7話「アンジェリカ、王宮に潜入する」
その日の夜、カレンベルク公爵家。
「監視に見つかった時の眠り薬OK!
万が一誰かに見られた時の仮面OK!
変装OK!
返却する本OK!」
お父様が若い頃に着ていた黒のスーツを拝借し、仮面舞踏会用の目元を隠す仮面を装着しました。
足元は動きやすいブーツを着用。
髪はポニーテールにし、すっきりとまとめた。
鏡に映る自分は、映画の怪盗みたいでかっこいい。
問題は、服がきつくて胸が苦しいことくらいです。
男物の服は胸の部分にゆとりがないから……。
「怪我したとき用の初級ポーションと、万が一に備えて解毒ポーションを持っていかないとね。
ハンカチと、包帯と、小腹が空いた時のお菓子ももいるかしら?」
『アンジェ、まだ準備に時間がかかるのか?』
ルシアンがくありと欠伸をする。
いけない。
遠足に行くのではないのです。
気を引き締めないといけません!
「ごめんなさい。
もう出発できます」
荷物をリュックサックに詰め、いくつかは腰のポーチとポケットに入れました。
眠り薬は重要アイテムだから、ポケットに入れていつでも使えるようにしておかないとね。
王宮には何度も行った事があるが、夜中に忍び込むなんて初めてだから、少し緊張しています。
体の震えを押さえ、深呼吸をする。
気合を入れる為に両手で頬を軽く叩く。
大丈夫、誰にも見つからずに帰ってこれるはず。
「準備万端! 行きましょう!」
ルシアンを伴いバルコニーに出る。
空に美しい月が輝いていました。
月の明かりが強すぎると、見つかる心配がある。
できれば新月か、曇りが良かったが贅沢は言ってられません。
『乗れ、アンジェ!』
「うん」
ルシアンに促され、私は彼にまたがった。
「ルシアン、本当に飛べるの?」
『任せとけ!
王宮までひとっ飛びだ!』
ルシアンが自信満満に頷いた。
『しっかり捕まってな!』
「うん!」
ルシアンの首に手を回すと、彼はゆっくりと浮上した。
「ふわ〜〜!」
公爵家がみるみる小さくなって行く。
「街があんなに小さく見える」
家々に灯るランプに照らされた街が幻想的だ。
いまからお城に忍び込んで、大きな仕事(?)を成し遂げなくてはいけないのに、景色の美しさについ見とれてしまう。
「ルシアンを召喚して良かった。
こんな素敵な景色が見れたんだもの」
前世には飛行機もヘリコプターもありましたが、それらに乗ったことはありません。
観覧車や高層ビルからの夜景もテレビやネットでしか見たことがないのです。
ほんのちょっと、お金と手間をかければ見られたはずの景色。
前世の私には、そんなことにお金をかける余裕も、感動を共有できる相手もいなかったのです。
『へへ、そうか。
そんな風に言われると照れるな』
ルシアンが嬉しそうに鼻を鳴らす。
お城に本を返しに行くのは、ルシアンのやらかしのせいです。
ですが、そういうのをフォローするのも悪くないと思えました。
こういうのを仲間の絆って言うのかしら?
ルシアンが王宮から本を持ち出したのは、私を喜ばせるためだから、自分が不用意に望んだことの付けを払っているとも言えます。
◇◇◇◇◇
ルシアンの飛行速度は速く、あっという間に王宮に着きました。
私達は人目を避け、図書館近くの庭に降りました。
巡回の兵士が通ったので、素早く茂みに身を隠す。
「ふーー、行ったみたいね。
万が一見つかった時の為に、スプレータイプの睡眠薬を持ってきたけど、使わずに済んだわ」
ルシアンに叡智の祝福を授かる前は、庭に生えてる草から薬を作るなんて、アンジェリカの能力では絶対に無理でした。
たった一週間でこんな凄い薬を作れてしまうなんて、ルシアンの祝福のおかげね。
『俺様知ってるぞ。
眠らせた兵士は、他の兵士に見つからないように茂みに隠すんだよな』
「なんでそんなこと知ってるの?」
『今まで俺様のことを召喚した奴らは、そうやって目的地まで侵入してた』
かつてルシアンを召喚した人達が、どこに侵入し、何をしたのかは、深く追求しないことにしましょう。
巡回の兵士に気をつけながら、図書館の正門に移動しました。
幸い、図書館の前に見張りはいません。
しかし、扉には鍵がかかっていました。
「鍵がかかっているわ。
ルシアンはどうやって中に入ったの?」
『任せとけ、こういうの得意なんだ』
ルシアンは器用に針金を使って扉を開けた。
犬の口で針金を器用に操るとは、ルシアン恐るべし。
もしかしたら、こういう芸当も前の召喚者に仕込まれたのかもしれませんね。
だとしたら、ルシアンが気の毒です。
幸い図書館の中にも見張りはいませんでした。
ルシアンの後に続き、図書館の奥へと進む。
「行き止まりね。
ルシアン、本当にこの先に禁書室があるの?」
そこは図書館の最奥、許可を取らないと利用できない古書のコーナーでした。
本棚が並んでいるだけで、入口のようなものは見えません。
『禁書室だからな、関係者以外にはわからないように細工がしてある』
なるほど、それもそうね。
『ここの本を引いて、こっちの本を押すと入口が現れるんだぜ』
ルシアンが前足を器用に使い、本を押したり引いたりした。
すると、ズズズッと重たいものが引きずられる音がして本棚が横に動き、古い扉が現れた。
「禁書室の入口はこうやって隠されていたのね」
スパイ映画みたいだわ。
「ルシアンは禁書室開け方をどうして知っているの?」
『夜、図書館に本を探しに来たとき誰かがここを開けてるのを見たんだ』
「誰かって?」
『さぁな、そこまでは知らないぜ』
禁書室の存在を知っているのは限られた存在のはず。
おそらく王族の誰かね。
ルシアンは、それを偶然見たのね。
『奴らが帰ったあと、同じように本を動かして中をこっそりと除いてみた。
面白そうな本があったから黙って借りた』
黙って借りては駄目よ。
図書館の警備は手薄だったわ。
禁書室に誰かが侵入したことや、禁書室の本がなくなったことが発覚していれば、もっと厳重な警備が施されていたはず。
となると、本を持ち出したことに誰も気づいていない可能性が高い。
めったに人が立ち入らない場所だから、本がなくなったことに誰も気が付かなかったのかも?
気づかれる前に本を返してしまえば、完全犯罪の成立ね!
「今日、その誰かがこないことを祈るのみね」
さっさと本を返して帰りたいわ。
ここにいると、生きた心地がしないんですもの。
リュックサックがやけに重たく感じます。
背負っている本の重さに、精神的に押し潰されそうだわ。
◇◇◇◇◇
「わ〜〜! ここが王室の禁書室なのね!!」
禁書室は30畳ほどの大きさでした。
天井は3メートルほどあり、壁際に天井まで届く本棚が隙間なく並んでいました。
部屋の中心にも等間隔で本棚が並んでいる。
「禁書室」と呼ばれるだけのことはあり、伝説と呼ばれる本や、絶版になって手に入らない本、貴重な魔導書などが並んでいます。
「ここにあるのは、2000年前の天才魔法使いが書き残したとされる伝説の魔導書!
1000年前に滅亡したからくりの里の錬金術を記した本に、魔道具の作り方を記した本まであるわ!
こちらは、500年前の冒険家が残した妖精の村の記録!
こ、これは……300年ほど前に絶版になった世界の毒草辞典!」
貴重な本の数々に目的を忘れて見入ってしまう。
ああ、禁書室に籠もって一日中本を読み耽りたいわ!
魔法薬のレシピを読み、現代では禁忌とされる薬を生成してみたい!
『アンジェ、よだれが出てるぞ』
ルシアンに突っ込まれ、ようやく正気を取り戻すことができました。
「ごめんなさい、つい興奮してしまったわ。
ルシアン、本があった場所を教えて」
叡智の加護を受けた人間には、禁書室の本は刺激が強すぎるわ。
『赤い背表紙の本はここで、緑の表紙の分厚い本はこっちの棚。
青い背表紙の薄い本は壁際の本棚の一番上』
ルシアンは本があった場所を正確に把握していた。
適当な棚からごそっと拝借してきたのかと思っていましたが、そうではなかったみたい。
もしかして、私に必要な本を選んでもってきてくれたのかしら?
ルシアンは、私のことを考えて借りてきてくれたのね。
やったことはよくないけど、ルシアンの思いやりが嬉しいわ。
「これで最後ね」
私は黄色い背表紙の本を本棚に戻した。
「全ての本を返し終えたわ。
帰りましょう」
本を全て棚に戻し、ホッと息を吐く。
なんとか、見つからずに本を返せたわ。
これだけの貴重な本を、読まずに帰るのはちょっと、いえ、かなり惜しい気もするけど、長居をしていい場所ではないものね。
『うーー!』
その時、入口に向かってルシアンが唸った。
振り返ると、入口に人影があった。
「お前たちは誰だ!
そこで何をしている!」
凛とした男性の声が禁書室に響き渡る。
大変! 見つかってしまったわ!
『強硬手段だ!
やられる前にやっちまえ!』
「ルシアン、駄目!」
私が声を上げた時には、ルシアンが人影に飛びかかっていた。
襲われた人はあっさりと倒れた。
ルシアンは男性の喉元に前足を置き、首元に牙を向けた。
「ルシアン、お願い、その人を傷つけないで!」
ルシアンは私の言葉を聞いて、男性に噛みつくのをやめた。
あと数秒遅かったら、男性は喉を食い千切られていたかもしれない。
背中から冷たい汗が流れる。
このままにはしておけないので、倒れている男性に向かって眠り薬を噴射しました。
男性から寝息が聞こえ、ルシアンは人の喉元から前足を離した。
取り敢えず、これで今すぐ捕まることはないわ。
「ルシアン、人を傷つけては駄目よ」
『生かしておいたら、アンジェが危険だと思って』
「ルシアンは私の為にしてくれたのね?
でも、人を殺すのは良くないわ」
『わかった。
もうしない』
「ありがとう」
私がルシアンの頭を撫でると、彼は嬉しそうに体を擦り付けてきました。
ルシアンは、素直な良い子なのよね。
きちんと教育すれば、人間と共存できそうだわ。
『だけどアンジェ、こいつに姿を見られたぜ。
このままにしておいていいのか?』
「暗かったし、見られたのは一瞬だったし、すぐに眠らせたから大丈夫だと思うんだけど……」
その考えは甘いかしら?
『そうだとしても、ここに放置はできないぞ』
禁書室に放置は流石にまずいわよね。
外から扉を閉めてしまったら、中で餓死するかもしれない。
だからといって、禁書室の扉を開けたまま帰るわけにもいかない。
ここにあるのは貴重な本のみ。中には危険な薬品の作り方について記されたものもあります。
そんな本が持ち出され、悪用されたら大変だわ。
「図書館の外に外に連れ出して、草むらに放置するのはどうかしら?
もしかたら、夢だと思ってくれるかもしれないわ」
希望的観測でしかないけれど、他に方法が思いつきません。
「あら……? この人の顔、よく見たら……」
倒れてる男性の顔をじっくりと見たとき、血の気が引いた。
『アンジェの知り合いか?』
男性は美しい銀色の髪をしていました。
この国に銀色の髪の髪を持つ人間は二人しかいません。
男性の纏っている水色のジュストコールはとても上質で、高級なシルクを使っているのがわかりました。
極めつけは、目を閉じていても美形なのがわかる中性的な顔立ち。
「この方は……だ、第一王子ユリウス殿下です!」
禁書室で第一王子に遭遇するとは思いませんでした!
しかも、ルシアンが彼を襲ってしまいました!
もしかして、私たち死刑かしら?
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