過労死した元社畜が悪役令嬢に生まれ変わり、辺境のブラックギルドで仕事をしない「お飾りオーナー」として安眠生活を送るつもりが、なぜか部下から「冷徹なカリスマ」と慕われる最強の支配者に
「エレオノーラ・フォン・カーライル! 貴様のような『ゼロの令嬢』との婚約は破棄する! 今すぐ我が視界から消え失せろ!」
王城、夜会の大広間。
第一王子ジェラルドの怒声が、シャンデリアを揺らした。
その腕には、ピンクブロンドの髪を揺らす小柄な少女がしがみついている。
男爵令嬢、シルヴィア。
上目遣いで王子を見上げ、怯えるように身を震わせていた。
「ジェラルド様ぁ……怖いですぅ。エレオノーラ様、また私をいじめるのかしら……」
「大丈夫だ、僕の可愛い聖女。僕が守ってやるからね」
よしよし、と頭を撫でられるシルヴィア。
その光景を、エレオノーラは扇子の陰から冷ややかに見下ろしていた。
(……はぁ。相変わらず、頭の中がお花畑ね)
エレオノーラは知っている。
このシルヴィアもまた、自分と同じ「転生者」であることを。
前世は、顔の良さと愛嬌だけで世渡りしてきた、仕事のできないフワフワOL。
この世界でも、稀代の「聖女の加護」を持って生まれたのをいいことに、努力を放棄し、男に媚びることだけに全力を注いでいる「脳内ピンク色」の女だ。
対するエレオノーラには、前世の記憶があるものの、加護も魔力もない。
あるのは、かつて日本という国でシステム開発会社の課長として働き、月残業二百時間を超えるデスマーチの果てに過労死した、哀れな社畜の記憶と実務能力だけ。
そしてこの世界は、前世で唯一の癒やしだった乙女ゲーム『喜びに満ちる世界(通称:びにちる)』の舞台である。
王妃になれば、外交、公務、世継ぎ問題……年中無休のブラック労働が確定していた。
婚約破棄。それは彼女にとって、地獄の職場からの「退職願」が受理されたに等しい。
「……承知いたしました。殿下のご判断、謹んでお受けいたします」
エレオノーラは優雅にカーテシーをした。
その堂々たる態度が気に入らなかったのか、王子の後ろから、実の父親であるカーライル公爵が進み出てきた。
「エレオノーラ! 恥を知れ! 我が家の顔に泥を塗りおって!」
「お父様……」
「貴様のような役立たず、屋敷に置く価値もない! 辺境の地『デッドエンド』へ行け!」
会場がざわめいた。
デッドエンド。王国の最北端に位置する、魔物が湧き続ける死の大地。
その名の通り、行き着いた先にあるのは「死」のみとされる場所だ。
「そこにある我が家の恥部……『私設冒険者ギルド』のマスターを命じる! 借金まみれのゴミ溜めだ。そこで魔物の餌になって、罪を償うがいい!」
公爵は唾を吐き捨てるように言った。
事実上の、勘当と死刑宣告だ。
加護も魔力もない令嬢が、荒くれ者の吹き溜まりであるスラムギルド、しかも最前線の管理などできるはずがない。
だが。
エレオノーラの瞳が、怪しく光った。
(デッドエンド……!? あの『びにちる』の隠しマップじゃない!)
彼女の脳内検索が高速で走る。
デッドエンド。
ゲーム内では「高難易度エリア」として恐れられているが、実は温泉が湧き、ミスリル銀山が眠り、激レア素材のドロップ率が異常に高い「宝の山」であることを、廃人プレイヤーだった彼女だけは知っている。
しかも、ギルドマスター。
つまり「社長」だ。
誰にも邪魔されず、自分の裁量でルールを作れる、組織の最高権力者。
(最高じゃない……!)
王都のブラック実家から離れ、干渉を受けない辺境で、社長として君臨できる。
これは「左遷」ではない。「栄転」だ。
「……お父様。その命令、確かに拝命いたしました」
エレオノーラは扇子を閉じ、ニヤリと笑った。
その元来の目つきの悪さと相まって、周囲には「復讐を誓う悪魔の微笑み」に見えたことだろう。公爵が一歩後ずさる。
「二度と戻りませんわ。ごきげんよう」
◇
エレオノーラが会場を後にする背中を見送りながら、王子と公爵は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
だが、彼らは気づいていない。
自分たちが捨てたのが、ただの「ゼロの令嬢」ではなかったことを。
エレオノーラ・フォン・カーライル。
彼女は生まれつき、神の加護を持たず、魔力も一般人以下という「ゼロの令嬢」として蔑まれてきた。
だからこそ、彼女は必死だった。
前世の社畜根性を発揮し、魔力がない分を「実務能力」でカバーしようと、血の滲むような努力を重ねてきたのだ。
公爵家の領地経営における帳簿管理、財務整理、根回し。
王子の公務におけるスケジュール調整、政策の立案、不始末の尻拭い。
それらすべてを、エレオノーラが影で行っていた。
一方、聖女シルヴィアはどうだ。
「え~、わかんないですぅ」「ジェラルド様やってぇ~」
甘えた声を出して、仕事は何一つしない。書類の読み方すら知らない。
ただニコニコ笑って、周囲の男たちに愛想を振りまくだけ。
エレオノーラは、そんな彼女が公式の場で恥をかかないよう、厳しく指導してきた。
「TPOを弁えなさい」「その言葉遣いは王族に対する不敬です」
それは虐めではなく、王妃となる者への教育だった。
だが、王子にはそれが「ゼロの女による嫉妬と虐め」にしか見えなかったのだ。
「ふん、せいぜい野垂れ死ぬがいい」
公爵は鼻を鳴らす。
しかし、明日から彼らは地獄を見ることになる。
誰が、膨大な領地の収支を合わせるのか?
誰が、王子の無茶な散財と失言を止めるのか?
優秀すぎる「ストッパー」にして「最強の実務家」を失ったカーライル家と王家が、音を立てて崩れ落ちていくのは、そう遠い未来の話ではない。
◇
数週間後。
エレオノーラを乗せた馬車は、荒野を突き進み、辺境の地『デッドエンド』の砦に到着した。
そこは、地獄だった。
「うおおおおお! 右翼、崩れるぞ! 押し返せぇぇ!」
「ポーションがない! 水で薄めろ!」
「交代は!? もう三日寝てねえぞ!」
砦の中に作られたギルド本部。
ボロボロの石造りの建物の外では、昼夜を問わず魔物の咆哮と、冒険者たちの怒号が飛び交っている。
建物の中も酷いものだった。
床には泥と血がついたままの男たちが雑魚寝し、受付嬢は目の下にクマを作って書類の山に埋もれている。
完全なる、ブラック職場。
労基署が見たら即刻営業停止レベルの惨状だ。
「……おい、誰だあんた」
ギルドの扉を開けたエレオノーラを、鋭い眼光の男が睨みつけた。
アレクセイ。
このギルド唯一のSランク冒険者にして、実質的な副ギルド長。
彼はこのデッドエンド出身で、故郷を守るために出戻ってきた歴戦の猛者だ。
だが、その精悍な顔も、今は過労で青白く、まるで死人のようになっている。
「ここは貴族のお嬢様が来る場所じゃねえ。死にたくなきゃ帰んな」
「あら、挨拶もなし?」
エレオノーラは、埃っぽい椅子をハンカチで拭ってから、ドカッと腰掛けた。
足を組み、冷徹な視線(ただの寝不足)でアレクセイを見下ろす。
「本日付でここの『オーナー(支配者)』になった、エレオノーラよ。業務日誌と帳簿を見せなさい」
「……はぁ? オーナーだぁ?」
アレクセイたち冒険者が、殺気立つ。
無理もない。死と隣り合わせの最前線に、ドレス姿の女が来て「私がボスだ」と言い出したのだ。
「ふざけんな! 俺たちは今、それどころじゃねえんだ! 外を見ろ! 『ナイトストーカー』の大群が押し寄せてる! Sランクの俺ですら手が回らなくて、全滅するかどうかの瀬戸際なんだよ!」
「そうかい。帰れ、邪魔だ!」
男たちが武器を手に詰め寄る。
普通の令嬢なら悲鳴を上げて失禁する場面だ。
だが、エレオノーラは眉一つ動かさなかった。
(……うるさい)
彼女が考えていることは、たった一つ。
長旅で疲れた。お肌に悪い。早くお風呂に入って、ふかふかのベッドで寝たい。
なのに、外の魔物も、中の男たちも、ギャーギャーと騒がしい。
(私の安眠を妨害するなら……許さない)
パチン。
エレオノーラが扇子を閉じた音が、妙に大きく響いた。
彼女はアレクセイを睨みつける。
その瞳には、かつて部下を震え上がらせた「進捗どうなってるの?」という絶対零度の圧力が宿っていた。
「……状況は理解したわ。あなたたち、効率が悪すぎるのよ」
「あ?」
「今すぐ全員、武器を置いて寝なさい」
場が凍りついた。
寝ろ? この激戦の最中に?
「正気か!? 防御陣を解いたら、魔物が雪崩れ込んでくるぞ!」
「いいから黙って従いなさい。これは業務命令よ」
エレオノーラは、窓の外を見た。
襲ってきているのは『ナイトストーカー』。狼型の魔物だ。
『びにちる』の攻略wikiによれば、こいつらの索敵範囲は「光」と「音」。
つまり、松明を焚いて、大声で叫んで戦っているから、余計に集まってきているのだ。
(馬鹿正直に戦うから、残業(戦闘)が終わらないのよ)
「照明をすべて消して。声も出すな。全員、奥の部屋に入って朝まで死んだように眠るの。……もし私の言いつけを破って音を立てた奴は」
エレオノーラは、首を掻き切るジェスチャーをした。
「魔物の餌になる前に、私が『処分』するわ」
その迫力は、外の魔物よりも遥かに恐ろしかった。
歴戦のアレクセイですら、本能が告げていた。この女に逆らったら、社会的に死ぬ、と。
「……しょ、消灯ぉぉぉぉ!! 総員、武器を捨てて撤退! 寝室へ急げぇぇぇ!!」
アレクセイの悲鳴のような号令で、ギルドの灯りが一斉に落ちた。
冒険者たちは震えながら、泥のように眠るしかなかった。
◇
翌朝。
小鳥のさえずりで、アレクセイは目を覚ました。
「……俺、生きてる?」
慌てて外に飛び出す。
砦の周りには、魔物の姿は一匹もなかった。
静寂。
これほど静かな朝を迎えたのは、彼がこの地に戻ってきてから初めてのことだ。
「す、すげえ……。本当に魔物がいなくなってる……」
「おい見ろよ、あの足跡」
部下の一人が地面を指差した。
無数の魔物の足跡が、砦の直前でUターンして森へ帰っていた。
「まさか、あの新オーナー……俺たちを休ませるために、たった一人で魔物を『威圧』して追い返したのか……!?」
「馬鹿な……ナイトストーカーの群れを、気配だけで!?」
勘違いである。
単に「電気を消して静かにしたから、魔物が気づかずに通り過ぎただけ(スルー・ギミック)」だ。
だが、そんなゲーム知識を持たない彼らの目には、奇跡にしか映らなかった。
ギルドの扉が開く。
中から、たっぷり八時間睡眠をとって肌ツヤが良くなったエレオノーラが出てきた。
彼女は呆然とする男たちを見て、ふふん、と鼻を鳴らす。
「おはよう。顔色がマシになったじゃない」
彼女は言った。
「(静かにしてくれたおかげで)私がよく眠れたわ」という意味で。
アレクセイは、ゴクリと喉を鳴らした。
王都から送られてきた、お飾りの令嬢だと思っていた。
だが、この女は違う。
魔物の習性を熟知し、俺たちの命を守るために、あえて冷酷な命令を下したのか?
(……底が見えねえ)
今まで見てきた、どの貴族とも違う。
この人なら、この地獄を変えられるかもしれない。
アレクセイの中に、ある予感が芽生えていた。
◇
それから半年。
『デッドエンド』は劇的な変貌を遂げていた。
「姉御! 裏山で採れた『燃える泥』、また王都の商人が高値で買い取って行きました!」
「そう。じゃあその金で、食堂のメニューにステーキを追加して。肉が硬いと私が困るから」
「へい! 最高級の和牛を仕入れます!」
エレオノーラが「臭くて邪魔だから捨ててこい」と指示した泥は、実は最高級の燃料素材だった。
彼女が「肩こりに効くから」と掘らせた場所からは、万病に効く温泉が湧き出た。
彼女が「魔物の通り道に罠を置くのが面倒」だからと、魔物の嫌う香草を植えさせたら、魔物が寄り付かなくなった上に、その香草が高級茶葉として売れた。
結果。
ギルドは莫大な資金を得て、ボロボロだった砦は、温泉付きの巨大な白亜の城へと改築された。
冒険者たちは最新鋭のミスリル装備で武装し、週休二日制、高給取り、福利厚生完備の「超・ホワイト騎士団」へと進化していたのである。
「あー、極楽……」
エレオノーラは、執務室(という名の豪華なラウンジ)で、極上の紅茶を啜りながら窓の外を眺めていた。
魔物のいない平和な森。整備された街道。
全ては、彼女が「働かないため」に行った改革の成果だった。
そんなある日。
平和なギルドの前に、薄汚れた馬車が止まった。
降りてきたのは、見覚えのある金髪の青年と、初老の男。
元婚約者のジェラルド王子と、父カーライル公爵だった。
「え、エレオノーラ……! やっと会えた……!」
やつれていた。
かつての煌びやかさは見る影もなく、二人は目の下にどす黒いクマを作り、服も皺だらけだ。
「あら、どこの浮浪者かと思えば。何の御用でしょうか?」
「た、頼む! 戻ってきてくれ!」
王子が土下座した。
公爵もそれに続く。
「お前がいなくなってから、何もかもが破綻したんだ!」
「領地の経営も、王都の政務も、誰も回せない! 書類の山に埋もれて、もう三日も寝ていないんだ!」
「シルヴィアじゃ駄目なんだ! あいつは『わかんない』と泣くばかりで、茶の一杯も淹れられない!」
エレオノーラが去った後、彼らは知ったのだ。
これまで国の屋台骨を支え、あらゆる実務を完璧にこなしていたのが、「ゼロの令嬢」と呼ばれた彼女だったことを。
優秀すぎるストッパーを失った王国は、予算配分を間違え、外交で失言し、今や崩壊寸前だった。
それに引き換え、このデッドエンドの繁栄はどうだ。
ここに彼女さえ戻れば、全て元通りになる――彼らはそう考えていた。
「エレオノーラ、愛している! 婚約破棄は撤回だ! だから……」
王子がすがりつこうとした、その時。
ジャキッ。
王子の喉元に、白銀の剣が突きつけられた。
アレクセイだった。
かつて死人同然だった彼は、今や竜の鱗を加工した鎧を纏い、英雄の風格を漂わせている。
彼だけではない。数十人の冒険者たちが、殺気を持って二人を取り囲んでいた。
「……俺たちの『オーナー』に、気安く触れるな」
「ひぃっ!?」
「このお方は、俺たちに生きる場所と、人間らしい生活をくれた慈悲深き女神だ。過労死寸前のお前らのようなブラックな連中に、渡せるわけがねえだろう」
アレクセイの言葉に、エレオノーラは呆れたようにため息をついた。
(女神じゃないわよ。私が楽したいだけなんだけど)
だが、誤解を解くのも面倒だ。
彼女はカップを置き、冷徹な瞳で元婚約者たちを見下ろした。
「お引き取りください。今の私は、週休五日、残業なし、年三回の長期休暇ありの生活に忙しいのです」
「なっ、なんだそのふざけた勤務体系は! 王族への奉仕こそが……」
「まだ分からないのですか?」
エレオノーラは、扇子で口元を隠し、かつて夜会で見せたあの「悪魔の微笑み」を浮かべた。
「あなたたちの職場(国)は、私には『ブラック』すぎるのです。――二度と私の視界に入らないで、『消えなさい』」
その言葉は、絶対の拒絶だった。
アレクセイたちが一斉に剣を構える。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!!」
王子と公爵は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
彼らが戻る王都には、積み上がった書類の山と、破滅の未来しか待っていないだろう。
「……ふん、騒がしい」
エレオノーラは再びソファに深々と体を沈めた。
また明日から、怠惰で優雅な毎日が始まる。
部下たちに「一生ついていきます!」と崇められながら。
(ま、悪くはないわね)
元社畜の悪役令嬢は、満ち足りた表情で目を閉じた。
彼女の「定時退社」を邪魔する者は、もうこの世界には誰もいないのだから。




