2話「踏み台令嬢は前世の記憶を取り戻す」
「っ……!」
指先の痛みで記憶を取り戻しました。
アンジェリカとして16年とちょっと生きた人生がブワーーっと押し寄せてきて、前世の私の人生と混じり合う。
膨大な量の記憶に飲まれ、立ち眩みを起こしかけたがなんとか堪えました。
額に汗が伝う、全力疾走したあとのような疲労を感じます。
どうやらここは前世で読んだ小説「聖女コレットの恋〜本命はイケメン王子様!」略して「聖恋」の世界のようです。
私は、悪役令嬢アンジェリカ・カレンベルクに転生したのね。
アンジェリカは公爵家の長女で、第二王子エドモンドの婚約者。
11歳の時、顔合わせの席で出会ったエドモンドに一目惚れ。
以来、エドモンドを追いかけ回し、彼に近づく女は身分を問わずに排除してきた痛い女。
エドモンドが冗談で言った「漆黒の派手な服を着て、顔を白塗りにし、黒い口紅を付け、髪をツインテールに結び、黒いリボンを付けた子が好きだ」という言葉を本気にし、以来ずっとその格好をしています。
学園にもゴスロリ服で登校するくらい徹底している。
アンジェリカは血のような真っ赤な髪と、同色の瞳、ツリ目がちなちょっと意地悪そうな顔をした美少女。
背は高く、ボン・キュッ・ボンのナイスバディ。
だけど、服装とメイクが全部を台無しにしています。
アンジェリカは学園に入学してからも、公爵家の権力を使いエドモンドに近づく女子は排除していました。
アンジェリカが怖くて、学園に通う女生徒は誰もエドモンドに近づきませんでした。
ただ一人、聖女コレットを除いては。
コレットはふわふわのピンクの髪に、桃色の大きな瞳、小柄で華奢な体格の清楚系美少女。
長身できつい顔つきのアンジェリカとは正反対の容姿。
可憐な容姿は「聖恋」のヒロインに相応しい。
コレットは学園に入学前に聖女の力に目覚め、王家に保護されています。
彼女の教育係兼護衛を任されたのが、エドモンドと側近のダミアンとライナス。
コレットは3人の好みのど真ん中にいました。
エドモンドはコレットを一目見て恋に落ちた。
コレットも第二王子であるエドモンドに好意を寄せました。
ダミアンとライナスは、コレットに好意を抱きつつも自分の気持ちを押し殺し、エドモンドとコレットの恋を応援していました。
乙女小説でよくある複数のイケメンを侍らせ、キャッキャウフフしつつも、「みんなとはただのお友達です〜〜」という状態が出来上がっていたわけです。
当然、アンジェリカはそんなことを許容できるわけもなく。
コレットに嫌がらせをしました。
教科書やノートを破き、制服や体操服を水に付け、上履きを燃やし、脅迫文を送り……上げたらきりがありません。
しかし、そんな悪事が長く続くわけがなく。
今での罪がエドモンドにバレ、一学年の終わりの進級パーティで断罪されました。
エドモンドに婚約破棄され、一ヶ月間停学になりました。
婚約者はコレットに取られ、パーティで恥をかかされ、アンジェリカのプライドはずったズタ。
そのせいで、あんな強行に走ることに……。
よりによってなぜこんな痛い女に転生したのでしょうか?
ヒロインとか、ヒロインとか、ヒロインとか……最悪主役二人の恋愛を見守るモブに転生したかったです。
悪役令嬢に転生するなど夢であってほしいわ。
だけど、指の痛みがこれが現実だと突きつけてきます。
こうしている間にも血が滴り、床に染みを作る。
アンジェリカは、コレットのことがどうしても許せなかった。
アンジェリカは公爵家に帰ると、生前に祖父が建てた離れに向かった。
アンジェリカの祖父は、魔術マニアで国内外から魔法の本を集めていた。
その中の一冊に闇の精霊を召喚する魔法陣があることを思い出したアンジェリカは、自分の指を切り血で魔法陣を描いたのです。
そんなわけで、私の足元には魔法陣があります。
それでもって、召喚に成功して、闇の精霊……炎のように揺らめく真っ黒な物体が目の前にいます。
…………!
もしかしてこの状況、詰んでませんか!?
前世の記憶を思い出すなら、もっと早くに思い出してほしかった!!
小説の中で、アンジェリカは呼び出した闇の精霊と共に王都や王宮を破壊した!
「コレット死ね! コレットを祭り上げるなら国も滅びろ!! みんなまとめて死んでしまえ!!」
という、いかにもアンジェリカらしい自分勝手な理屈でです。
アンジェリカと闇の精霊の攻撃で、王都では多数の死傷者が出た。
でも肝心のコレットのことは殺せなかった。
それどころかコレットの聖女パワーで闇の精霊を封印されて、けちょんけちょんけちょんけちょんにやられて、最後は処刑された。
これだけのことをしでかしたので、王家の傍系である公爵家といえど責任は免れず実家はお取り潰し。
アンジェリカの両親と弟にも責任が及び、処刑されました。
そして、アンジェリカと闇の精霊を倒したことで聖女の評価はうなぎのぼり。
コレットはエドモンドと結婚。
闇の精霊の攻撃で第一王子が死んだので、エドモンドは立太子。
ゆくゆくは国王になり、民を導き幸せに暮らしました。
めでたしめでたし……というストーリーです。
そう、アンジェリカは聖女とエドモンドの恋を盛り上げるための存在。
いわば彼らの踏み台なのです。
それ故、アンジェリカには「踏み台令嬢」というありがたくない二つ名を付けられています。
そんなことより、このままだとバッドエンド待ったなしだわ!
王都の破壊も殺人も駄目!!
フラグを折りまくって破滅エンドを回避しなくては!
その為には、絶っっっ対に闇の精霊を召喚してはいけなかった……!(遠い目、涙まじり)
なのになんで、闇の精霊を召喚してから記憶を取り戻すんですか〜〜!?(2回目)
『願いを言え、愚かな人間よ。
お前の願いをなんでも叶えてやる』
唸り声のような、人の声のような低い声が室内に響きます。
これが闇の精霊の声……!
それは背筋も凍るような冷たい声でした。
嫌〜〜!
闇の精霊と契約して、大量殺人を犯して、家族を道連れに処刑されるなんて、そんな人生あんまりよ!!
前世の私はアラフォーの普通のOLでした。
なので、大量殺人に耐えるメンタルなんて持っていません!
記憶を取り戻すなら、もっと早く戻ってくれればいいのに……!
『呼び出しておいて、願いはないのか!?』
闇の精霊の機嫌が悪そうだ。
なにか言わないと!
「あります!」
ここは、破壊とか殺人とか無縁な願い事をしてお引き取り願おう!
できるなら、某昔のお坊さんのトンチ比べのような、キレのある願い事で、相手の裏をかいて出し抜きたい!
それな無理なら、最悪「美男子の靴下をください!」など、しょうもない願い事でも構わない!
いや、待って。洗いたてならともかく、脱ぎたてはちょっと……。
なんならいいかし?
美青年が愛用したペン? 傘? 今ひとつピンとこないわね?
そうだ、寝間着! パジャマがいいわ!
『ならば、さっさと願い事を言え!』
闇の精霊に低い声で凄まれた!
彼はせっかちな性格らしい。
えっと、えっと、えっと、こういうとき、なんて願えばいいの!?
『さぁ、願え! お前の魂の叫びを聞かせろ!』
小説の主人公ならこんなとき、なんて願う??
「美男子のパジャ……マ……。
いえ、私のお友達になってください!!」
『………』
闇の精霊の反応がない。
おかしいな?
こういうとき、良い子の漫画の主人公なら「お友達になって」と願うと思ったんだけど、外したかな?
やっぱり、パジャマをくださいって言っておけばよかったかな?
『“友達になってほしい”……それがお前の願いか?』
「は、はい……一応」
『…………』
再び、闇の精霊の沈黙。
やっぱり怒らせてしまったかしら?
『わかった!
お前の願いを叶えてやる!
言っておくが、特別だからな!
忘れるなよ!
今日から俺様とお前は友達だぞ!』
良かった! 承認してもらえたわ!
これで、闇の精霊と私はお友達!
彼が悪いことをしないように見張ればいいわ!
あれ? でも闇の精霊の声のトーンがさきほどと違うような?
それに、語尾に「だぞ」ってつけなかったかしら?
話し方も柔らかくなったような……?
『特別に俺様の真の姿を見せてやる!
友達だからな!!』
「……はい、ありがとうございます」
さきほどから闇の精霊のテンションがおかしい?
幼稚園のときずっとボッチで、小学校に上がって初めて友達ができた児童のような、そんな雰囲気だわ。
『よく見ろ!
これが俺様の真の姿だ!
惚れるなよ!』
闇の精霊がそう呟くと、黒いもやのようなものが魔法陣の中央に集まり、獣のような形を作っていく。
『どうだ!
かっこいいだろう!』
ボン! という音と共に、黒いもやが消える。
もやがあった場所には一匹の獣が立っていました。
漆黒の長い毛、立ち上がった耳、長い足、スマートで走りやすそうな体つき。
闇の精霊は大型犬の姿を変えていました。
前世でたとえるなら、グローネンダールに似ています。
体高と体長は60〜70センチ程。
長くてもふもふしたしっぽが左右に揺れていて、なんとも愛らしい。
もふもふを堪能したい!
……いけない! 前世の犬好きが出てしまったわ。
相手は闇の精霊、油断は禁物。
『なぁ、俺様の真の姿を見てどう思ったんだよ!?
感想を言えよ!』
闇の精霊が感想を急かしてきました。
やはりこの精霊はせっかちな性格のようです。
「えっ、うん、とっても可愛いよ。
頬ずりしたい、背中を撫でたい、お手させたい!
抱き枕にしたら気持ちよさそう……あっ」
愛くるしい黒い瞳で見つめられ、つい本音が出てしまいました。
仕方ありません。犬好きには耐えられないほどの可愛さだったですから!
『………!』
「可愛い」って言ったから怒ったかしら?
『そっかぁ〜〜! 俺様が可愛いく見えるのか〜〜!
お前見る目があるな!』
闇の精霊はめっちゃ嬉しそうでした。
その証拠に、しっぽをびゅんびゅんと横に触っています。
しっぽの風力は小型扇風機なみです。
『特別に俺様の毛を撫でさせてやってもいいぞ!』
闇の精霊が体を擦り寄せてきます。
そういう仕草は猫っぽい。
「いいの!? ありがとう!」
相手は闇の精霊?
体を撫でてる場合かな?
ああ……でも、艶々の毛並みが誘惑してくる!
目の前にもふもふがあったら撫でるのを我慢するなんて無理!
「では、遠慮なく」
闇の精霊の背中を撫でると、想像していたよりずっと艶があり、もふもふしていました。
背中、耳、顎、首の下と順番に撫でていく。
『お前、なかなか犬のツボを心得ているな』
「えへへ、そうかな?」
前世で「愛犬のここを撫でると喜ぶ」系の動画を見て研究していたのよね。
散歩中に近所の犬を捕まえてマッサージしていたから、腕には自信があります。
アパート暮らしで、犬が飼えなかったから近所の犬を可愛がっていました。
「……っ!」
指先に鋭い痛みが走る。
調子に乗って、怪我してる方の手でも撫でてしまった。
『お前、よく見たら手を怪我してるな。
見せてみろ』
アンジェリカは、指の先をナイフで思いっきりざっくり切っていました。
傷口を見たら痛みがぶり返してきました……!
『結構深いな……。
心配するな俺様が治してやるよ』
闇の精霊は私の指を舐めた……というか、手ごとパクッと喰わえた。
きゃーー! 手がーー!! 手がーー!!
手ごと食べられたわ!!
相手は闇の精霊!
油断するべきではなかったのね!
『ほら、治ったぞ』
「えっ……?」
数秒後、闇の精霊が私の手をぺっと吐き出しました。
指を確認してみると、傷口が綺麗に塞がっていました。
「ありがとう」
手を食べられたと勘違いしてごめんね。
心の中で闇の精霊に謝った。
『礼なんかいいよ』
「そういうわけには」
結構深く切ってたから、完治しても傷跡が残ったと思う。
それを治してくれたので、何らかのお礼はしたい。
「どうしてもお礼がしたいって言うなら、俺様に名前をつけてくれよ』
名前か、誰かに名前を付けるなんて初めてかも?
「んーー、じゃあ『ルシアン』っていうのはどうかしら?」
いつか家を建てて犬を飼ったら、付けようと思って温めておいた名前。
『ルシアンか、いい名前だな!
気に入った!』
闇の精霊も気に入ってくれたみたいです。
闇の精霊には、少ししたら元の世界に帰ってもらいましょう。
闇の精霊を呼び出したなんて世間に知れたら一大事だもの。
『じゃあ、契約成立だな!
これからよろしくな!
相棒!』
「へっ……!?
け、契約……!?
相棒……??」
『知らないのか?
血を与えて、名前を付けたら、精霊との契約が完了するんだぞ』
「えええええーーーー!!」
私、闇の精霊を召喚した上、精霊と契約してしまったの??
「ちなみに、契約の解除は……?」
『無理だな。
お前が死ぬまで、俺はお前の側を離れられない』
ドーン! 終わりました!!
黒いスーツを着た男性に、ベタフラッシュ付きの大ゴマで、白抜き文字の効果音で最後通告された気分です!!
『そう言えば、まだお前の名前を聞いてなかったな。
お前、名前は?』
「アンジェリカ……アンジェリカ・カレンベルクです」
『アンジェリカか!
いい名前じゃん!
よろしくなアンジェ!』
闇の精霊に愛称で呼ばれる仲になってしまいました……!
私の人生、これからどうなるの!?




