29 とある巨人の周辺人物
アンロスト伯爵はブラームスの市壁の上に立ち、矢が届かない位置でたむろする鬼たちを睨みつけていた。
彼は市壁や門をめぐる攻防戦がすぐにも始まるものだと思っていた。
だから、大急ぎで周辺の領地に早馬を送り、援軍を要請した。門を閉ざし、壁の上で火を焚いて煮えたぎる油をぶっかけられるように準備した。
なのに鬼たちは攻めかかってこない。
これは異常なことだった。
鬼と言えばおおむね粗暴。敵を前にしておとなしくしている事など滅多にない。
だというのに鬼たちはおよそ半数をこちらの門の前に残し、残れの半分を塔に向かって進軍させた。
鬼たちの主目的はあの異様な塔だ。
アンロスト伯爵はそう見抜いた。塔の出現と鬼軍の進撃、二つを結び付けて考えないほど彼は愚鈍ではなかった。
門を開いて、あるいは裏門からこっそり出撃して鬼軍に野戦を挑もうかと思案する。
しかし、半数であっても鬼たちの数はこちらの全軍よりも多い。塔へ向かった軍勢もすぐに取って返せないほど遠くにいるわけでは無い。
結局、拠点にこもっておとなしくしている以外、出来ることは無い。
「歯がゆいな」
ただ待つだけの戦は好かぬ。
苛々していると、向こうから身なりの良い線の細い少年がやってくる。カクリュウと言う名前をもらった若者の弟、サムランだ。
カクリュウよりは利発に見える。
「伯爵様。遠見の者からの報告です」
「何かな?」
「あの塔を登っていくグループが二つあるそうです。どちらのグループにもひときわ大きな体格の者が一人ずついる、と」
「一人はジャイアント殿だろうな」
「はい、遠見の者もあの体格はすぐに分かると申しておりました」
「もう一方は、魔王か?」
「二つのグループは敵対しているという事なので、他に該当者が居りません」
「そうか」
どういう理由で塔を登ることになったのか不明だが、ジャイアント殿と魔王がともに塔の上にいるのならば、ジャイアント殿が魔王を倒すことを期待していいだろうか?
魔王さえいなくなれば鬼軍は粗暴なだけの集団に戻る。
無策のまま城壁に突っ込んできてくれるならば有り難い。もちろん、魔王の敗北を受けて壊走してくれるならばもっと良いが。
「ジャイアント殿、頼みます」
つぶやきは祈りに似ていた。
さっさと行けとうながされ、カクリュウは星読みのウルーリカ様とともにガラスの空中回廊へとやって来た。
ブラームス子爵領全体どころか伯爵領も、王都まで信じられないほど遠くまで見渡すことが出来る。はるか遠くに見えるのはあれは海だろうか? とてつもない高さの塔だと改めて思う。魔王に追いかけられているなどと言う事情がなければいつまでも景色を眺めていたい。
「オババ様、私たちはトクイテンとかいう物を探さなければならないのですよね? トクイテンとはどういう物なのでしょう?」
「知らん。見知らぬものを探すしかない」
「ですが、この塔の中の物はすべて見知らぬ物です」
「そうじゃのう。では、言い換えよう。他とは毛色が変わったものを探す。ジャイアント殿によればトクイテンとはこの塔を出現させた存在で、塔はよそから持ってこられた物。違いがあって当然じゃ」
「はい」
「見たところ、この塔はたいへんに規則正しくできておる。まったく同じ大きさのタイルが並んでいたり、同一間隔でラインが入っていたりな。その規則から外れるものがあればそれが怪しい」
「分かりました。ここは回廊のようです。左右に分かれましょう。向こう側で落ち合うという事で」
「それでよかろう」
カクリュウは右へ、ジャイアントには『オババ』としか記憶されていない星読みのウルーリカは左へ歩いた。
回廊には特に異常はなかった。
歩く途中で爆発音を聞き、後方でどんな戦闘が行われているのか戦慄したのみ。
合流した近辺にさらに上に行く階段があるのを見つけた。
「この展望台には二階があるようですね」
「もっと気が滅入ることを言ってやろうか? 外から見た限りではこの塔に展望台は二つあったねぇ」
「どっちの展望台が本命かは分からない、と。階段なんかもう登りたくないです。……引き返して魔王と対決していいですか?」
「おやおや、この年寄りに塔を登らせるつもりかい? ダメに決まっているだろう」
結局、ウルーリカが一つ上の階を探し、カクリュウが上へ上へと登っていくことになった。
カクリュウは重い足を無理に動かし、階段を登る。
展望台の上面へ出た。
また複雑怪奇な構造体の間を登っていかなければならないのかとうんざりする。
そして、彼は何かと出会った。
展望台の上に浮遊するそれは虹色に輝く、絶えず形を変える何かだった。
もしジャイアントと同じ世界の出身の数学者がそれを見たらこう表現しただろう『クラインの壺』と。そして怪奇小説に詳しい人間ならばまた別の表現がある『輝くトラペゾヘドロン』。
確かにそれは異常なものの中にある、さらなる異質だった。
カクリュウは大声を出してウルーリカを呼ぼうとした。が、寸前で思いとどまる。
大声など出したら鬼を呼び寄せてしまうかもしれない。
ジャイアントが魔王に負けるなどとは考えなかったが、彼が最後に見た時点で魔王以外にオーガーが二体いた。そのどちらかがジャイアントの横をすり抜けて追ってくるというのは、いかにもありそうな事だった。
「しかし、こんな物、いったいどうすればいいんだ?」
彼一人では思いつかない。
とりあえず近づいてみる。
その歩みに反応するように輝きが震えた。
トクイテンらしき物がカクリュウの動きに反応することは確認できた。
若者はそれを恐ろしいと思った。
もともと彼はわがままいっぱいに暮らしていた貴族の若様だった。挫折も知らず、苦労も知らず、望んだことは何でもかなった。
そんな彼に訪れた最初の転機は鬼軍の侵攻だった。
隣接する領地が落とされた時には彼にとってはまだ他人事だった。しかし、父親が険しい顔をして軍を率いて出陣するとなると、あまりのほほんともしていられなくなった。
そしてもたらされる敗北の知らせ。
傭兵隊長ルクロスには父親が無能だったせいだと言われた。自分の進言をことごとく却下され、野戦による正面対決で打ちのめされたと。自分を信じて全権を預けてくれればすべてうまくいくとも言っていた。
それは嘘だった。
アンロスト伯爵には激怒され、ルクロスには財貨を持ち逃げされた。そしてそびえ立つジャイアント。
彼はジャイアントになついているように見える。それは必ずしも事実ではない。
彼はジャイアントを恐れていた。
恐れからジャイアントと同一化することで逃げ出そうとする心理が働き、名前をねだることになった。自分がジャイアントと同じ陣営にいるならば巨人を恐れる必要は無いから。
しかし、ジャイアントがここに居ない今、彼は憶病になっていた。
カクリュウはトクイテンに近づきたくないと思いつつ、義務感からトクイテンに近づいた。
するとあり得ない変形を繰り返す輝きはカクリュウから離れるように移動した。
カクリュウはそのことにほっとして、ほっとした事に罪悪感を抱いた。もう一度接近し、また逃げられる。
「逃げるなよ。逃げられたら何もできないじゃないか」
彼は口に出した。近づいたからと言って何かできるわけでは無かったし、返答を期待したわけでもない。
輝きは瞬いた。
【否定する】
「え?」
【距離を近づけたくないのは汝の望みである】
「会話、出来るの?」
【汝が会話したいと思う限りにおいて、それは可能である】
トクイテンが言葉を発したわけでは無い。しかし、光の瞬きが意味として理解できた。
とは言ってもカクリュウにとってその言葉は『言語明瞭・意味不明』と言った感じであったが。
【汝の望みを述べよ】
「僕の望み?」
何を願えばいいのか、カクリュウの心は千々に乱れた。
何を願うのが正解であるのか、混乱して答えを出すことが出来ない。
【了解した】
答えられなかったはずだが、輝きは何かを読み取ったようだった。
特異点は動き出した。




