26回目 クレインという男は、よほどの策士のようだ
王国暦501年、5月25日。
5000のアースガルド軍は、侵攻してきた6500の敵軍を領内の平野で迎え撃った。
そうして同じ王国の貴族たちの戦いが、味方同士の戦争が始まったが、しかし――
「やっちまえ!!」
「ナメんじゃねぇぞコラ!」
「首を置いていけぇぇえええええッッ!!!」
集まった敵軍は既に崩壊しており、開戦から30分でもう追撃作業に入っている。
「こんなに強いなんて聞いてねぇよぉ!?」
「た、助けてくれぇ!」
アースガルド家は金を持っているが、兵士は雑魚ばかり。そんな評判を当てにして攻めてきた小貴族連合の兵士たちは、方々から集まった武芸者の群れに追い散らされていた。
アースガルド家の部隊割りはごく単純だ。戦時には5人1組で小隊を作り、小隊が20個集まって100人の中隊を作っている。
今は各中隊に新参者の武官たちを置いて、攻め競わせていた。
「急ごしらえでも、意外とやれるものだな」
「見たところ、個々の武力は指折りです」
本来なら中隊を10個まとめた大隊を作りたいクレインだが、指揮系統がまだできていない。
だから「各自の武力頼みで何とかしよう」という算段で戦いにきた。
それを小高い丘の本陣から見ていた彼は、一方的な戦況を前に何とも言えない顔をしている。
「それはまあ、剣の達人やら槍の名手やらを、山ほど雇えばこうなるか。結局は何人雇ったんだった?」
「57名です。閣下」
どう考えても雇い過ぎだが、うち40名を中隊長に任命して、元からアースガルド領に仕えていたハンスらと共に指揮を執らせている。
徴兵した兵を引率する中隊長クラスは充実しており、採用基準の当落線上で仕官できた武芸者も、小隊長の中に紛れている。
しかし彼らは総じて指揮能力の高さではなく、腕っぷしに自信がある者たちだ。
「あっちもこっちも、隊長が先陣切って突っ込んでいるな」
「そのおかげで、士気は非常に高いですね」
功を焦り、血眼になって突撃する武将が敵を蹴散らしていくのだ。
付いていく兵士たちも勝ちに乗じて、押せ押せの攻勢を仕掛けている。
「何人の首実検をすることになるやら……」
軍事部門は歴史が浅く、頭角を現せば出世は思いのままということもあり、各自が己の人生を懸けて――本気で殺しにきたアースガルド軍。
対するは因縁をつけて喧嘩を吹っ掛け、数の暴力で略奪をしようとしていた、食い詰め者の寄せ集めだ。
あくまで略奪が目当てであり、できれば戦わず降伏してくれることさえ願っていたくらいに――やる気が無い。
両軍が激突するや否や、敵方が瞬く間に総崩れとなったのも自明の理だ。
「それにしても、もう少し苦戦すると思っていたのに」
敵軍はどこもかしこも壊滅状態であり、貴族お抱えの指揮官や、果ては当主本人まで討ち取られていっている。
この原因がどこにあるのかと言えば、まずは兵の質だった。
「敵方は食事を、満足に取れていないのでしょう」
「確かに動きが鈍いし、やせ細っているようにも見えるな」
毎日たらふく食べられるアースガルド領の領民は、徴兵された農家でもそれなりに体格がいい。対する敵はあばら骨が浮き出ているような、栄養失調寸前の兵だ。
しかも味方には猛将が揃い踏み。これで負けるはずはなかったが、実のところ最も大きな勝因は、敵方の指揮系統が最初から壊滅していた点だ。
「撤退だ! 準男爵様を守れ!」
「怯むな、立て直せ!!」
「退けば斬るぞ! 前に出ろ前に!」
敵の中にはさっさと退却しようとする者や、逆侵攻に出ようとする者もいる。
しかし引く、留まる、押すと各家でバラバラの動きをしていた。
だからまとまりかけた端から、またすぐに戦線が瓦解する。
日頃から反目し合っていた連合軍に総大将はおらず、指揮系統が各家で独立していたのだから、連携など取りようがなかったということだ。
「いたぞ! 大将首だ!」
「狩れ! 刈り取れ!!」
「うぉぉぉおおああああ!! 敵将! 剛槍のランドルフが討ち取ったりぃぃ!!」
敵軍の指揮官も戦線の維持を試みてはいたが、我先に逃げようとしている中で踏み留まり、馬上から指示を出す将は――恰好の的だ。
盗賊を山狩りしていた武芸者たちは、いつものように、敵を獲物に見立てて襲い掛かっていく。
指揮官を討ち取り武功を荒稼ぎしようと意気込む、アースガルド軍の将兵から狙い撃ちされていることも、指揮系統の崩壊に拍車を掛けていた。
「畜生、持っていかれたか」
「中隊長ォ! あっちに身分が高そうな奴がいます!」
「でかした! 行くぞ!」
まともに働くほど襲われる確率が高くなるのだから、逃げ出す敵が増えていくのも当たり前のことだ。
結局は攻めてきた8家のうち、5家の当主が降伏するか捕らえられた。
残る3家の内訳は、さっさと逃げた男爵が1人に、討ち取られた準男爵が2人だ。
「この有様で、よく戦いを仕掛けようと思ったな……。どうしてこうなったのやら」
つまり全滅したので、半日も経たずに戦争は終了だ。
こうなればクレインも呆れるしかなかったが、しかし横に立つブリュンヒルデは彼の発言を受けて、不思議そうな顔をしていた。
「この展開を生み出すことが、閣下の策だったのではございませんか?」
「えっ……? あ、あはは、見抜かれていたのか」
もちろん数ヵ月前のクレインは、目前の状況を1ミリたりとも予想できていなかった。
だが無能と見られるのは、できれば避けたい事態だ。
「ちなみに俺が施したのは、どういう策だと思う?」
あくまでブリュンヒルデを試す方向で種明かしを迫ると、彼女は人差し指を顎に当てて、小首を傾げながらクレインの策を言い当てていく。
「前提として彼らは情勢に疎く、アースガルド領の現状も詳しくは知らない様子でした」
「そうだな」
とりあえず、言葉少なく、頷くだけ頷いておこう。
そう心に決めたクレインは、小さく首を縦に振った。
「人材の募集も、小領地を避けるようにして行われています。聞いているのは噂程度であり、ここまで武官を揃えていたとは知らないはずです」
「それもそうだ」
戦乱が続く小領地の周辺では、血の気が多い当主がほとんどだ。引き抜きを掛ければ全力で文句を言ってくると想像できた上に、献策大会の時に目ぼしい人材も見かけなかった。
そもそもどこかの家に肩入れすると、その家と因縁のある家が襲ってきそうで嫌だ。
小貴族たちはできれば放っておきたい。
――クレインの考えはそれだけだった。
手を出しても利益が薄いどころか害があるため、なるべく疎遠になる以外の方針は無かったのだ。その理由だけで交流を絶っていた。
しかしそれは、目の前の近衛騎士からは情報封鎖に見えていた。
「敵兵はアースガルド軍が、以前のままだと考えていたことでしょう」
「そうだな、その通りだ」
小貴族たちを事業に噛ませることをせず、交易も最小限に抑えている。
精々がご機嫌取り程度に、平等に少量の食糧を販売したくらいだ。
クレインは向こうのことをよく知らないが、それは向こうからしても同じことだったのだろうと、彼は納得した。
「いずれは邪魔になる存在です。それでしたら油断させた上で、一気に叩くことが上策かと」
「素晴らしい洞察力だ。……でも、それだけか?」
なるほど情報封鎖からの奇襲とは、見事な策だとクレインも思う。
しかしブリュンヒルデは、その程度で褒めてくるような人間だろうか?
第一王子の側近だけあり、評価項目は厳しめなのだ。油断せずに、まだ何かあるだろうと聞き出していけば――案の定だった。
「関係が破綻した後は、食料品の一切を売り止めにしてあります。飢饉の影響が加速したことは想像に難くありません」
僅かばかりしか流していない、アースガルド領からの食料品が彼らの生命線だったのだ。これが止まった瞬間から、各領の食糧事情は急速に悪化している。
「結果として食い詰め者が増えることになり、治安の回復に追われる領主もいたようです」
「……そうみたいだな。報告は受けたよ」
内政で手一杯にして、アースガルド領に目を向けさせないか。保護を求めてきた相手を手下にするか。
いずれにせよ、勢力を拡大する口実にはなる。
万が一暴発して攻めかかってくれば、簡単に撃退できるところでもある。状況はそのようにお膳立てされていた。
「閣下の密偵。それから、スルーズ商会もいい働きをしたようですね」
「ああ。マリウスたちもトレックたちも、頑張ってくれたさ」
トレック率いるスルーズ商会が売買を取り仕切っていたのだから、アースガルド側の情報を漏らすはずがない。
敵から情報を得ることはできても、敵はアースガルド家の情報を集められないのだ。
最後に、密偵を放っていたクレインは敵が仕掛けてくる時期を察知して、すぐさま迎撃態勢を整えられるようにしていた。
戦になれば短期決戦で、壊滅的な大打撃を与えられる。
こんな戦いでは演習と大差無いので、戦争にかかる費用は驚くほど安く済んだ。
「弱体化の謀略を仕掛けるか、現状維持で領地を富ませるか、領地戦をするか。彼らがどの選択をしたとしても、こちらが有利になる手筈は整っておりました」
通常では痛手になるはずの戦争が、最も利益を得られる道ですらある。
ここまで入念に盤面を整理していたのだから、ブリュンヒルデからしても間違いなく高評価だった。
「へぇ……なるほどな」
「いかがでしょうか? 閣下」
ブリュンヒルデの口から語られた内容は、全く意図されていない偶然の産物だ。そのため張本人は、どこか他人事のような気持ちを抱いている。
なるほど、クレインという男はよほどの策士のようだと、クレインは感心した。
しかしまだ油断はできず、ダメ押しが必要かと思った彼は、意味深な笑みを浮かべて微笑む。
「ほぼ正解だよ。でも、もう少し狙いがあったんだ」
「左様でございますか」
「あ、ああ。任せておいてくれ、ははは」
実際には何も考えておらず、状況に流されただけだった。
だがクレインは、稼げる時に評価を稼ぐことが、暗殺の防止に繋がると思っている。
戦いが終わるまでに、もう少し何か考えておけばいいだろうと、それらしい理由を考案しつつ、クレインは追撃部隊の行方を見守っていた。




