51回目 墓参り
会談を数日後に控えたクレインは、家臣たちを連れて王都に前乗りしていた。
セキュリティ意識が高い高級宿を取った彼は、防衛指揮に当たるグレアムと、領地の治安維持を務めるハンス以外から選抜した、主力級の武官を護衛にして宿に引き篭もっている。
「ときにクレイン様。貴方は亡霊の存在を信じますか?」
「いきなり、どうしたんだ?」
言ってしまえば、部隊の指揮よりも個人の武勇が目立つ者を同行させているが、その筆頭であるピーターに護衛の当番が回ってきた時のことだ。
任務に就いてから10分ほど経った頃、彼はクレインに向けて唐突な質問を振った。
「私も信心深い方ではないもので。神や霊を信じる者の気持ちが、よく分からないのですよ」
「そうか」
いつでも飄々として、何を言っても受け流してきそうな雰囲気のある男。浮世離れしたピーターの言動は少し変わっている。
しかしいつもは適当に解釈をしているクレインからしても、今日の発言は特に理解が及ばないものだった。
「意図はよく分からないけど、神仏か」
クレインとて己の身に何か超常的な現象が起きているとは思うが、別に神仏の類は信じていない。
そのため質問の思惑は分からないまでも、彼は素直に答えた。
「まあ、俺も信じてはいないよ」
「左様で」
王国では高位貴族になるほど信心深い傾向があるが、手を結んでいるラグナ侯爵家にもヨトゥン伯爵家にも、その様子は無かった。
会談に向けた遠回しな注意ではなく、何らかの忠告でもない、ただの雑談だったのだろう。
そう片づけたクレインは、意識を会談の内容に切り替えようとした。しかしピーターは数秒置いてから、この話題を続ける。
「例えば失いたくない者を失ってしまった、ですとか。目前の現実を受け入れられない者たちの、戯言とは思いますが」
もう一度言葉を切った彼は、何を考えているのか分からない柔和な表情のまま、いつも通りの微笑みを浮かべたままで更に続ける。
「墓参りについては、どう思われますか?」
「年に一度くらいは行くけど、特に何かを考えたことはないよ」
「では、その意義はどこにありますか?」
「えっと……」
彼が何を言いたいのか、クレインにはまるで理解できないままだ。
動揺で動きを止めた彼に向けて、ピーターは己の持論を語る。
「人によっては、過去を清算する行為でしょうか。戻らぬ人がそこにいると。確かめることができます」
「……そういうものか?」
「はい。それからもう一つ」
まだ続くのかとクレインが目を丸くすれば、ピーターは少しばかり真剣な顔をして、しかし曖昧な笑みは維持したままで言う。
「死者を弔う姿勢を見せることで、己は義がある人間だと証明すること。周囲にそう伝える儀式が墓参りというものか。そのように捉えております」
「そ、そうか」
「ええ。自分のためか、周囲のためか。いずれにせよ、生きている人間のための行為であるかと」
発言は変わらず意味不明で、クレインは戸惑っている。正確に言えば、何らかの意図が含まれているとは察したまでも、彼の真意を計りかねていた。
しかし心中など推し量れないため、クレインは率直に尋ねる。
「ピーター、俺は貴族的な会話が苦手なんだ。何を言いたい?」
「失礼。王都に戻っていた期間が長かったので、少々迂遠な物言いになりましたか」
第一王子暗殺の裏側を調査するために、彼は王都に滞在していた。
その後アースガルド領に戻ってから、1ヵ月ほどで再びのとんぼ返りだ。
王都では貴族の元を訪ねていたとも報告されていたため、遠回しな口調が移っても無理はないと納得したクレインに向けて、ピーターは本題を切り出す。
「内密のお誘いがございます」
「誰から?」
「亡者から……いえ、亡霊からでしょうか」
話の核心を話す気が無く、匂わせていくような話し方をする。
宰相や北侯と似た切り口だとクレインは苦笑し、釣られてピーターも笑みを返した。
「失敬。単刀直入に言えば墓参りの誘いです」
「誰のだ?」
彼も流石に、そこまで隠そうとはしなかった。ピーターは糸目を折り曲げつつ、口角を微かに上げて答える。
「殿下の墓へ、共に参りませんか?」
「は?」
第一王子の周辺情報は一切が謎とされていた。誰が何の目的で殺したのかすら分からず、その後がどうなっているのかも知れないまま、調査は既に闇の中だ。
しかしピーターは何かしらの裏事情を掴んでおり、彼の墓所まで把握していると明かした。
「一体、どういうことなんだ?」
「義理がございますので、これ以上は」
誰に対しての義理か。誘う目的は何か。それらも一切明かされないままだ。それは陰謀が渦巻く王都の中でもより一層不穏な、不透明で不鮮明な誘いだった。
「さて、赴けば分かることではございます。しかし某としては……行かぬ方がよろしいかと」
人によっては温和と捉えて、人によっては怪しいと捉える。
そんな曖昧な微笑みを続けるピーターは、詳細まで語る素振りは見せなかった。
「それならどうして今、伏せていた話を俺に伝えたんだ?」
「頼まれたのですよ。しかしこの話をお伝えした段階で、既に義は果たしたものかと」
ピーターは情報を伝えてきた人物と、何らかの関わりがある。それこそ調査の途中で接触した貴族だろうか。
そう推測すると共に、クレインにはもう一つ予想がついた。
「行けば、情報の提供者とは会えるのか?」
「ええ、恐らくは」
第一王子の墓参りに行けば、その情報を伝えた人物と接触できる。通常の手段では入手できず、再度やり直した際の道しるべになり得る情報を、取得できるかもしれないのだ。
しかしここでクレインは逡巡した。
決戦を間近に控えたこの時期に、わざわざ正体不詳の人物と接触する必要があるのか。
秘匿されていた第一王子の死を暴けば、知らなかった方がいい事実に直面しないか。
それらの不安と共に、真相を知っている相手の人物像を思い浮かべる。
「それなりの大物。又は大物の派閥に属する貴族か」
義理があると前置きをしつつ、仲介役を担ったピーターが止めるならば、接触した相手がそのまま己を害してくる可能性もある。
唐突な話に迷うクレインだが、実際のところは選択肢など存在しないため、彼はそれほど間を置かずに方針を決断した。
「よし、行こう」
「ふむ」
仮にこれが陰謀だったとすれば、次の人生で墓参りを避ければいいだけの話だ。痛い思いをして時が巻き戻る以外のデメリットはなく、それはメリットを上回りようがない。
敵対勢力が分かれば対策の立てようもある。むしろ週末の当主会談で、同盟者たちに相談すれば済むことだ。
そして何よりこの決断には、クレインの個人的な感情も絡んでいた。
「一度、けじめは付けておきたかった」
「それがクレイン様の義、ですか」
第一王子や、彼の命令でクレインの部下となっていた者たちを見捨てた罪悪感は、月日が経つ毎に薄れつつある。
彼は未来だけを見て進むと決めて、周囲もその決断を尊重したからだ。
そしてクレインは神や霊を信じていないのだから、自分の行いを「あの世から殿下が見ている」などとは毛頭考えていない。
だが、墓参りは生きている人間が自分のためにするものでもある。それは先ほど確認した。
「まあ、自己満足だよ」
「……よろしいのでは? 己を納得させる以上に重要なことなど、人生の中でそう多くもなし。ですが念のため、剣のご用意はお忘れなく」
墓参りと言っても、クレインは墓前で祈りを捧ぐだけのつもりでいる。
護身用の剣を取った彼は、身支度もそこそこに、ピーターを伴い宿のロビーに向かった。
「お待ちくださいクレイン様、どちらへ!?」
「私たちもご同行を」
「いい。少しそこまで行くだけだから」
クレインが少数で出かけようとすれば、周囲の人間はもちろん止める。ピーター自身すら、何人かは護衛を連れて行く心積もりでいたのだ。
しかしピーターだけを供にして、クレインは街に足を踏み出した。
「よろしいのですかな? 某と二人で」
「少数の方が。それも紹介者だけを連れていた方が、深い情報が出てくるはずだ」
「ふむ、それも道理」
重要な話であるほど、自分が裏を知っていると悟られていない方が好都合だ。
知らないふりをして対策を建てられれば、危機をそれとなく回避することもできる。
今のクレインはむしろ、事件の裏話を聞き終わってから殺された方が、利益が出る場面だとすら考えていた。
「ピーターのことも、ただの案内役として連れて行くつもりだから」
「はは。護衛以外のお役目とは、珍しい日ですな」
大通りに出た彼らは、王都の北へ向かう駅馬車に乗った。
無言で揺られること数十分、終着点の一つ手前で馬車を降りて、更に歩いていく。
そして昼と夕方の中間という半端な時間に、彼らは王都郊外の森に到着した。
「こんなところに、墓があるのか?」
「ええ。待ち伏せには絶好の、怪しい土地ではございますが」
仮に誰かの罠だとすれば、冥途の土産に仔細を教えてもらえばいい。
誰の差し金かさえ分かれば、対処のしようはあるのだ。
計画が成功して勝ち誇っている人間。それはクレインからすれば、恰好の獲物でしかなかった。
「……分かった、行こう」
今は味方なのだから、暗殺の黒幕にラグナ侯爵家がいようと手出しは無用だ。
侯爵家以外の黒幕が潜んでいたとしても、王子が王都の政治的に絡むものであれば、関与することなく終わらせればいい。
「今日は、どうにも天気が悪いな」
「日和ではありませんな。降る前に参りましょうか」
何より今回の人生で墓参りを終わらせれば、それが区切りだ。自分の中で過去と決別できるだろう。
そう予感しながら、クレインは鬱蒼と茂る森に踏み入った。




