49回目 ようやく来た花嫁
「クレイン・フォン・アースガルドです」
「お出迎えありがとうございます」
領地に帰ったクレインは、戦後処理の続きを行った。
幸いにして食料の輸送は順調であり、目下最大の懸念である北候との関係も南伯から認められている。
王都の東側を縦断し、北から南までのラインで同盟のようなものが結ばれてから。――二ヵ月ほどの時が経ち。
今日のクレインは家臣総出で、ヨトゥン家からの使いを。
そして一人の少女を迎えていた。
「アストリ・フォン・アルメル・ヨトゥンと申します」
彼女は南伯、ヨトゥン家から送られてきたご令嬢だ。
上品な振る舞いで礼をする様は、絵画に描かれてもおかしくないほどの神秘さを湛えていた。
銀にも見えるような透き通ったプラチナブロンドの髪と、彩度の高く青い瞳が印象的な少女だ。
成長すれば傾国の美女と呼べる存在になることは想像に難くなく、誰もが美少女だと思う外見をした彼女を見て、これには家臣たちも納得する。
「東伯が嫉妬したのも、分かる気がします」
「しょ、少女趣味ではないが。しかし、美しいお方だな、うむ」
主人であるクレインに相応しいかどうか。
とかではなく、東伯が攻め込んで来た理由についてだ。
そもそも花嫁側が圧倒的に格上なのだから、元よりこの縁談や彼女本人に何かを言う人間はいない。
嫉妬に狂った伯爵が攻め込んでくるほど美しい。
そこに納得いったのはいいとして。
「んん!」
「お、おっと」
「失敬」
しかし主君の伴侶を迎える場で言うことでもないだろうと、ランドルフが咳払いをして周囲を黙らせ。
「……しっかりしてくださいね」
「やれやれ」
それでも見惚れたような顔を見せている者には、ピーターとマリウスが後ろから背中をつついたり。
さり気なく肩を叩いて正気に戻していっている。
それを見ていたクレインも、思わず苦笑してしまった。
「人材は育成中です。不躾な者もおりますが、どうかご容赦願いたく」
「畏まった挨拶は不要ですよ。これからは夫婦になるのですから」
そう言って微笑む彼女は光り輝かんばかりのルックスをしているのだから、これにはクレインもグッときたし。
「う、おう」
「おい、しっかりしろグレアム。おい!」
「え? ああ、うん」
武官の中でも、特に本能で生きていそうな者。
グレアムを中心とした脳筋たちは一瞬で心を奪われている有様だ。
「そうですね。式の日取りはヨトゥン伯爵とも相談の上にはなりますが。まずは快適に生活ができるよう、館を新しくしましょうか」
「そこまでしていただけるのですか?」
出迎えの場としては散々なのだが、そこはさて置きクレインは続けた。
「ちょうどいい機会です。それこそ遠慮はいりませんし、政策の一環でもあります」
アースガルド子爵家の屋敷は歴史を感じさせる佇まいだが、これは二百年前に建てられて以降、修繕と増築を繰り返してここまでやってきた。
そろそろ建て替えてもいいだろうとは誰もが思っていたし、伯爵家から妻を迎えるならもう少し格式高く作ってもいい。
ということで、戦後の建て直し策の中には、領主の館の再建築も入っていた。
そしてクレインの言う政策の狙いとは、まず公共工事で市中に金をばら撒いて、経済を再始動させることだ。
そして工事の参加者へは三食出し、望めば給金の代わりに穀物などで日当を支払う予定でいる。
景気の底上げと食料の備蓄が無い家庭への援助を兼ねた公共政策であることを軽く説明してから、クレインは伯爵家から同行してきたアストリの使用人たちの方を見る。
「お連れの女中が使いやすいようにした方が良いと思いますので、建築家との話し合いにはどなたか同席していただけると助かります」
実家から連れてきたメイドたちにも意見は聞くし、過ごしたいように過ごしてもらって構わない。
それはクレインの配慮だったのだが。
「過分なご配慮、ありがとうございます。しかしアースガルド家のやり方に、合わせるべきところは合わせていきましょう」
「よろしいのですか?」
「ええ。私はアースガルド子爵家の一員となるのですから、慣れていきたいと思っています」
これはクレインからすれば意外な返答だった。
格下に嫁いで横柄な態度を取る姫君も少なくない。というか、実際にそういう妻を迎えた王都からの出向役人たちは、何人かが途轍もなく悔しそうな顔をしている。
アストリはローティーンにして既に、礼節も一通り習得し終わっているのだから人格面での問題はまるで心配いらなかった。彼女は淑女と言っても差し支えないだろう。
額面通りに言葉を受け取るのもどうかと思ったクレインだが、彼としても気兼ねなく過ごせた方が嬉しいのは間違いない。
だからアストリに歩み寄って、ゆっくりと手を携える。
「では、互いに歩み寄るということで」
「ふふっ、そうですね、クレイン様」
朗らかに笑い合う二人は、どう見ても幸せそうだ。
両家の家臣たちも、良好な関係を築けそうと見て安堵している者が多い中で。
手を繋ぎながら、二人はクレインの屋敷へ歩いていく。
「屋敷は自由に使っていただいて構いませんし、こちらの使用人も待機させておきますので、何かあれば執事長にお申し付けください」
「まだ式は先ですが、お屋敷へ逗留させていただいてもよろしいのですか?」
近々結婚する予定とはいえ、今はまだ他家のお嬢様だ。
過去とは違う流れになったせいで、お見合いや顔合わせもしておらず、彼らはほぼ他人の状態でもある。
更に言えば、貴族のお屋敷には闇や秘密が眠っていることが常なので、まだ部外者である婚約者を踏み入らせたくない家は多いのだ。
しかし変な陰謀を持たないクレインからすれば、屋敷の中に機密があるわけでもないので、招き入れても問題は無い。それに宿を手配すると言っても、アースガルド領内に伯爵家の一行が泊まるに相応しい格の宿屋が無い。
となればクレインは、屋敷の客間を宛がうのが一番話が早いと思っていた。
「それに別居にしていると、同居するタイミングが分からなくなると聞いたことがあります」
「ああ、それは、まあ」
「最初は遠慮を持って接しよう」と考えていれば、宿暮らしが長くなるにつれて関係を縮めるタイミングが分からなくなり、そのまま一生遠慮して、生涯別居で暮らした貴族がいる。
などという話はたまに流れてくる。
それこそ新しい屋敷が完成したタイミングで同室にすればいいと考えても、建築には半年以上かかるだろう。
ただでさえ不安定な同盟関係にヒビが入りかねないので、そこそこの宿に半年も他家の姫君を留め置くのは外交リスクすらある。
節度は必要と言っても、あまり距離を離し過ぎるとそれはそれで問題があるのだ。
「では、差支えが無ければそのように」
「私から提案したことです。異議などございませんよ」
もうじき夫婦になるのだから、ここに策を弄したり建前を使ったりする必要は無いのだが、クレインには一つの懸念があった。というのも年齢差だ。
今年でクレインが十七歳になり、アストリが十三歳になる。
年齢が微妙なところなので、変な噂が立たないように最大限の配慮をしようと思っていた。
「では荷物を運び入れましょうか」
「そうですね。皆さん、お願いします」
彼女との仲が順調にいけば、南伯との絆も強固になる。
前途は多難だが、まずは縁談の成就を祝おうか。
そんなことを思いながら数日を過ごしたクレインは、やがてヨトゥン伯爵家や親戚を領地に出迎えて、盛大な結婚式を挙げることになった。
祝福の中で一つの幸せを勝ち取り、晴れてアストリと夫婦になって――
そして、死んだ。
王国歴502年5月21日。
同盟の要となっていたアースガルド子爵の急死により、ラグナ侯爵家とヨトゥン伯爵家の関係は消滅する。
アースガルド領は後に直轄地へ編入され、ヴァナルガンド伯爵家に攻め落とされ。
最終的にはラグナ侯爵家が占領したものの、戦火によって荒れ果てた。
遺臣たちは「領主は暗殺されたのではない」とヨトゥン家を非難しなかったが。
死因は世に知られないまま、彼らの存在は歴史の陰に消える。




