23 とある巨人とゴブリンライダー
丘の向こうから鬼の大軍勢が現れた。
なかなかの数だ。東京ドームとまでは言わないが、日本武道館あたりなら七割がた席が埋まるんじゃないか? とすれば一万人ぐらいか。
相変わらず雑然とした隊列だが、一万人クラスを動員できる指導力は侮れない。
それに対してこちらの軍勢は姿が見えない。
伯爵軍は結局、撤退したのか?
子爵領軍と合流していても数としては半分以下だ。戦いを避けたとしても責めることは出来ない。
いや、町を守る城壁の上にそれらしい兵士が見えた。
選んだのは撤退ではなく籠城らしい。
伯爵軍はあくまでも伯爵軍だ。伯爵の上には国王がいるはずだし、周辺に他の貴族領もあるはず。
籠城して時間を稼ぎ、援軍の到着を待つのは合理的な判断だ。
圧倒的な数の鬼軍が町の門の前に布陣していく。
城攻めには守備側の三倍の兵力が必要だと聞く。職業軍人の数だけ見るとやや不安だが、町の一般市民だって全く戦えないわけでは無いだろう。野戦に参加するのは無理でも城壁の上から煮え湯をぶちまけたりするのには熟練は必要ない。
兵の数は十分。
不安があるとすれば子爵領側の中心人物であるカクリュウがこちら側にいる事か。
それもまぁ、担ぐ神輿だけならばカクリュウの弟がいたはずだから何とかなるだろう。
どちらかと言うとこの非常時に町から離れているカクリュウの立場を心配したほうが良い。
戦後にはアイツの席が残っていないかも知れない。
布陣が終了したら攻城戦が始まる。
そう思っていたが、鬼軍の動きは違っていた。
「もしかして、狙いはココか?」
門の前に置いた兵力はそのままに半数ほどは町を素通りして移動している。
門の前の兵力は伯爵軍に対する抑え。町に攻め入る気配はない。
残る軍勢はこちらへ向かって移動している。
狙いは俺、ではなくカオスツリーだろう。
最初の鬼は夜の闇の中から現れた。
奴らの存在が特異点由来ならば、カオスツリーに特別な想いがあっても不思議ではない。もしかすると、バルグウェイブ神が語った塔の中の小さな特異点のことまで掴んでいるかもしれない。
俺はテントの中に取って返し、そこにあった水と食料を背嚢に詰める。
あんな数と戦えるものか。
逃げるぞ。
でも、どこへ?
俺は昨日の戦いでヤバい疫病をもらっている可能性が高い。人里へは近づけない。
人間に会わないように立ち回ったとしても、発病して行き倒れたところで誰かに見つけられてしまったら?
どうしようもないじゃないか。
結局、俺はここで戦って死ぬしかない?
外が騒がしくなってきた。
敵はまだ遠くにいるだろう。そう思いつつ、外へ出る。
パーワーやリスティーヌさん、カクリュウたちのいるテントが早くも襲撃を受けていた。
敵は鬼だ。
小鬼だ。
だが、今度の小鬼たちは狼のような生き物に騎乗していた。騎乗することによってほかの鬼たちとは段違いのスピードで先行してきたようだ。
護衛小隊の連中がカクリュウとリスティーヌさんをかばって戦っている。
カクリュウは俺の配下たちと一緒に朝のランニングに参加していたので、それなりには仲間意識を持たれている。……鬼教官の俺に対する敵意とセットになっているかも知れないが。
パーワーは斧を片手に騎乗した小鬼相手に奮戦している。
さすがに強いが、多勢に無勢だ。機動力の差もあり勝ちきれないでいる。
俺は叫んだ。
「お前たち、包囲を破ってさっさと逃げろ」
俺は自分が選んだ武器である鉄鞭を引っさげて走った。
彼らにあまり近づくことは出来ない。
しかし、集団からはぐれたゴブリンライダーが目の前に来たので鉄鞭を叩きつけた。
クリーンヒット、には少し足りなかったが、小鬼は肩を砕かれて落馬する。
すると、下の狼が反撃してきた。
脛あてに歯型を付けられる。
噛みつかれたまま蹴り上げ、空中に浮かせた。
浮いた狼めがけて両手で持った鉄鞭をフルスイングする。
おお、ずいぶん飛んだな。
決して小さくはない狼が悲鳴を上げる事すら許されずにかっ飛んだ。
「ジャイアント殿を見捨てて逃げるなんて出来ません」
「パーワー、お前が優先するべきは俺の命じゃないぞ。次期領主のカクリュウの命が最優先だ」
「しかし!」
「俺の命なんか昨日捨てたばかりだ。拾ってこれたからと言って、大して惜しむ物じゃない」
ゴブリンライダーたちの矛先が変わった。こいつらには一番大きな相手を優先して攻撃する習性があるようだ。
ゴブリンライダーたちが俺の周りをまわる。
これがプロレスならば歓迎すべき状況だが、そう甘くはない。
俺の鉄鞭の間合いの外から、流鏑馬よろしく矢を射こんでくる。
小鬼たちの腕は短い。腕力もないから弓矢の威力そのものは大した事がない。鎧の厚い所に当たれば貫通できないし、避けることも鉄鞭で叩き落すことも可能だ。
だが、反撃手段がない。
このままでは、鎧の隙間に矢を撃ち込まれて負傷する。そして、時間をかけて嬲り殺されるだろう。
どこかの漫画の主人公のやり方でも真似てみるか。
飛来した矢を素手でつかみ取る。子供程度の腕力しかない相手だからこそ可能な手だ。
「ヒデブ、とでも言ってみろ」
矢を投げ返す。
俺に手裏剣うちの技能などない。相手を仕留めることは出来なかったが、小鬼の顔面に傷をつける事には成功した。
警戒した小鬼たちは俺からもう一段階距離をとった。
飛んでくる矢の勢いがさらに下がった。これならば、相手の矢が尽きるまで持ちこたえられるかも知れない。
安堵した、が、その安心を吹き飛ばす出来事が起こる。
鬨の声を上げて、パーワーたちがゴブリンライダーに襲い掛かった。
「逃げろって言っただろう。俺に近づくな」
「残念ながら、逃げられそうにありません」
「何だと?」
言われて初めて気が付いた。ゴブリンライダーたちは一部隊だけではなかった。
複数の部隊が俺たちの逃げ場をふさぐように散開している。
そして、敵の本隊もひたひたと近づいてくる。
本隊の先頭に立つのは巨大な鬼だ。俺に匹敵する体格の魁偉な男が率いている。
横合いからの強襲に小鬼たちは浮足立った。
包囲のフォーメーションが崩れる。パーワーの振り回す斧が血しぶきを上げる。
俺も踏み込んで鉄鞭をふるう。今度のターゲットは下の狼だ。ゴブリンライダーは下の狼の方が本体と言える。狼がいなくなったら残った小鬼など何ほどでもない。
騎乗する狼を失った小鬼が戦線を離脱していく。
小隊員たちもそれぞれの得物で立ち回る。その技量は決して高くないが、根性と持久力だけは鍛えてある。残りの小鬼たちを追い散らすには十分だった。
「こうなっては致し方ありません。ジャイアント殿とともに戦い、ともに死ぬことをお許しください」
「しかし、なぁ」
それでも止めようとした俺に、避けることも迎撃することもできない攻撃が襲い掛かってきた。
リスティーヌさんが俺に抱きついて来たのだ。思いがけない出来事に俺は硬直した。
いや、簡易的なものでも鎧を着こんでいる以上、どこかが当たったりしている訳ではないのだが。
「これで疫病の事は考える必要がありませんね、ジャイアントさん」
「え?」
「これで私も人里へは帰れなくなりました。違いますか?」
違わない。
俺はコクコクと壊れた人形のようにうなずいた。
『はしたない!』とか「自分を大事にしろ!(複数の意味で)』とかお説教したかったが、そんな暇が無いのもわかっていた。
カクリュウとオババ様も後ろからひょこひょこ付いてきた。
バルグウェイブ神は姿が見えない。天界かどこかから見ているんだろうとは思う。
「ジャイアント殿、指揮をお願いします」
「こうなったらわしも最後まで見届けるぞぇ」
非戦闘員二人に自力で逃げろとも言えない。
こうなったら疫病は無意味だな。五分後に殺されるかもしれないときに明日発病する心配は出来ない。
「各自、水と食料の準備を。……広い所で戦うのは不利だ。あの塔へ向かう」
一方向に壁があるだけでもゴブリンライダーたちの脅威はだいぶ小さくなる。塔の中に入れれば大軍を狭い通路で迎え撃つことが出来る。
どちらにしても闇雲に逃げ出すよりはいいだろう。
それに、昨日バルグウェイブ神から頼まれたこともある。カオスツリーへ向かわないという選択肢はなかった。
兵士たちを後方へ展開させ、体力に不安のあるオババ様はパーワーに担がせた。
カクリュウにリスティーヌさんの面倒を任せ、俺が先頭に立つ。
「出発だ」
撤退戦の始まりだった。




