18 とある巨人と混沌の樹木
試合終了のゴングが鳴った。
俺はパーワーを踏みつけていた足をどける。彼に息があることを改めて確かめる。
きちんと受け身をとってさえいれば重大な結果にはならない威力だったと思うが、俺から見るとこちらの人間はみんな素人だからな。少し心配だ。
幸い、意識を失っているだけだ。
後遺症が残らないかどうかは何とも言えない。
「担架を持ってこい」
俺は命じた。
抱き上げて運ぶよりそちらの方が負担が少ないだろう。
「お優しい事だな、巨人よ」
バルグウェイブ神が降りてきた。
それでもリングに足をつけようとはしない。俺を少しだけ見下ろす位置で止まる。素の身長は俺のほうが高いようだった。
「試合が終わればノーサイドだ。そちらこそ、セコンドについた相手の心配ぐらいはしてやったらどうだ?」
「俺が奇跡を起こしてまで加勢してやったのに相手にもならずに敗北するなど、神罰を下されても仕方ないぐらいの失態だ。もう少しぐらいは健闘できると思ったのだがな」
「武器をとっての戦いであればいい勝負になっただろうが、素手の戦いでは俺が負けるわけがない。こっちは死ぬまでプロレスをやっていたんだから」
「普通の人間の一生分の研鑽か。それは確かに分が悪いな」
戦いの神も納得してくれたようだ。
俺の部下が担架を持ってきてパーワーを乗せる。
担架がどちらへ向かうかで軽い諍いが起こる。アンロスト伯爵軍で預かるか、ブラームス子爵領側で看病するか。パーワーはもともとは子爵領側の人間なのでこちらで確保したいところだが、今回の戦いでは伯爵軍の代表として出ている。よって俺は伯爵軍側へ向かうように指示した。
伯爵軍はこれから故郷へ帰るために出立するから、その時になっても彼が回復していなければあらためて預かればよい。
気が付くと、リングの下では人々が膝まづいている。
降臨した神に拝謁しているようだが、その畏怖のまなざしは俺に対しても向けられているように見える。
やっちまったか?
見事な格闘に対する称賛ならば受け取るのもやぶさかではないが、どうも違うようだ。
戦いの神と対等に言葉を交わしたのがまずかっただろうか?
俺までもが神様のようにあがめられている気がする。
居心地の悪い視線から目を背けると、その先にいるのは神様だ。
逃げ場にならない。
その神様の様子がおかしい。話を切り出したいが何から話せばよいかわからない。そんなためらいを感じる。
「バルグウェイブ神よ、わざわざ降臨したことには何か理由があるのでは?」
「ん、まあ、あると言えばある」
「それは?」
「間がもたん」
「は?」
「神前決闘にはもう少し時間がかかると思っていたのだ。事が起こるのはまだ先だ」
聞くんじゃなかった。
神様が直々に出てくるような厄介ごとがこれから起こるっていうのか?
厄介ごとではなく慶事がおこるのならば良いが、目の前にいるのが戦いの神ではそう上手くは行かないだろうな。
「ああ、あちらの方が先だったか」
戦の神が遠くに目を向ける。
視線を追うと、そちらから馬が走ってくる。乗っているのは軽装の男。騎兵ではない。戦いでは無く移動に特化した装備だ。
早馬による伝令だな。
馬を乗りつぶすことも厭わずに必死に走らせているあたり、決して良い知らせではないだろう。
俺と神の様子を見て、伯爵軍から迎えが出た。
替え馬を引いてゆき、伝令を乗せ換えて連れてくる。
伝令の男は俺やバルグウェイブ神には目も向けず、アンロスト伯爵に報告する。
この場に神が降臨しているなんて、普通は思わないよな。
「伯爵様、報告です。火急の報告でございます」
「聞いている。少し落ち着け」
「鬼が、鬼の大軍がこちらに向かっています」
「数は?」
「不明ですが、前回の軍勢を大幅に上回るかと。それを率いるのは巨大な鬼。ジャイアント殿に匹敵するぐらいの大きさです」
「魔王か!」
「まず間違いなく」
鬼の中でも一番大きくて強い鬼を魔王と呼ぶらしい。
前回の軍団よりも上位の者が率いているのならば、そちらが本隊かな?
「それにしても、早すぎる」
アンロスト伯爵が長い顎をさすりながらこぼした。
なぜかと訊いてみると、前回の敗北から再侵攻までが早すぎるのだという。先遣隊が負けて撤退したのならば、本隊がよほど近くにいるのでなければ続いての軍事行動は見合わせるはずだという。
ま、戦力の逐次投入が愚策だとはよく聞くし、先遣隊がどうなろうと構わずに本隊が動くのならば『最初から本隊で侵攻しろよ』っていう話になる。
「帰郷は中止だ。戦闘態勢にて待機!」
「ブラームス子爵領側も小隊ごとに集合! それから、俺の武具を持ってこい」
伯爵と俺が相次いで指示を出す。
俺は試合が終わった直後だというのに、間に合わせの軽い防具を身に着ける。
武器として選んだのはちょっとした鉄の棒だ。鉄鞭とか呼ばれるタイプらしい。
鞭という字を当てるが、イメージとしては全然違う。少なくとも「女王様とお呼び」とか言いながらふるうような物ではない。どちらかと言うと乗馬用の鞭に近い。ちょっとだけしなる鋼鉄の棍棒のような武器だ。
刃物にすると自分の身体を切ってしまいそうで怖くてな。それに、これならばバットのような感覚で振れる。
町の見張り台に人を送る。
そちらからの報告では、鬼軍はまだ見える範囲にはやって来ていないそうだ。
もっとも、この町は丘に囲まれているのでさほど遠くまでは見通せないのだが。
「そう急がなくても、鬼の軍勢はまだやって来ないぞ」
宙に浮いたままの戦の神が言う。
それはそうだろう。早馬のすぐ後ろから敵の軍が来るようでは何のための早馬かわからない。
そうは言っても、敵が近づいているのに何の備えもしない訳にはいかない。この戦闘準備は非戦闘員たちを安心させるための物でもあるのだ。
「ところで、間がもたないとか言っていた件はどうなったのだ?」
「うむ、もうそろそろだな。魔王よりもずっと早くそちらが来る」
何が来るというのか?
問い返そうとした時、俺の足の裏が地面の震えを感じ取った。
地震?
揺れが大きくなる。まっすぐ立っているのが難しくなり、腰を落として耐える。
ここは野外だ。
上からの落下物は警戒しなくてよい。
そう思っていたが、異変は地震だけでは終わらなかった。
空が暗くなる。
雲が出たわけでは無い。太陽がどこかへ掻き消え、一瞬で夜になった。
星空が見える。
いくらファンタジーな世界でも、これは派手すぎないか?
日食という訳でもないよな。
天照大神が天の岩戸にお隠れになったのか、フェンリルが太陽を喰ってしまったのか。
神話的な現象が起きたような気がする。
「おかしな事を考えるな、巨人よ。これはお前の世界でも起こりえる物理現象だぞ」
何を言っているんだ、この神様は。
それと、俺の心を読むのは遠慮してもらいたい。
「頭上に強力な重力場が発生したことで太陽の光が捻じ曲げられて地上に届かなくなっただけだ」
よく分らん。
科学的っぽい説明があるのは理解したが。
それで、いったい何が起こるんだ?
「普通の重力場が発生しているだけならばそれ以上は何も起こらないが、コレは回転する極大の重力場だ。むき出しの特異点が存在する……らしい」
「らしい?」
「俺もはっきりとは理解していないんだよ! 聞きかじりの受け売りだ!」
「そこで逆切れされても困る」
「とにかく、あそこには特異点とかいう変なのが出現している。特異点ではすべての法則が狂う。神でさえそこから何が出てくるかは予測がつかない。確率の法則さえ狂うので、アメーバから神まで、ドラゴンからロボットまで、何が出現しても不思議ではない」
「危険なものなのか?」
「危険なものが出現する可能性。……その可能性という言葉すら意味をなさなくなるのがあそこだ」
なるほど、分からん。
分からない現象が起こるってことはとりあえず危険だと思っておこう。
そう思った時だった。
空が裂けた。
そんな気がした。
地面がひときわ大きく揺れた。
俺も立っていることが難しくなり、膝をつく。
俺以外の者などは大半が転倒している。顔面から地面に突っ込んでいる者も多かった。
一瞬だけ目を離した。その間に一キロほど離れた場所に巨大な塔が出現していた。
最初はその塔はすぐ近くに立っているのだと思った。はるか高く見上げるような大きさだったから。
しかし、地面を見るとあの場所は一キロかそれ以上に離れているはずだ。
それはトラス構造を複雑に組み合わせたような構造をしていた。
先端は尖っていて、塔の上の方には展望台らしきものが見える。美しい塔だと言いたいが、途中がちょっと捻じれて歪んでいるようなのが難点だ。
それにしても大きい。
「デカいな。東京タワーなんか目じゃないぐらいに大きいんじゃないか」
「何を言っている、巨人よ。これはお前がいた世界の建物のコピーじゃないか」
「こんなもの、俺は知らないぞ」
少なくとも日本にはこんなものは無い。アメリカあたりにもなかったのは確かだ。
世界のどこにもなかったかと訊かれたら「たぶん」としか答えられないが。
「ああ、そうか。これはお前が死んだ後で建造されたものだったか。お前の知る東京タワーの後継者だな」
そういえばそんな計画があったっけ。と言うか、俺が死んでからそんなに時間が経っているんだな。こんな塔は一年や二年では造れないだろう。
塔の途中がねじくれているのはコピーの失敗かな。
「いや、それは元からだ」
いかれた設計者がいたらしい。ピサの斜塔でも参考にしたのか?
「建造物が一つ出現しただけで終わりなら、結局たいして危険ではなかったという事か?」
農地が一部つぶれたようだが、こんな天体現象みたいな状況でその被害なら重畳だろう。
しかし、バルグウェイブ神は首を横にふった。
「そうでもない。あれを見ろ」
夜空に向かってそびえ立つ塔の足元から、何者かがわらわらと湧き出てくる。
塔が巨大すぎるのでまるで虫けらのように感じられるが、人間ぐらいの大きさはあるはずだ。
敵対的な相手かどうかはまだわからない。が、仮に中立的であったとしてもあの数だけで厄介ごとになるのは間違いない。
アンロスト伯爵は配下の部隊に戦闘態勢をとらせていた。
「空の樹木ならぬ混沌の樹木の出現か。面白くなってきやがった」
神よ、こちらはちっとも面白くないです。




