10 とある巨人の新たな日常
俺が死んで、この世界に転生してから三日ほど経った。
幸いと言っては何だが、ルクロス隊長とやらが金庫の中身を持ち去ったことは重大な問題にはなっていなかった。
問題がないわけではない。商人に支払う金貨がなくなったことは普通に困る。だが、中世程度の文化水準だと豊かさを測る単位は食糧だ。一万石の国とか十万石の国とか、積み上げられた食糧やそれを生産できる土地こそが富。懐に入れて持ち去れるような金貨は補助的な存在にすぎない。
金貨が無くて支払いが出来なくても領地本体が無事であるならばつけは効く。
伯爵さんは今は忙しく働いている。
再編した子爵領軍に領内の警備を任せる予定だったが、その軍の上層部がごっそり逐電してしまったのだ。伯爵軍から目ぼしい人材を派遣して秩序の維持にあたっているが、火事場泥棒のような真似をするのはルクロス隊長だけではないようだ。
リスティーヌさんはこの町へ滞在し続けている。
何か仕事をするわけではないが、彼女を見るとこの町の者たちは最上級の礼をとる。神聖武装の使い手はかなり尊重されているようだ。
神聖武装とやらが何か、オババ様に聞いてみた。
未使用時は指輪とか装身具になっている『何か』だそうだ。
使い手の戦う意思を感じ取るとその場を切り抜けるのにふさわしい武器に変化するらしい。この世界の人間には理解できない形に変化することも多いが、使い手には使用方法がなぜか分かるのだそうだ。
あの時にロケットランチャーに変化したのは俺が近くにいたからではないかと思わないでもないが、事実関係は不明だ。
ご令嬢本人は俺と顔を合わせるたびにツンツンしている。
仲直りへの道は遠そうだ。
俺は朝日とともに城塞都市の外周をランニングする。
いつまでもガウンとタイツ姿では締まらないので、今は即席の皮鎧のような物を身に着けている。
二日や三日ではオーダーメイドは到底間に合わず、一番大きな鎧を切り張りして無理矢理にサイズ調整したものだ。おかげで不自然な隙間があちこちにある。
ま、手首に手甲があるだけでも刃物相手の安心感が違うが。
そうそう、足元だけは転生した時に履いていた16インチブーツだ。
リングシューズを外で履き続けるのは好まないが、俺の足にあう靴なんか存在しないから仕方がない。それにこのブーツは何か特殊な物らしく、汚れる様子も傷がつく様子もまったくない。『さすが、神様からのプレゼント』ってところか?
そして、今の俺は一人ではなかった。
俺もこの三日のうちにこちらの言葉で簡単な会話ぐらいはこなせるようになっている。そこで取りかかったのが、逃げそびれた軍人たちの掌握だ。
ルクロスとやらは外様の雇われ隊長だったらしい。
鬼軍の襲来にあたって籠城案を主張したが、上司に野戦を挑まされて惨敗。その上司は重傷を負って明日をも知れぬ命。
そう聞くと逐電したのも無理もないと思ってしまう。
俺がそいつの後始末に立候補した身でなければ彼の方に同情しただろう。
完全に統率がとれた職業軍人で構成される伯爵軍ですら互角の勝負でしかなかった鬼軍に、素人だらけの軍隊で正面対決するとは正気とは思えない。
たとえ二流三流でもその道で飯を食っているレスラーに素人が喧嘩を挑めばどうなるか、考えるまでもない。その状況ならば城壁に頼って防戦につとめ、伯爵軍の来援を待って挟撃する。軍人としては素人の俺ですら、そのぐらいの事は考えるぞ。
前隊長の事情は横に置くとして、俺は数少ないこの領地の職業軍人に会いに行った訳だ。
前隊長が連れてきた連中ではなくこの領地の生え抜きのメンバーは逐電せずに残っていた。
結論から言おう。コイツらは超弱い。
そこそこ使えるヤツも一人二人はいるが、大半はまず、身体が出来ていない。
文化の違い、なのか?
ここの人間は『畑仕事をしっかりやっているから腕力がある』『日頃から長距離を歩くから足腰がしっかりしている』という事はあっても、わざわざ自分の身体を苛めてトレーニングするという発想はない。
いや、彼らのために弁護するなら、彼らが特別に怠け者という訳ではない。たぶん、ここの食料事情の悪さが関係している。カロリーを大量に消費するような行動はすべて、新しい食事を入手する為で無ければならない。そんな感じだ。
それを言うならば軍人という職業自体が穀潰しだけど、な。
その穀潰しどもを掌握するには腕力を使うのが手っ取り早い。
俺は彼らに稽古をつけてやった。『かわいがった』とも言う。
素手でやりたかったが、さすがに身体の大きさ的にそれでは勝負にならない。しかたなく、木剣で打ち合うことになった。
俺は結構強かった。
身体が出来ていない程度の奴らなら、疲れさせれば勝ちだと計算していた。が、実際にはそれを待つまでもなかった。
相手の太刀筋は全部見え見え。対して、俺の攻撃は簡単に当たる。
神様からの贈り物か、って?
少し違う。
第一線を退くぐらいに重ねた格闘経験と若くなった身体の相乗効果、だな。もちろん、小鬼たちと戦った時と同じく、俺の身体の大きさから来る感覚の違いも大きいだろう。
人間の行動は一般的には三拍子だ。
まず『どう動こう』と言う決断があり、これは視線などにあらわれる。
そして、動作をはじめる前の予備動作がある。殴りかかろうとするならば拳が少し引かれたり、身体の重心が前に動いたりする。
本来の目的となる動きを始める前にこの二拍子が存在する訳だ。
素人はこの二拍子がとても大きい。この見え見えの二拍子から俺は次の行動を予測できる。
多少は出来る相手ならば俺の顔を見ながら足を払いに来たりもするが、その程度の工夫など俺の前では無いに等しい。全部、見える。
そして、俺の動作は一拍子だ。
山並みを見るような目ですべてを見通し、予備動作と本命の動作を一体化させる。さほど速くなくとも相手に動きを読ませない。これも生涯現役の格闘人生のなせる技だ。
俺は生前、結構いい歳になってからでもシリーズ中に一回や二回ぐらいは脂の乗ったエース級のレスラーとガチな勝負が出来た。それは、この相手に動きを読ませない技能による所が大きい。
そりゃあ、俺は剣術は素人だ。
対戦相手が宮本武蔵や柳生十兵衛みたいな剣豪ならば勝ち目はないだろう。だが、俺の太刀筋をまったく見切る事ができず剣を合わせる事がない相手なら、剣術の駆け引きなど入る余地はない。
腕力も持久力も、腕の長さも含めた剣のリーチも俺が上だしな。
俺はその場にいた10人ほどを散々に打ちのめした。
で、現在に至る。
一度叩きのめした奴らを朝一番に起こしてランニングに参加させる。
町のまわりを一周させて、まだ余裕があるようだったので二周目へ。へとへとになるまで疲れさせる。
二週目が終わったらすかさず木刀を持たせて素振りをやらせる。
休憩、何それ?
ランニングなんかただの準備運動だ。
プロレスの練習はね、疲れ切った所から開始するんだ。
興行では20分30分全力で戦った後で、観客をうならせるような見事な必殺技を決めなくては試合を終わらせられない。対戦相手に決めてもらう場合でも一緒だ。その場合は見事な必殺技を受けて怪我をしないで済ませなければならない。
疲れているから技が決まりません・受け身が取れません、では通らないんだ。
そのあたりは実戦を戦うこの男たちの方がずっと深刻なはずだ。
疲れていても、大けがしていても必要があったら剣を振るえる。自動的に剣を振るうぐらいに身体に覚えこませるべきだ。
え?
俺の見切りの技術を教えないのか、って?
それは自力で習得してもらう。
そんな物を教える方法なんか俺も知らない。
ハードなトレーニングに男たちは不満そうだが、俺は彼らよりずっとキツイ運動をしている。文句があるならば俺に勝ってからにしろ。
今のこいつらでは全員が束になってかかってきても俺には勝てない。
それはすでに実証済み。
というか、現在進行形で実証中だ。
男たちが素振りを終えて休憩に入った後も俺はトレーニングを続けた。
そして、それが一段落したあたりで男たちが襲いかかって来た。さすがに武器は持たず素手のみだが10人相手は……ちょうどいいな。
身体を鈍らせないためにはこのぐらいのスパーリングは必要だ。
軽く相手をしてやる。
逆水平チョップでなぎ倒し、脳天唐竹割で打ち倒す。脚にしがみ付いてくる相手にはストンピング、ついでにボディスラムで怪我をさせない程度に叩きつける。
ちょっと物足りない。
身体の芯まで響いて来るような重い打撃は無いものか? 気持ちが足りないんだ、気持ちが!
そんなこんなが、今の俺の日常だ。




