５１回目　剣聖

「クレイン様」

「驚いたよ、ピーターまでそちら側とはね」

「……さて？」

　修羅場であろうとも彼はいつも通りだ。

　余裕で軽薄で、しかしどこか慎み深い。そんな曖昧で、掴みどころのない態度を維持している。

「そう言えば、どういう経緯で仕官したんだ？」

「アースガルド領には妹がおりましたので」

　彼は標的が気づかぬ間に近づき、殺された側が自覚できないほどの速さで首を落とす実力者だ。

　そしてクレインは目前の女性が振るう剣にも、神速という評価をしたことがある。

「妹って……まさか」

「まあ、義理のという枕詞は付きますが」

　何を考えているのか分からない柔和な微笑みとて、同じ一族の者と言われてみれば似ている気もする。

　そんなことを考えつつ、クレインは己の秘書だった女性を見つめた。

「ブリュンヒルデ。貴女の考えも、彼らと同じですか？」

　ピーターはゆっくりとブリュンヒルデの方を向き、義妹に向けて最後の確認をした。

　黙して答えない彼女に対して、更に言葉が投げかけられる。

「迷っているならそれも結構。しかし考える時間ならば、幾らでもあったはずです」

「……私は」

　突き放すような言い方をしてから一歩前に出て、彼は尚もブリュンヒルデに選択を迫った。

「ここが、岐路なのでしょうね。今を逃せばこの先一生、抱えて惑うしかありません」

「決断の時、ですか？」

「……だからこそ今一度、問います。その剣をどちらに向けるのかを」

　普段よりも硬い口調であり、不気味なほど平坦な抑揚の声だ。

　はぐらかすかのような問答ではなく、至極真剣に彼女の去就を尋ねていた。

「返答や、いかに」

　対するブリュンヒルデは、戸惑いながら視線を逸らした。しかし多少の時間を置いたところで、迷いが晴れたり答えが変わりったりはしない。

「私は。私は……国と、亡き殿下のために」

「彼を討つと？」

「……」

「……よろしい。それが貴女の選択ならば、来なさい」

　彼は剣を構えたが、その切っ先は遺臣たちの方を向いている。

　クレインを背後に背負い、一人きりの戦争を始めようとしていた。

「なあ、ピーター、義理はどうしたんだ」

「それはクレイン様にお伝えした時点で――いえ、ここへお連れした時点で果たしておりますれば」

　クレインは状況の変化に付いていけていない。ピーターは裏切ったものだと考えて死ぬ覚悟を固めたというのに、当の本人が護衛として戦う気でいるからだ。

　理解までに少しの間が空き、状況が飲み込めてからもクレインの視線は、ピーターとブリュンヒルデの間を往復していた。

「それで、本当にいいのか？」

「義妹も含めて、彼らは過去しか見ておらず――既に死人も同然。申し上げた通りの亡霊かと」

　身内との戦いになることを再確認されても、ピーターはただ微笑みを浮かべるだけだ。

　彼は平素と変わらぬ曖昧な笑みを、クレインに向けていた。

「クレイン様が描く未来に思いを馳せる方が、余程楽しく……希望が持てますのでね」

　柔和な表情のままクレインの前へ出て、ピーターは一人戦場へ立った。

　春風の如く穏やかな佇まいのまま、彼は眼前の敵軍に向かい合う。

「何を言うか！」

「これで貴様も裏切り者だ」

「覚悟しろ！」

　開戦の前口上に激怒して、まずは３人の騎士が飛び出していく。彼らは一気に距離を詰めると、クレインの前に立ちはだかったピーターを目掛けて襲い掛かる。

　しかし彼らが接触する寸前。３人まとめて――別方向から血が噴き出した。

　少なくとも３度は剣を振るっていたが、しかしクレインの目には一太刀たりとも、まともに追えないほどの速さで斬り捨てられている。

「ここから先は亡霊退治。過去に囚われ、亡者に心を奪われた哀れな者たちを……ただ、鏖殺(おうさつ)するのみ」

　そして彼は、確信を持った声色で周囲に告げた。口から出てきたものは、当人からすると何でもない宣言だ。

「おう、さつ？」

「皆殺しという意味です」

　言葉の意味を尋ねるクレインに向けて、彼はどこか暗さを残す笑みで返した。

　確実に敵を殲滅し、万に一つもしくじらないということ。それを耳にした遺臣たちは更にいきり立つ。

「いくら名高き剣聖と言っても、多勢に無勢よ！」

「そうだ！　奴を殺し、子爵を討つぞ！」

　アースガルド領に出向していた者たちは、和解の道を探して未だに迷っていた。

　しかしその希望に諦めがついたものから順に、少し遅れて駆け出していく。

「敵は20名。味方は護衛１人か」

「とはいえ、無謀というわけでもございません」

　敵が一斉に剣を抜き、クレインたちのもとに走り寄るが、これはどう考えても絶体絶命の状況だ。

　

　しかし後続の４人がピーターの間合いに入るか、入らないか――クレインがその一瞬を見極める暇もなく、誰も彼もが間合い丁度で斬り捨てられた。

「これでは作業と変わりない。さしずめ亡者の行進か」

「な、何だと貴様――ぐあっ！？」

　斬り捨てては血を振り払い、納刀。そして次の敵にまた神速の剣劇を見舞う。

　ただその繰り返しだけで敵が溶けていくが、不満を口に出しながら、彼はただ殺戮を続けた。

「何の感慨も無い。貴族を斬るのは楽しいはずなのですが……ね。やはり貴殿らでは、全くもって面白くない」

　ピーターは一見すると目立たない存在だが、一騎討ちであればランドルフよりも格上となる。

　敵方の武官も王子の元側近とはいえ、そのほとんどが常識的な強さであり、ピーターの障害にはなり得ない有象無象の範疇だ。

　武術に長けた武官も、破れかぶれの文官も次々と斬り伏せられていくが、ここで斬られた味方を盾にして、ブリュンヒルデが下段から斬りかかった。

「――お覚悟を」

　クレインでは、遠目でも視認するのがやっとの剣速だ。

　それでもピーターからすれば、遅い。義妹にして弟子の一撃は、合格点とは程遠い出来だと判断された。

「未熟」

　太刀筋が荒く、剣先が揺れている。斬ることに躊躇いがあり、剣に迷いがある。

　その全てに向けて、彼は未熟という評価を下した。

「貴女の覚悟とは、その程度でしたか」

　交差した刹那。ブリュンヒルデの左半身が切り裂かれ、彼女は地に伏した。

　明らかな致命傷を負い、地面が赤く染まっていく。

　その様を見たピーターは、一度動きを止めて天を仰いだ。

「き、貴様！　シグルーン卿は縁者だろうに！」

「今は敵同士です。ただ、それだけのこと」

　感情の読めない声で短く返答した彼は、敵から視線を外したまま空を見上げた。

　曇天を流れる雲に目をやり、誰にともなく彼は呟く。

「あの男が死んで、なお操り人形のままならば。いっそ死なせてやるのが慈悲というもの」

「あの男とは、殿下のことではあるまいな」

「さて？　まあ、つまらぬ者に洗脳されたものだな、という感想があるのみですが」

　一国の王子を「あの男」呼ばわりし、敬意の欠片もない口調で吐き捨てたのだから、死後も仕えようとする忠臣たちは憤怒の形相を浮かべた。

　しかしその怒りを意に介さず、ピーターは独白とも取れる言葉を吐き出していく。

「某は止める立場にあらず、彼女に拒否権もありませんでしたが、ね」

　独り呟くピーターは動きを止めている。しかしそれを好機と見て、斬りかかった勇敢な騎士は――やはり一瞬で斬り捨てられた。

「主君も配下も、数を頼みにするしかない有様とは。……その程度の腕であれば見栄や面子などを捨て、射手でも増やすべきでした」

　それを皮切りに戦闘行為が再開されたが、彼はただ殺すだけだ。

　近寄る者は斬り殺し、及び腰になった者も踏み込んで殺す。

　様子を見ようとした敵も、自ら間合いを詰めて殺していく。

「ぐえっ！」

「ごはっ！？」

「ぎゃぁああぁあ！？　う、腕が、がっ！？」

　破れかぶれで掛かってきた眼鏡の文官には、胴を一薙ぎだ。遠巻きにしていた壮年の武官には、落ちていた剣を放り投げて突き刺している。

　彼は端から端まで順番に、当然の如く皆殺しにしていった。

「ふふっ、しかし戦場で兵を斬るのとは、また違った趣があるか」

　見る間に敵が減り、残すところ数名まで数を減らした。

　全滅までに残り数分あれば、よく持った方だと言えるだろう。

「ひぃ！？　た、助けてくれぇ！」

「おや」

　この惨状に勝ち目がないと見て、東伯と和解させてやると偉そうに宣言していた騎士は、一目散に逃亡を始めた。だが、逃げ惑う者も平等に殺される。

　むしろ掛かって来る者よりも、逃げる者の方が殺害の優先順位は上だった。

「ま、待て、あぎゃあ！？」

「貴方もお疲れ様です。来世では、幸せになれるといいですね」

　顔には柔和な笑みを浮かべているが、誰もが一目で分かるほどの作り笑いだ。

　そこにはブリュンヒルデのような、慈悲の感情は一欠片すら入っていない。

　斬った。死んだ。次の獲物を殺しに行く。ただそれだけを、機械的に繰り返すだけなのだ。

　人数差を物ともしない一方的な虐殺を、間近で見ることになったクレインも、この現実離れした戦闘力には呆然と立ち尽くすしかなかった。

「……ここまで、強かったのか」

　圧倒的な迫力を持つランドルフやグレアムから比べるとどこか頼りなく、東伯戦以降のクレインは彼を、政務や実務の補佐として起用することが増えていた。

　クレインはいつしかピーターのことを、文官寄りの人間だと認識するようになっていたのだ。

　しかし戦場で間近にいれば分かる。彼は人を殺す技。ただその一芸だけに特化した鬼神の如き男であり、間違い無く歴戦の兵なのだと。

「この戦いが退屈だとは、言っているけど……」

　今のピーターは傍目から見ると、快楽殺人を楽しんでいるようにすら見える。

　柔和な微笑みや、知性教養の高さ、隙のない礼儀作法などは、化け物と見破られないための偽装か。

　彼の姿を見て薄ぼんやりと、クレインはそんな現実逃避に近い分析をしていた。

「いや。そんなこと、今はどうでもいいんだ」

　ピーターは最後の一人まで殺す気だ。

　しかし敵方の誰もが、ここまでくれば相打ちで構わないと思っている。

「う、うらぎり、もの、が」

「おのれ、おの、れぇ……！」

　致命傷を負い、動けないはずの者でさえ地を這い、血反吐を吐きながら前へ進もうとしている。

　彼らと、彼らの主君を裏切った者を。裏切り者のクレイン・フォン・アースガルドを殺すために。