26回目 新たな敵
「クレイン様。緊急のご報告がございます」
「聞こうか」
音も無くクレインの部屋に忍び込んできた美形の人物。彼の名前はマリウスという。
彼は先日から続く仕官ラッシュにおいて、数少ない「知的そう」という評価が下された男だ。
クレインの命を受けた彼は頭脳労働を担当していたが、目下、彼の仕事の大部分は諜報――つまりはスパイの管理である。
ノウハウを持たないクレインは、組織の立ち上げから運用までの全てをマリウスに任せて、各地の情報収集に当たらせていた。
「それで、何があった?」
「小貴族連合に動きあり。近いうちに、戦が起きる可能性がございます」
「……そうか」
彼はトレック率いるスルーズ商会と協力しながら、密偵を通じて各地の噂話や貴族の動きを拾い上げているところだった。
その途上で掴んだのが、近隣の領地で食料価格が高騰しているというデータだ。
「貧民救済のため、というわけではないんだよな?」
「貧民を集めておりますが、徴兵のようです。どの領地でも大規模に集めています」
戦争の前には兵糧――兵士たちに食わせる食料――を追加で買い込む。だから何でもない時期に大きな値動きがあれば、不穏と言わざるを得なかった。
しかも徴兵の動きまであるのだから、マリウスも確信を持って報告している。
「分かった。監視は怠らず、引き続き調べを続けてくれ」
「承知致しました」
手短に用件を伝えてから、マリウスはすぐにクレインの寝室を辞す。
彼は誰にも発見されまいと、俊敏な動きで退室していった。
「マリウスも隠密ができて助かる。……いつもみたいに、マリーから誤解されたくないからな」
夜中に、こっそりと領主の寝室に入っていく、顔立ちよく知的そうな男。
実際には秘密の報告をしているだけだとしても、誤解される要素はある。
近隣には男色を好む領主がいることもあり、下手をするとそういう関係を疑われかねないという理由から、誰にも見つからないことを厳命していたクレインであった。
だが、余人を介さず領主と一対一で話せるというのは、重用されている証になる。
仮にマリウスが暗殺を企めば、護衛も付けていないクレインを殺害することは容易だからだ。
マリウスは「新参の自分をここまで信頼してくれるとは」と、ランドルフ一歩手前くらいの忠義を持って働いている。
そんな副産物に気づかないまま、報告書を精査したクレインは溜息を吐いた。
「さてどうするか。これは流石に予想していなかった」
この不景気に軍を興す余裕があるのか。
文句を言いたいクレインだが、戦争の目的としては色々考えられる。
「口減らしのつもりか?」
昨今はどこも食料不足なのだから、戦争で貧民をすり潰し、食料の消費を抑えることを目当てにする可能性はある。
そうすれば、来年の収穫で安定を取り戻せるからだ。
「不満の矛先を逸らすことも考えられるな。小貴族たちは失策続きみたいだし」
外敵を作り団結することで、失策への不満や生活の不満を、他領になすりつけることができる。
貧しい順に徴兵していけば、暴動や反乱の予防にもなる。
「農業政策をやっているとは聞かないし、これで解決する気なんだろうな。……経済面まで含めて」
領地戦の目的として最後に挙げられるものは、略奪だ。
一般兵への褒美は、略奪の許可という形で下されることが多いが、見方を変えれば兵や市民への給料を、他人の財布から支払うのと変わらない。
そしてこれらを全部ひっくるめた時。戦争を仕掛けるのに、驚くほど最適な相手がいる。
「……どう考えても、標的はウチだ」
外から見たアースガルド領はどのような領地か?
食糧に全く困っておらず、財貨が山のようにあり、小貴族たちのすぐ傍にいる――あまり怖くない――中堅の勢力だ。
外敵を作り団結するという動きを、小貴族同士で行うのではなく、小貴族たちが連合するための敵として、アースガルド家を選ぶという道がある。
「それはそうだよ。仮想敵として選ぶなら、これほど最適なところもない」
放っておけば餓死させてしまう貧民に攻め込ませて、勝てたら最高だ。銀山を持っているのだから賠償金には大いに期待できる。
連合した場合は兵数で優位を取れるため、相手からすると勝率が高く、見返りも大きい戦いだ。
「……しかし、戦いの名目はどうする気なんだろう」
伯爵や侯爵のような高位貴族なら、ツテや賄賂を駆使して王宮からの処罰を回避できるかもしれない。
しかし平民と貴族の間にいるような弱小勢力たちに、そのような力はない。
そもそも食糧難と経済危機から戦争を起こそうとしているのだから、賄賂を贈る余裕すらないだろうとクレインは首をひねっていた。
「気にはなるけど、出方次第か。……軍備を急ごう」
収穫の終わった秋ではなく、春先に動きがあったのだ。畑を放って出陣してくるのだから、今年の糧は略奪でどうにかする気だとはすぐに分かる。
敵は大規模な山賊とも言えるが、何はともあれ撃退せねばならない。そう思案するクレインのもとに開戦の通知が届いたのは、それから1ヵ月のことだ。
◇
「当家の勇士50名を虐殺したこと、断じて許し難し。義によって、悪逆無道の子爵家に対し宣戦を布告する!」
開戦通知書を読み上げつつ、小貴族たちを代表した男爵家の使者は、声高に正当性を叫ぶ。
しかしこれを聞いた当のクレインも、周囲の家臣たちも呆れ顔だった。
「……勇士とは、何ヵ月か前に領内で暴れようとしていた、盗賊団のことか?」
「盗賊団? 言い逃れはやめてもらおう。我が領で略奪を働き、領民を守ろうとした兵士たちを殺害したのは、そちらではないか!」
衛兵隊は領内に侵入してきた盗賊を討伐させたが、攻め入った事実はない。
戦地は領境の村の近辺だが、単独で深追いしたランドルフですら越境していないのだ。
そして貴重な正規兵を、略奪任務に宛てるわけがない。捨て駒にされたのは徴兵された貧民だろうと予想しつつ、クレインは聞く。
「そちらは領境の村に、50名もの衛兵を出動させる兵力があるのか?」
「尚武の気風がある当家では、当然それくらいは抱えている」
小貴族の中で最も規模が大きい男爵領でも、衛兵は全部で200がいいところだ。
領地の規模によっては50名に届かないところも多い。それを踏まえた上で、クレインは重ねて聞く。
「そうか……それなら、どうしてそんな数を出動させたんだ?」
アースガルド家から出撃した衛兵は100名もいない。そしてアースガルド領の最寄りとなる村には300人ほどが住んでおり、村は柵や堀で囲われている。
最悪の場合は数の差と防衛設備を活かして、村人だけで何とかなる数だった。
「アースガルド家からの侵略に対抗するために、万全の備えをしたのだ!」
使者の言い分を信じるならば「正規兵の大半を辺境の村に派遣した」ということだが、これは本格的な戦争でもなければ出さない数だ。
そして小貴族たちはいつでも小競り合いをしているので、そんな簡単に主力を投入すれば、確実に背後を突かれる。
クレインが当然の疑問を口にすれば、使者は高圧的な態度で話を続けたので、普通の主張で通じないのであればと、次いで客観的な事実を口にした。
「侵略とは言うが、どの地域に対してだ。当家の版図はここ200年、まるで変化が無いのだが」
「そちらの意図など知らんよ。おおかた、略奪で満足したのであろうが」
これには横で話を聞いていたノルベルトやハンスはおろか、ブリュンヒルデまでもが表情を曇らせていた。
アースガルド家は略奪をする暇があるなら、内政に力を入れた方が儲けられる。
そんなことは誰の目にも明らかだったからだ。
しかし無理筋な主張だろうと関係ない。使者は自信満々に、尊大な態度でふんぞり返っていた。
「……侵略とは言うが、兵を越境させたことはない。それから、まずその衛兵隊とやらに、当家の村が焼き討ちされたのだが」
「そのような事実はない。全てはアースガルド家が仕掛けた陰謀であり、我々はこの仕打ちに対抗するべく兵を挙げるのだ」
連合を組めば勝てると踏んでいる彼らは、もう名目など気にしていなかった。
言いがかりでも何でも、滅ぼしてしまえば関係無いと踏んだのだろう。
「はぁ……滅茶苦茶な主張だな。賠償金を要求するでもなく、戦争で全部奪ってやろうというところが特に」
「そのような卑しい発想が出てくるのは、貴殿が常日頃からそう考えているからであろう」
相手の意図を察したクレインはぶっきらぼうに言うが、使者は全く動じたところを見せずに声を張り上げた。
「当家は義によって軍を興し、正しいからこそこれだけの家が味方になったのだ!」
おこぼれに与かろうとする家は、実に八家になったと言う。言い換えれば小貴族の全員だ。
各家が全力で兵を出すと宣言しており、総兵力は6000に上る。
しかし戦いは、基本的に防御側が有利だ。そしてアースガルド家の部隊は装備が充実しており、今となっては武芸者たちも大勢いる。
彼らが出せる数はアースガルド家の兵力とほぼ互角だというのに、この自信はどこからきているのだろう。
まさか、何か秘策でもあるのだろうか。
そう警戒するクレインだが、ここに至っては考えても仕方がない。
仮に秘策があったとしても、やり直して、策を潰してしまえば怖くもない。
そう考えた彼は、あっさりと申し出を了承した。
「承知した。尚武の気風とやらがあるなら、これ以上語っても無駄だろう。あとは戦場で決着を付けるとしようか」
「なっ!? ……くっ、その言葉、忘れるな!」
あっさりと受けて立ったクレインに、使者は苦い表情をしていた。
意外そうな顔をしたところを見れば、脅して賠償金を踏んだくろうという腹もあったのだろう。それも察しつつ、クレインは号令を掛ける。
「どうやら戦いは避けられないみたいだ。領地を守るために、大いに力を振るってほしい」
先々に備えて兵力を増強しておいて良かった。そう思いながら、クレインは周囲に居並ぶ武官たちの顔を見た。
「おう、やってやろうじゃねぇか」
「腕が鳴りますなぁ」
「クレイン様、先鋒はお任せをッ!!」
突発的な戦いだが士気は高く、尻込みをする者もいない。アースガルド家に来て日が浅い武人たちは、早速手柄を上げようと意気込んでいた。
無理な題目で攻めてくる、やる気の無い軍。そんなものは蹴散らしてやると言わんばかりに、彼らは気炎を上げていた。




