21 とある巨人の修羅道
御師様はひとしきり笑った後、ようやくご託宣を下さった。
これは、完全に意地悪されている気がする。
「ホホホ。仏道を行く以上、教えは全部読んでほしい所じゃが、今はそんな暇は無いのは良くわかる。わしが題目だけ唱えるので後を付いて繰り返すがよい」
「分かった」
お題目、と言うとあまり良い意味では使われないが元は仏教用語だったか。
南無ナンタラと続く言葉を復唱する。漢字だとどう書くのか分からないがよく聞く『南無阿弥陀仏』ではないようだな。
こんな念仏が効くのだろうか?
疑念を抱くが、鰯の頭も信心からだ。
揺れる心を押し殺し、ただひたすらに念仏を唱える。
効果なし。
「所詮は念仏じゃからな。相手に聞こえなければ意味は無いじゃろう」
もっと近づけという事か。
感染症対策を考えると、できるだけ近づきたくない。半分以上、腐りかけたゾンビどもだ。人類を滅ぼす疫病などと言う大それたものを想定しなくても、普通に病気をうつされそうだ。
声を大きく張り上げつつ前進する。
もう、これ以上は近づきたくない。ゾンビの発する臭気が俺まで届いているじゃないか。
なのに、効果が出ない。
付け焼刃の念仏ではダメなのか?
すぐ近くまで来たゾンビを観察する。
元は普通の人間だったようだ。年のころは30から40ぐらい? 死んで肌の張りが失われているのでよくわからない。
バルグウェイブ神の説明によれば、彼らは俺が死んだ後の世界の住人だったはず。
彼らの服装と無茶苦茶に高い塔を見ると、俺が死んでから10年から20年ぐらい未来の人間だろうか?
ならば、彼らの中で年配の者たちは俺の事を憶えているだろうか?
興行にやって来たり、TVでみたりしたのだろうか?
俺は彼らとの間につながりを感じた。
彼らは病で死んだのか。
苦しかったんだろうな。文字通りの死ぬほどの苦しみ。悪霊となって残り続けるほどの苦しみだ。
それで生きている者たちを憎んでいる。
「少し違うのう。彼らが憎んでいるのはお互い同士も含めた世界のすべてよ。後から死んだ者たちは手厚い治療を受けられた先に死んだものを妬み、先に死んだ者たちは無駄な治療を受けずにさっさと死ねた後から死んだ者たちを羨んでいる。死した後では現世のすべては何の意味もないというのに」
「御師様」
彼らのことが少しだけ理解できた。
彼らが囚われているのはやはり苦痛の記憶だ。その苦痛から逃れるために周囲のすべてに八つ当たりしているのが彼らだ。苦痛から八つ当たりし、その八つ当たりが怨念となって彼らを現世にとどめている。
ま、ここが現世と言えるかどうかは疑問の余地があるが。
俺が唱える念仏に力が入る。
だが、足りない。
先ほどまでとは違い、完全に無効なわけでは無い。だが、足りない。
俺の唱えるお経では彼らの心に届かない。
本職のお坊さんならば彼らを成仏させられるのだろうか?
どうする?
俺の念仏では効果が足りない。
俺は相手を見る。
あの死体を動かしている死霊は苦しんでいる。今の俺にはそれがはっきりとわかる。
彼は俺を知っているだろうか?
ひょっとして『怪獣のしっぽの一撃は俺の蹴りの○○○倍』とかの図鑑を見て育った世代だったりするだろうか?
そんな相手の心を動かすにはどうすれば良いだろう?
プロレスだ。
結局、俺はお坊さんではなくプロレスラーだという単純な事実が残る。
だが、俺の足はすくんでいた。
これ以上前進することはあの死体に残っているだろう病原体にさらされる事を意味する。
鍛え上げたプロレスラーの肉体でも病には勝てない。そのことは俺も含めて世界中のレスラーが再三証明している。
ここで前に出るには死ぬ覚悟がいる。
命を懸ける覚悟ではなく確定的な死に向かう覚悟がいる。
俺が死ぬ、か。
考えてみれば、そのことに何か問題があるか?
俺だってすでに死人じゃないか。
この世界は俺にとっての煉獄だ。
天国にも地獄にも行けない中途半端な魂が一時の猶予を与えられるあの世。
すでに煉獄の住人になっている俺が今さら死を恐れるなどバカバカしいにもほどがある。
先ほど俺の試合を見てくれたお客さんや、この世界のまだ見ぬ人々を救う。
俺のファンだったかもしれない死者たちを引き連れて極楽浄土へ向かう。
素晴らしい行動目標じゃないか。
俺の足は動き出した。
「痛かったら、すまん。俺はこれ以外、やり方が思いつけない」
俺は踏み込む。
俺の代名詞を振り上げる。気合いに変な声が出た。
「あぽぉっっ」
16インチのブーツがゾンビの胸板に突き刺さる。
ゾンビは吹き飛んだ。二度三度とバウンドして動かなくなる。
単純に動かなくなるだけでは終わらなかった。ゾンビの肉が崩れ落ち、骨だけが残る。
骨だけになって動き出すわけでもない。ゾンビからスケルトンへのクラスチェンジは起こらなかった。
「ホホホ、仏道ではなく修羅道を選んだか。優しい修羅じゃのう」
「御師様」
「いやいや、これではわしが師だなどと名乗れぬわ。仏の道を説く師匠としては完全にお役御免のようじゃ」
「いいえ、上人様。ご助力、ありがとうございました」
俺はお坊様の霊体に深々と頭を下げた。
さて、これからが大仕事だ。
仲間が倒されて怒ったのか、それとも成仏させてほしいのか、ゾンビたちが俺に向かって集まってくる。
蹴りだけで相手をしていたらそのうちに足が上がらなくなりそうだ。
空手チョップ。
逆水平チョップ。
脳天唐竹割。
次々に技を繰り出す。
ゾンビたちは一撃で成仏していくが、キリがない。いったい何体いるんだ?
100か?
その数はもう通過した。
1000か?
もっと居そうだ。
10000か?
そこまでは居ないと思いたい。
プロレスの試合でも滅多にないぐらいの長丁場になってきた。
ロープに振る要領でハンマースルー。
複数体を巻き込んで撃破する。
調子に乗ってダブルのランニングネックブリーカードロップをしかける。
俺の両腕が別々のゾンビの首に巻き付き、地面に叩きつける。
この技はダメだな。ふつうにチョップを二回使った方が、体力の消耗を抑えられる。
ゾンビの人口密度(?)が上がってきた。
こうなったら自棄だ。
一番に大量のゾンビを巻き込めそうな技を使う。
昔、練習はしてみたが結局、実戦では使う機会のなかった俺の隠し必殺技とされている技だ。
16文チョップ。
形としてはただのバックスピンキックだ。それでも俺の大きな体から繰り出された回し蹴りは10体近いゾンビを一度に成仏させた。
息が上がってきた。
この試合も終盤かな。
え、一度下がって体力を回復させてから再開すれば良いって?
多分、それではダメだ。この一度の戦いで倒し切らなかったら俺はゾンビを成仏させる能力を失う、そんな気がする。
それに、後退して他の者と合流するわけにはいかない。俺はもう、疫病に感染している可能性が高いから。
もう、身体がろくに動かない。
その状態でも使える技、ショルダータックルで押し倒し、ストンピングで踏みつける。
背の高いゾンビを見つけてヘッドバットまで繰り出した。
60分一本勝負ならとっくにゴングなんだが、これは時間無制限か。
肩で息をしつつ、気が付くとあたりは骨の荒野になっていた。
残ったゾンビは一体だけ。
強そうな最後のボスが残ったのかって?
違ったよ。
最後まで残ったのは俺の目につかなかった相手。俺の膝までの高さしかない小さな子供のゾンビだった。
踏みつぶしてしまえば簡単に終わる。
だけど、俺にはそれが出来なかった。
子供のゾンビとお見合いになる。
「ごめんな。俺には戦う事しかできなくて。……俺も後から追いかけるから」
声をかけながらも攻撃できなかった。
ガバッと相手に覆いかぶさるように抱きしめる。
ベアハッグ、というつもりは無い。
だけど、俺の腕の中で子供のゾンビは風化して崩れていった。
終わった。
俺は大の字に倒れこんだ。
俺を呼ぶ声がどこか遠くから聞こえてきた。




