24 とある巨人の撤退戦
「急ぐぞ」
俺たちはジョギング程度のペースで走りはじめる。カオスツリーに向かっての移動、鬼たちの反応はどうなるか?
遠巻きにしていたゴブリンライダーたちの一隊がこちらへ向かってくる。
後ろから追いすがるのではなく正面からこちらの頭を抑えにかかるコース。具体的にはまっすぐに俺に向かってくる。
小鬼たちが短弓を構える。
揺れる狼の上で弓が使えるのは大したものだが、如何せん彼らには腕力がない。俺に有効打を与えようとしたらかなり近づかなければならない。
遠間から射かけられた矢を払い落とす。
勢いは大したことがない。たぶん、命中しても凶器攻撃一回分ぐらいのダメージにしかならないだろう。
それでも出血を重ねれば体力を削られるけれど。
そうそう、凶器攻撃に対して俺たちが流す血が偽物だって言う人がときどきいるが、そんなことは無い。アレは本物だ。
偽物の血のりを隠し持って自分に擦り付けるとか、そんな手品めいたことをするぐらいならば本物の血を流すほうが楽だ。そう思ってしまうのがプロレスラーだ。
前の試合でついた傷を完全には治さないでおいて、次の試合でもそこから血を流す奴は本当に居る。
いや、凶器攻撃についてはどうでもいい。
俺は遠くからの矢を無効化した。するとゴブリンライダーたちはさらに近づいてきた。
俺も彼らもともに移動している。するとどうなるか?
俺を相手にすると間合いの感覚が狂う。
彼らからすれば悪夢だろう。ちょうどいい間合いだと思って矢を放てば遠すぎる。ならばと近づけば俺の姿はどんどん大きく見える。
事ここに至って、俺はようやく腹を決めた。
最初から殺す気で戦う。
肩を砕くだけとか、関節を極めて締め落とすとかはやめだ。
俺の鉄鞭がうなる。小鬼を打ち据える。
16インチのブーツが狼を蹴り飛ばし、踏みつける。
それが何度か繰り返され、ゴブリンライダーの第二波は壊滅した。
「さすが、ジャイアント殿じゃ。鬼神のごとしとはこの事か」
いつの間にか、パーワーにお姫様だっこされていたオババ様が感嘆する。
他の者は呼吸を整えるのに忙しい。
ゴブリンライダーの次の集団が動き出す。
今度は俺に向かってこようとはしない。
後ろから近づいてくる。
こっちのほうが有り難くない。
俺は先頭に居るし、背中側からくる敵の方が正面からの者より迎撃が難しい。
「走れ、全速だ!」
幸い、まだ距離はある。
人と狼ではこちらの方が圧倒的に遅いが、あちらには小鬼を乗せているというハンデがある。なんとか逃げきれないことも……難しいか。
カオスツリーまでの距離の半分も走らないうちに、最後尾の兵士が弓矢の射程に捉えられる。
背中側から矢が飛んでくる。
鎧を着こんでいると言ってもこれは怖い。膝の後ろ側とか、どうやっても鎧で守れない場所はあるのだ。
「クソったれがぁ!」
プレッシャーに負けたのか、兵士は立ち止まって反転した。
「構うな、走れ!」
「へっ」
彼はそれ以上の言葉は発しなかった。親指を立ててキラリと笑顔を見せる。そして、ゴブリンライダーたちの間に斬りこんだ。
小鬼たちの隊列が乱れる。
足を止めた兵士を狙うか、逃げ続ける俺たちを追うか、迷いが生じる。
それもつかの間、彼らは勇敢な兵士に襲いかかった。
群れから離れて孤立した相手を確実にしとめる。
戦いと言うよりも狩りの作法だ。
連続して放たれる矢が彼の体力と集中力を奪う。
後方からの突撃が彼の肉を確実にえぐる。
だが、俺達には彼を助けに行くことは出来ない。
また次のゴブリンライダー部隊が接近中だから。
「すまん、恩に着る」
全力で走って逃げる。
カオスツリーに近づく。もう中に入ったと言えなくもない、か?
鉄骨が複雑怪奇に組み合わされた下へ入る。鉄骨の底面の形が三角形なのに気づいて少し驚く。未来の設計者は奇をてらいすぎだろう。東京タワーと同じ形ではダメだったのか?
ふと、この塔は地面の下はどうなっているのか疑問に思う。
これだけのとてつもない高さの塔だ。基礎構造物も相当な規模で必要なはず。もし地上部分だけが再現されているならば、そのうちに倒れてしまっても不思議ではない。
ま、考えてもどうしようもない事だから『倒れない』という前提で動くことにしよう。
鉄骨の組み合った中央にこの塔の芯とでも呼ぶべき構造物がある。
一階ならば入場口とか土産物屋とかが在りそうなものだ。旗とか模型とか饅頭とか、東京タワーの後継者ならば絶対に売っているはずだ。なのにそれらしい空間は見当たらない。ここから見えるのはのっぺりとした壁とそこに造られた普通サイズの扉一つだけだ。
バルグウェイブ神が塔の内部は本来の姿とは違っていると言っていたがその為か?
他に目的地もない。俺は扉めがけて走る。
後方でまたいくつか叫びが上がる。三つ目のゴブリンライダー部隊が接敵したようだ。それとも二つ目の部隊が追い付いてきたのか?
確かめる間も惜しい。
俺はリスティーヌさんやカクリュウが遅れずについてきている事だけを確認する。扉はすぐそこだ。
ドアノブに飛びつく。
この扉が開かなければ壁を背にしての防衛戦になる。小鬼たちはしのげても、大鬼を含む本隊によって俺たちは殲滅されるだろう。
はたして、ドアノブは回った。
勢いよくドアを開き、頭を下げて内部へと侵入する。
そこはちょっとしたホールになっていた。
ゾンビたちに出迎えられるぐらいの事は覚悟していたが、誰もいない。
かわりに床に催し物のパンフレットが落ちていた。ゲームかアニメのキャラクターが描かれている。気になって日付を確認する。
令和四年。
これでは俺が死んでから何年後の未来なのか分からない。
そんな事はどうでもいい。
カクリュウとリスティーヌさんが入ってくる。
その次はオババ様を抱えたパーワーが窮屈そうに侵入してくる。
血にまみれた小隊員がバラバラっと入ってくる。
外が騒がしくなった。
そして、急にバタンと扉が閉まった。
こちらからは誰も扉に触れていない。
俺には透視能力などない。
けれど、今何が起きたのか見えたような気がした。
小隊員の誰かが、自分の背中で扉を押して閉めたのだろう。
そして、迫りくるゴブリンライダーから自分の身体を持って扉を死守している。文字通り死んでも守る事になるかもしれない。小さな小鬼の腕力では鎧を着こんだ男の身体を動かすのは困難だろうから。
どうする?
今すぐに扉を開いて飛び出せば、兵士の命を守る事は出来るかもしれない。
しかし、すでに手遅れかも知れない。彼を助けることによって失われる時間は、敵の本隊の接近を助ける事にもなる。
そしてもう一つ、彼を助けることによって失われる物がある。それは彼の矜持だ。
今ここにいる者は全員、すでに半ば死者のようなものだ。
鬼軍から逃れられる可能性はほとんどなく、仮に逃れたとしても悪疫によって死ぬ公算が高い。
ならばより良い死にざまを選ぶことは尊重されるべきではないだろうか?
男なんて幾つになっても子供だ。ヒーローごっこは大好きだ。
自分の命を使って仲間を先に行かせる。
最高にカッコいい、満足できる死にざまでは無いだろうか?
俺はあたりを見渡した。
このホールは敵を迎え撃つには広すぎる。奥に階段があるのが見えた。
「進むぞ」
俺の言葉は兵士の死の肯定。
俺の歩む道は修羅道。
天国へは行けそうにない。




