無窮の厄災
アイスコレッタ邸の大広間は、舞踏会が行えるほど広い。まず、入って目につくのは、まるで、大空に抱かれているような穹窿――広い半球形の天井。大空に天使が舞う、見事な宗教画が描かれていた。
鏡のような大理石の床に、金の蔦模様が描かれた白い壁、水晶が幾重にも重なっている美しいシャンデリアなど、素晴らしい内装と趣味の良い調度品が揃えられていた。だが、変わり者揃いのアイスコレッタ家では、人を招いて催しものをする趣味はなかった。
しかし、侵入者は大歓迎のようだった。
マリア・アイスコレッタ渾身の、おもてなしが待っている。
クレメンテは堅い表情で大広間に入ろうとした。
しかしその前に、ウィオレケが手を握る。
「義兄上!」
「ウィオレケさん?」
じっと、見上げてくる。よく見たら、瞳は涙で潤んでいた。いったいどうしたのか。クレメンテは床に片膝を突いて、ウィオレケと目線を同じにする。
「ウィオレケさん、なんですか?」
「二度と……ないでくれ」
「え?」
顔を伏せ、ボソボソと囁かれるように言われた内容を、クレメンテは聞き取れなかった。
「すみません、もう一度――」
「もう二度と、死ぬとか、言わないでくれ! そんなことを言う義兄上は大嫌いだ!」
ウィオレケは顔を上げ、クレメンテをまっすぐに見ながら言う。
言い終えると、涙がぽろり、ぽろりと零れた。
「ウィオレケさん……」
「きっと、僕の言うことなんて、義兄上の心に響かないだろう。でも、でも、そんなの、悲しい。命に価値がないとか、言わないで」
もしも、リンゼイがクレメンテの手を取らなくても生きてほしいと、ウィオレケは願った。
「クレメンテのおかげで、僕はいろんな景色を見ることができた。新しい発見もたくさんあった。これから先も、いろんなものを見たい。知りたい。もう、義兄上は僕を、外の世界へ連れて行って、くれないの?」
ウィオレケの言葉に、クレメンテは胸を熱くする。
ここまで、ただの英雄でもない自分を必要としてくれる人がリンゼイの他にもいたのかと、驚きの気持ちもあった。
「ウィオレケさん、ありがとうございます」
「お礼なんていいんだ。僕はただ、姉上と関わる他にも、楽しいことはあるかもしれないから、この先も、お願い、生きて――」
小さな子どもが、生きてほしいと願っている。
こんなにも、温かい気持ちに満ちた言葉をかけてもらったことなどなかった。
答えは考えるまでもない。自然と、口から出てくる。
「はい、生きます」
その言葉を発した瞬間、身体の中にあったモヤモヤとした黒い感情が晴れたような気がした。生まれて初めての、清々しい気分だった。
「この先も生きて――ウィオレケさん、楽しいことを、一緒に探してくれますか?」
「義兄上!!」
ウィオレケはぎゅっとクレメンテを抱きしめる。問いかけに対する答えでもあった。
その様子を見守っていた囚われのモンドは、ボソリと呟いた。
「娘だけでなく、息子までたぶらかすとは」
悔しそうにするモンドに、ゼルは慰めの言葉をかける。
「父上、子どもはいつか外の世界へと巣立つものです」
「一番巣立ってほしいあなただけが、残るのですね!」
「私はアイスコレッタ家の跡取りですので」
ここで、黙って事を見守っていたルクスは気付く。
クレメンテの属性が、闇から無になっていたことに。
『え、すごい。こんなことって、あるの!?』
クレメンテは自身を巣食うかもしれない負の属性を祓った。
生きるという希望が、そうさせたのかもしれない。
ウィオレケに微笑みかけるクレメンテを見ながら、ルクスは独りごちた。
『子どもの純真さって、すごいなあ……。うん。とても、綺麗だ』
一つの障害を乗り越えた。
あとは、目前の敵を倒すばかりである。
◇◇◇
クレメンテは一度深呼吸し、魔剣オスクロを抜いてから大広間に足を踏み入れる。
ルクス、ウィオレケ、メルヴ、囚われのモンドも続こうとしたが――。
『あら?』
『まあ!』
『どうして?』
筋肉妖精は見えない壁に阻まれる。そして、バタンと扉が閉まった。マリアの結界が、侵入を許さなかったのだ。
廊下には、筋肉妖精の姉妹達とゼルだけが取り残されてしまった。
一連の気配のなかった魔法に、モンドはぎょっとする。
ドンドンドンと閉ざされた扉を叩き、廊下にいるゼルにどういうことだと声をかけたが、返事はない。
「父上、これはきっと、母上の魔法だ」
「わかっています! ゼルが何か知っているのか、聞き出そうとしただけで」
魔法によって、この大広間は異空間へ隔離されているようだった。
扉に刻まれた呪文をモンドは読み解く。
「まったく、馬鹿なことをする」
ボソリと独り言を呟き、モンドは振り返って叫ぶ。
「マリア、出て来なさい! いったい、何を企んでいるのです!?」
ここで、人の気配がなかった大広間の床に、魔法陣が浮かび上がった。
空間がゆらりと歪んで中から現れたのは、美しき魔法使い、『無窮の厄災』マリア・アイスコレッタ。
今日は魔法師団の制服ではなく、真紅のドレス姿であった。
「マリア、あなたは!!」
モンドの姿を見たマリアは、スッと目を細める。
その愉しげな目付きは、まるでおもちゃを見つけた子どものようだった。
「久しいな、愛しい人よ」
「なッ、子どもの前で、なんてことを言うのですか!?」
夫婦は共に忙しく、二ヶ月ぶりの再会であった。
そんなことはどうでもいいと、モンドは切って捨てた。
「どうでもよくはない。どうだ、今日の私は? 美しいだろう?」
「……」
「ふん。気の利かぬ男よ。ウィオレケはどう思う?」
「……」
マリアを前に、沈黙する男二人。
「なんだ。せっかく着飾って来たというのに。ドレスなど、結婚式以来だぞ」
なぜ、そのような恰好でやって来たのか。モンドの質問に、マリアは答える。
「これは――そうだな。言わば、死に装束だ。大英雄と対峙するためには、これくらいの用意が必要なんだ」
もしも剣で貫かれても、美しく逝きたい。そんな理由から、真っ赤なドレスを選んだのだと、マリアは尊大な様子で話す。
「母上、姉上と義兄上の結婚を許してくれ! 二人共、仲良く暮らしていたんだ」
「そうだろうか? リンゼイは、憔悴していた。きちんと、元気な身体に産んであげたのに、異国の地で、苦労しながら暮らしていたなど――」
それは、マリアなりの愛だった。
可愛い可愛い娘が、苦労にまみれて暮らすなど、許せなかったのだ。
その考えに、意外な人物が物申す。
「マリア、あなたは間違っている。苦労のない人生など、ないでしょう」
少し過保護なのではないかと、モンドは指摘した。
マリアは夫の言葉に首を横に振り、反論する。
「いいや、私の娘が、棘の道を選ぶことなど、あってはならない」
「子どもの人生は子どものものです。あなたの思い通りに進むわけがない」
「ふむ。なるほど、な」
そう呟くと、モンドの足元に魔法陣が浮かび上がる。
「父上!!」
ウィオレケが叫んだが、遅かった。
モンドは水晶の中に閉じ込められてしまう。意識を奪われているのか、驚きの表情のまま、物言わぬ状態になってしまった。
「モンド。君は、あとでゆっくり可愛がってやろう。私が、生きていたら、な」
ウィオレケは父親を守るかのように、水晶の前に立って母親を睨みつける。
「ウィオレケ、そんな顔で、お母さんを見ないでくれ。……まさか、反抗期というものかな?」
言葉を返さず、ウィオレケは奥歯を噛みしめながら母親の姿を見続けるしかできなかった。
モンドと同じように、ウィオレケの足元に魔法陣が浮かんだ。その刹那。
『ダメ~~!!』
魔法陣が弾ける。メルヴが大理石の床をペチンと叩いて、魔法陣を消失させたのだ。
「……なんだ、その葉っぱは?」
「葉っぱじゃない。メルヴだ」
メルヴはキリリとした表情で一歩踏み出し、ピシッとキレ良く片手を挙げて自己紹介する。
『メルヴ、ダヨ』
「ほう……。これはこれは、ご丁寧に」
挨拶に対して、マリアは淑女の礼を返していた。
「なるほど、人工精霊か。面白い存在を連れている」
その呟きは小さなもので、誰の耳にも届かなかった。
「あの……」
ここで、今まで大人しくしていたクレメンテが声をかける。
マリアはハッとなって姿勢を正した。
「ああ、すまない。気配がなかったものだから」
濃いアイスコレッタ家の面々の中では、クレメンテは空気と化してしまう。
苦笑しながらマリアは謝罪した。
「そうだな。まずは、私の番犬と遊んでもらおうか」
マリアは指先をくるりと動かし、空中に円を描いた。それは魔法陣となり、しだいに大きくなって、中からなにかを召喚する。
それは、見上げるほどに大きな魔獣であった。
黒い毛並みに、三つの狼の頭、鋭い牙に爪、尻尾は毒蛇――地獄の番犬。
低い声で唸り、長い舌を垂らしながら牙を剥く。
クレメンテは魔剣を構え、床を蹴った。




