20 とある巨人のお師匠様
「待て、止まれ!」
絶叫して走り出した俺だったが、軍団の中心部にいる伯爵のところまで簡単にたどり着けるものではなかった。
後方からの奇襲を警戒している者だっている。友軍だからと言って司令官のところまで素通しにはしてくれない。
兵士たちがバラバラっと俺の行く手をふさぐ。
蹴散らして通ろうかと一瞬だけ思案するが、かろうじてそれを自制する。
「ジャイアント殿、失礼だが」
「わかっている。伯爵に大至急伝言を頼む。バルグウェイブ神からの神託があった。これ以上進めば破滅が待っている」
「了解しました」
さすが軍人さん、時間を無駄にしない。
伝令がすぐに伯爵の元へ走る。
最短の時間で伝言が運ばれているはずだが、俺はじりじりと焦燥感に囚われてそれを待つ。
前線の兵士がゾンビと接触してしまったらおしまいだ。
病原体のキャリアになってしまっても本人はそれとは気づけない。細菌だの潜伏期間と言った概念をこちらの人間に納得させる自信など俺にはない。
「焦るでない、焦るでない。そなたは一軍の大将であろうが。どっしりと構えているがよい」
「そうは言ってもなぁ」
ん?
俺は今、誰と会話した?
俺の傍らに、誰か何かがいる。
バルグウェイブ神と同じく霊体だが、こちらは枯れ木のような老人だ。そして、その霊体も存在感が薄い。たぶん、俺以外の者には見えていないだろう。周りの反応を見ると、その声も俺にだけ届いているようだ。
「どなたです? また、いずこかの神が降臨なされたのですか?」
「神などと言う大層な存在では無いよ。『格が足りない』とか『役者が不足している』とか、さんざん言われている無能な爺さね」
「は?」
誰の事だろう。
見るからに徳の高そうなお爺さんに悪口を言うものなど居ないと思うのだが。
問答の間に楽隊が全軍停止を指示した。
あちらで伯爵が俺を手招きしている。
「失礼」
小走りに駆け寄る。
「ジャイアント殿、どうした? そんなに血相を変えて」
「すぐに距離をとってくれ。アレはマズイ」
「別に強そうには見えないぞ。既に死んでいるように見えるが、手足をバラバラにしてもまだ動くかどうか試してやろう」
「それが、一番マズイ。何と表現すれば良いか……。アレは形をとった疫病だと言えば分かるか?」
「病、だと?」
「バルグウェイブ神によれば、それも国や世界を滅ぼすレベルの疫病らしい」
「全軍、後退開始! 化け物に近づくな。もし勝手に近づく者がいたら弓で射殺せ。化け物にも化け物に近づいた者にも触れてはならん」
アンロスト伯爵の決断は早かった。
速やかに後退を始める。
子爵軍はどうかと思えば、リスティーヌさんが音頭をとってそれに追従してくれている。
これでは彼女が勝手についてきた事を怒れない。どちらかと言うと指揮権の引継ぎもせずに飛び出してきた俺のほうが反省しなくてはならない。
「化け物の正体は疫病か。どうすれば良い? 近づかなければ済むのならば良いが、あの死体は勝手に動き回っている」
「ランダムに動いていると言っても、時間が経てば拡散していくな」
疫病を封じ込めるのならば今しかない。放っておいたら肉食獣に捕食されるゾンビも出るかもしれない。狼とかカラスとか、そのあたりの獣がキャリアになったらもう手が付けられない。
しかし、接近できないのにどうやってそれをやる?
俺は知恵を絞る
「広い範囲に柵を作ってゾンビが外へ出ないようにすれば」
「良い手だが、時間がかかりすぎる。鬼どもがこちらへ接近中だという事を忘れるな」
そうだった。
大規模な土木作業には人手がいる。その人手は鬼軍を迎撃するのにも必要だ。むしろ、そちらの人手も足りない。
打つ手なし、か。
三角顎伯爵の目が俺を見て、ゾンビを見て、子爵領軍を見て、地平線のかなたも見た。
彼が何を考えているのか、俺には分かったような気がした。
どうにもならない窮地に陥った遠征軍が何をするか。当然の答えがある。
撤退だ。
ブラームス子爵領を見捨てて自分の領地に退避する。
鬼軍がどこまで追ってくるかは不明だが、領地の境界を閉ざして避難民の受け入れを拒否すれば疫病の蔓延は防げるかもしれない。うまくいけば、疫病が鬼軍を始末してくれるかも知れない。
人の病が鬼にも感染するかどうかは分からないが。
俺はそれについていく訳にはいかない。
いや、可能か?
カクリュウもオババ様も鍛え始めた部下たちも全員見捨ててアンロスト伯爵の元に身を寄せる。
絶対に不可能だとは言えないが、みっともなさすぎるな。男として少しでも見栄を張るつもりがあったら不可能だ。
しかし、ならばどうすれば良い?
蹴りだろうと関節技だろうとプロレス技のすべては疫病相手には無力だ。
俺は医者ではない。
なんでも解決できるような魔法使いでもない。
何もできない。
今すぐに鬼軍を迎撃しに行って鎧袖一触で撃破。すぐにここへ取って返すといった非現実的な策しか思いつかない。
そんな策しかないならばアンロスト伯爵も撤退を決めるだろう。
「どうすれば……」
「お困りのようじゃのう」
先ほどの霊体のご老人だ。
藁にもすがる想いでたずねる。
「俺はどうすれば良いのでしょう?」
「ホホホ、弟子が教えを乞うてきたとあっては答えねばならんな」
俺が弟子?
このご老人が師匠?
誰だろう?
プロレスの師ではない。
学生時代の恩師でも野球をやっていた時のコーチでもない。
誰だ?
「わしも医者ではないが、人を極楽浄土へ導くのはわしらの仕事だ」
お坊さんの師匠なんて俺にいるか?
あ。
生前の俺にはそんな師匠は居ないな。
けれど、死後ならば該当者一名だ。
俺にも戒名が付けられている。
どこかの上人だか大師様だかの弟子として登録されたはずだ。
『俺の師匠としては格が足りない』『役者が不足している』その評価を下したのは俺ではないぞ。俺をこちらへ転生させた女神さまだ。
だけど、めっちゃくちゃ気まずい。
「これは、お坊様にはとんだ失礼を」
「良い良い、おぬしの咎ではない。わしの徳が足りなかっただけの事よ」
大きな身長を精一杯下げて恐縮してしまう。
伯爵たちには奇異な目で見られるが、それどころではない。
「お坊様ならばあのゾンビどもをどうにかできる、と?」
「わしには出来ぬ。なんせ徳が足りんのでな」
「で、では……」
「わしには出来ぬが、おぬしにやり方を教える事ならばできる。それが師匠の役目という物である」
本当にできないのか意趣返しされているのか。
いや、意趣返しされているとしても教えてくれるというならば感謝しなければならない立場だ。「よろしくお願いします」と俺は頭を下げた。
そして振り返る。
「アンロスト伯爵。こちらを俺が引き受けるならば、鬼軍への対処は頼めるか?」
「鬼どもとは当然戦うが、こちらの怪物はどうにかできるのか?」
分からない、と答えたいがこらえる。
その代わりに目と声に力を籠める。
「やってみせる」
「分かった。鬼は任せろ」
『ここは俺に任せて先へ行け』か、まるで跳躍する漫画雑誌でありそうなシチュエーションだ。
だが、俺の役目は時間を稼げばそれで済むようなものではない。ゾンビどもの処分が成功しなければこの世界の人間が破滅しかねない。
仮に天然痘クラスの疫病だったとしてもヨーロッパでは何割の人間が死んだと言っていたかな?
正確な数字までは覚えていない。
伯爵軍が向きを変え始める。
武具を身に着けた3000人もの人間が向きを変えるのは大仕事だ。一人ならばその場で回れ右すれば済むが、隊列を組みなおしながらとなると簡単ではない。
隊列がいったんばらけ、再集結することになる。
隊列がばらけた所へ接近するゾンビがいた。
別に狙いすましたわけでは無くただの偶然だろう。一体だけだ。しかし、弓部隊で足止めすることもできず、盾兵で行く手を阻むこともできないタイミングでやってくるのは有り難くない。
そして、好都合だ。
近づいてきた一体だけのゾンビを処理できないようでは、カオスツリーの周囲のすべてを浄化するなどできるわけがない。
悪いが、試し斬りにはもってこいだ。
「御師様、よろしくお願いします」
「いいじゃろう。荒行になるが、成し遂げるがよい」
人波をかき分けゾンビへと近づく。
その視界にばさりと巻物がかぶさった。半透明の霊体の巻物なので視界を遮るわけでは無いが、その内容には困るものがある。
お経だ。
いや、誰かを成仏させようと思ったら一番の定番の手段なのは間違いないが……
今からこれを覚えろって言うのか?
「いや、俺は門前の小僧ですらないんだが」
「ホッホッホッホッホ」
笑ってないでどうにかしてくれ‼




