、言葉数こそ少ないものの、彼女がにこにこしてずっと楽しそうにしているのが救いではあった。


「なんか気になるものや見たいものあったら、言ってくださいね」


 せっかく電車に乗ってきたのだし、と言うと、彼女はカフェの向かいにある雑貨店を差し示した。色味をそろえて並べられた食器や家具から、おしゃれな家電、文具までそろえている、全国展開の店だ。


「さっきから、遠目なんですけど、あれが何なのか気になっていて」


「美容グッズですか?」


 近寄ってみた。顔をマッサージするグッズとおぼしきローラーのようなものや、奇妙な形のヘアブラシのようなものなどが所狭しとならんでいる。普段だったら絶対に気にもとめず素通りするコーナーだ。


 サトカさんが気にしていたのは、頭部だけのマネキンが、巨大なブーメランのようなものを中央で口にくわえさせられたディスプレイだった。羽の部分は、顔の幅どころか肩幅まで超えるのではないかと思うほど横に張り出していて、確かに遠くからでもひときわ目を惹いた。くわえて揺さぶると、ブーメランの羽の部分が上下にしなって、口や顎周りの筋肉を鍛え、顔のラインをひきしめるという説明のポップが隣に置いてある。


「こういうの使いますか?」


 僕が尋ねると、サトカさんは、まさか、というように首を横に振った。


「何のためのものか想像もつかなくって気になってたんです」


 効果あるんでしょうか、と真面目な表情で考え込む。探究心が旺盛である。


「永井さんは絶対必要ないですよ」


 ごくふつうの成人男性サイズの僕の手でも、両手を彼女の頬に添えたら顔全体をすっぽり包み込めるだろう、と思うような華奢な顔なのだ。


「お世辞ですか? やめてくださいね」


 軽くにらまれた。でも、色白なせいで、目の縁がほんのり赤いのがわかって、僕は内心ちょっとにやけてしまった。ほめてもからかってもかわいい。端的に言って最強。


 ただ、これ以上構うと嫌われてしまうかもしれない。努めて何でもない風を装いながら、僕はほかのコメントを探した。


「これ、満員電車で隣にいてほしくない選手権があったら、ぶっちぎりで優勝ですね」


「うわあ、それ嫌だ」


 サトカさんがこらえきれないといった様子で笑いに肩をふるわせる。


「でしょ?」


 嬉しくなってしまった。僕のしょうもない冗談でこんなに笑ってくれる人なんて初めてである。


「じゃあ、私もいいですか。あの、顔面サウナ」


 サトカさんが端然とそろえた指先で示したのは、目と口元のところに小さい穴があいただけの、顔全体を覆う白いプラスチック製のお面のような商品だった。有名なホラー映画で、チェーンソーを振り回していた殺人鬼がつけていたアイスホッケー用のマスクを彷彿とさせた。


「人気の少ない夜の電車で正面に座ってほしくない選手権、優勝ですよ」


 そうきたか。


 僕も吹き出してしまった。


 二人で声を殺して散々笑ってから、目じりの笑い涙を指先でぬぐって、サトカさんは僕を見上げた。


「このままじゃ営業妨害になっちゃいます。どのみち、カフェには入れなさそうですし、お天気もいいから、家の方に向かって歩きませんか」

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